ふと気付いたんだけど、吉岡教授って、私が想像していた以上の馬鹿なのかな、って思ったのよ。
とりあえず、話の流れをまとめておきますね。
最初に断っておきますけど、私は、今の状況では、長崎は中国人観光客による経済効果に期待するのは、難しいと思っています。
その前提の上で、吉岡教授のブログを読みました。
http://pokemon.at.webry.info/201007/article_9.html
それで、読んだら、明らかに吉岡教授の言っていることは、説得力がないんですよ。これ、仮に学会で発表したら、袋叩きに合うのは目に見えてます。私は年に10回位学会に参加していますから、どういう発表をすると、どういう反応が来るか、というのは、想像できます。
これは、吉岡教授が馬鹿だから、論理の通らない文章を書いているんじゃなくて、専門外のことを偉そうに言ってるから、変な話になってるんじゃないかな、だから、自分の評価を下げないためにも、吉岡教授は、専門外の話をしない方がいい、っていう、余計なお世話かもしれない親切心から、「どこが間違っているかわかりやすく説明する内容」のブログを書いたんです。
http://ameblo.jp/maedayojiro/entry-10595300856.html
私のブログを読んで、長崎とは縁もゆかりもない、長崎経済を全く知らない知人達の間では、「吉岡教授やっちゃったな」って感じの反応でした。日本語が読める人なら、私が書いていることの意味は絶対わかると思ったし、実際そういう反応でした。それで、私のブログの記事を読んだら、吉岡教授は恥ずかしくて、自分の記事を削除してもおかしくない、という位の認識だったのに、何もしないから、「もう一回書いた以上は引くに引けなくなったのかな」というのが、長崎とは縁もゆかりもない、第三者の反応だったんですよ。
はっきり書いた方が良かったのかもしれませんが、私は東京大学大学院経済学研究科の博士課程を出ています。経済学の博士号も持っています。これは吉岡教授が言う所の「エコノミストとして専門的な教育を受けている」と客観的には言えるんじゃないかと思うんですよね。それはさておき、今までの経験からいえば、キャリア官僚の方は、私のような経歴の人間が意見を言うと、その意見を謙虚に受け入れることが普通だったので、キャリア官僚である吉岡教授も、あっさりと引き下がるんじゃないかな、と思ってました。
そして、私が書いたブログに吉岡教授から匿名でコメントが付きました。
---
吉岡教授は「「長崎経済を担う人」であって、地域経済の専門家ではないという結論になりますが、この結論は論理的に正しいんでしょうか?
それとも、長崎の人のヒガミでしょうか?
---
それに対し、エコノミストとして専門的な教育を受けていない吉岡教授と、この内容で話をするつもりはなかったので、軽くあしらうつもりで、
---
長崎の人のヒガミです。
---
と答えたのです。普通の人間なら、この言葉を額面通りに受けとるんじゃなくて、「相手にしてもらえなかった」と感じるはずだ、と思ったんですよ。特にキャリア官僚位の教養のある人なら。
この翌日に、吉岡教授のブログに以下のような記事が出ました。
http://pokemon.at.webry.info/201007/article_35.html
一部を引用しますと、
---
場合によっては、専門的な教育を受けたエコノミストの分析を曇らせる原因にもなりかねません。大雑把に、私がこのブログで長崎経済や九州経済を辛辣に論評した際の反論は、内容はともかく感情的な動機に基づいている可能性があるんではないかと思わせる意見がほとんどです。動機だけでなく内容的にも感情論で押し通す場合の特徴は、批判や論評を受け入れずにバカボンのパパよろしく「これでいいのだ」で終わっていることです。
---
私は「専門的な教育を受けたエコノミスト」ですので、この批判は私とは関係のないものだと思って読み流していました。この後にこう続きます。
---
批判や耳の痛い意見に接すると、私のような京都の人間は口先では前向きに受け止めたような振りをして、実は、自分でよく斟酌して受け入れたり、まったく無視したりしますが、九州的なダイレクトな対応は、ある意味では健全であり、別の意味では京都的なセンスはないと受け止めています。
---
これも、中国人観光客と長崎経済に関する吉岡教授の説明は論理が破綻していることが誰に目にも明白であるから、私のブログとは全く関係のない話だと思っていました。
ところが、ふと気付いたのです。『九州的なダイレクトな反応』というのは、もしかして、私が吉岡教授からの質問に対し、『長崎の人のヒガミです』と答えたことでしょうか。となると、吉岡教授は、中国人観光客についての自分の意見が、私にとって『耳の痛い意見』だと思っているのでしょうか。
先に書いた通り、吉岡教授の主張に対する私のブログでの説明というのは、日本語が読める人になら、誰にでも理解できる平易なわかりやすい内容だったつもりです。繰り返しますが、長崎とは縁もゆかりもない、長崎に住んでいない私の知人もみんな、私のブログを読んで、「吉岡教授は論理の破綻している文章をブログに書いてしまって、それを私に指摘されて、相当恥ずかしい思いをしているだろうな」と言っていました。
ところが、本当にもしかすると、吉岡教授は私が想像できない位頭の悪い人で、私の指摘を読んでも、「自分の主張は全く間違っていない」と今でも思っていて、その後の対応をしているのかな、と思えました。
最後に付け加えておきますが、吉岡教授のことを、「論理が破綻している文章を平気でブログに削除もせず掲載していて、ちょっと痛い人だな。」と思っている人が複数いる、というのは事実です。私以外の第三者で。
前回のブログで、「吉岡教授ネタをもう少し続ける」と書きましたが、もし仮にここで書いた内容が事実なんだとしたら、あまりに吉岡教授は痛すぎる人なので、書くのはやめようかな、と思い始めました。
とりあえず、話の流れをまとめておきますね。
最初に断っておきますけど、私は、今の状況では、長崎は中国人観光客による経済効果に期待するのは、難しいと思っています。
その前提の上で、吉岡教授のブログを読みました。
http://pokemon.at.webry.info/201007/article_9.html
それで、読んだら、明らかに吉岡教授の言っていることは、説得力がないんですよ。これ、仮に学会で発表したら、袋叩きに合うのは目に見えてます。私は年に10回位学会に参加していますから、どういう発表をすると、どういう反応が来るか、というのは、想像できます。
これは、吉岡教授が馬鹿だから、論理の通らない文章を書いているんじゃなくて、専門外のことを偉そうに言ってるから、変な話になってるんじゃないかな、だから、自分の評価を下げないためにも、吉岡教授は、専門外の話をしない方がいい、っていう、余計なお世話かもしれない親切心から、「どこが間違っているかわかりやすく説明する内容」のブログを書いたんです。
http://ameblo.jp/maedayojiro/entry-10595300856.html
私のブログを読んで、長崎とは縁もゆかりもない、長崎経済を全く知らない知人達の間では、「吉岡教授やっちゃったな」って感じの反応でした。日本語が読める人なら、私が書いていることの意味は絶対わかると思ったし、実際そういう反応でした。それで、私のブログの記事を読んだら、吉岡教授は恥ずかしくて、自分の記事を削除してもおかしくない、という位の認識だったのに、何もしないから、「もう一回書いた以上は引くに引けなくなったのかな」というのが、長崎とは縁もゆかりもない、第三者の反応だったんですよ。
はっきり書いた方が良かったのかもしれませんが、私は東京大学大学院経済学研究科の博士課程を出ています。経済学の博士号も持っています。これは吉岡教授が言う所の「エコノミストとして専門的な教育を受けている」と客観的には言えるんじゃないかと思うんですよね。それはさておき、今までの経験からいえば、キャリア官僚の方は、私のような経歴の人間が意見を言うと、その意見を謙虚に受け入れることが普通だったので、キャリア官僚である吉岡教授も、あっさりと引き下がるんじゃないかな、と思ってました。
そして、私が書いたブログに吉岡教授から匿名でコメントが付きました。
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吉岡教授は「「長崎経済を担う人」であって、地域経済の専門家ではないという結論になりますが、この結論は論理的に正しいんでしょうか?
それとも、長崎の人のヒガミでしょうか?
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それに対し、エコノミストとして専門的な教育を受けていない吉岡教授と、この内容で話をするつもりはなかったので、軽くあしらうつもりで、
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長崎の人のヒガミです。
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と答えたのです。普通の人間なら、この言葉を額面通りに受けとるんじゃなくて、「相手にしてもらえなかった」と感じるはずだ、と思ったんですよ。特にキャリア官僚位の教養のある人なら。
この翌日に、吉岡教授のブログに以下のような記事が出ました。
http://pokemon.at.webry.info/201007/article_35.html
一部を引用しますと、
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場合によっては、専門的な教育を受けたエコノミストの分析を曇らせる原因にもなりかねません。大雑把に、私がこのブログで長崎経済や九州経済を辛辣に論評した際の反論は、内容はともかく感情的な動機に基づいている可能性があるんではないかと思わせる意見がほとんどです。動機だけでなく内容的にも感情論で押し通す場合の特徴は、批判や論評を受け入れずにバカボンのパパよろしく「これでいいのだ」で終わっていることです。
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私は「専門的な教育を受けたエコノミスト」ですので、この批判は私とは関係のないものだと思って読み流していました。この後にこう続きます。
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批判や耳の痛い意見に接すると、私のような京都の人間は口先では前向きに受け止めたような振りをして、実は、自分でよく斟酌して受け入れたり、まったく無視したりしますが、九州的なダイレクトな対応は、ある意味では健全であり、別の意味では京都的なセンスはないと受け止めています。
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これも、中国人観光客と長崎経済に関する吉岡教授の説明は論理が破綻していることが誰に目にも明白であるから、私のブログとは全く関係のない話だと思っていました。
ところが、ふと気付いたのです。『九州的なダイレクトな反応』というのは、もしかして、私が吉岡教授からの質問に対し、『長崎の人のヒガミです』と答えたことでしょうか。となると、吉岡教授は、中国人観光客についての自分の意見が、私にとって『耳の痛い意見』だと思っているのでしょうか。
先に書いた通り、吉岡教授の主張に対する私のブログでの説明というのは、日本語が読める人になら、誰にでも理解できる平易なわかりやすい内容だったつもりです。繰り返しますが、長崎とは縁もゆかりもない、長崎に住んでいない私の知人もみんな、私のブログを読んで、「吉岡教授は論理の破綻している文章をブログに書いてしまって、それを私に指摘されて、相当恥ずかしい思いをしているだろうな」と言っていました。
ところが、本当にもしかすると、吉岡教授は私が想像できない位頭の悪い人で、私の指摘を読んでも、「自分の主張は全く間違っていない」と今でも思っていて、その後の対応をしているのかな、と思えました。
最後に付け加えておきますが、吉岡教授のことを、「論理が破綻している文章を平気でブログに削除もせず掲載していて、ちょっと痛い人だな。」と思っている人が複数いる、というのは事実です。私以外の第三者で。
前回のブログで、「吉岡教授ネタをもう少し続ける」と書きましたが、もし仮にここで書いた内容が事実なんだとしたら、あまりに吉岡教授は痛すぎる人なので、書くのはやめようかな、と思い始めました。