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手稲山・発寒川からの手紙

北海道の野生動物や自然の状況についてなど手書きの絵などによって詳しくお伝えします。

赤レンガ庁舎

 札幌に初雪の降った日にたまたま通りかかってスケッチ。

帰宅してから色をつけた。



手稲山・発寒川からの手紙





枯れ木に

 夜中に降った雪が裸の枝を、明け方のわずかの時間だけ綿毛で被う。

陽が昇り風が吹き、振り落とされる。


手稲山・発寒川からの手紙





資料館(高裁跡)

 水彩教室に通っていた頃、作品展を2度やったところ。

この絵に、初めてマスキング液を使った。

着色の前に、この液を雪(空白)の箇所に塗り、後で消しゴムを用い剥がす。

白抜きで描き始めるよりもくっきりと白い部分が残る。


手稲山・発寒川からの手紙





大通公園

 花壇が雪に埋まった。まもなく雪祭りが始まる。

雪像が取り壊される頃に春のきざし。

雪が解けライラックの並木から花蜜の香が流れるのはまだ遠い先。


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手稲山・発寒川からの手紙






手稲山・発寒川からの手紙
西野公園





手稲山・発寒川からの手紙
風の子橋







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手稲連峰








フレデリック・バック展を観て


 おびただしい数の展示作品には、戦争や人種・貧富の差別、自然破壊に対するバックの無言の怒りが、また平和な人間の営みや身近な動植物に対する暖かくて深い愛情が、共に作品の端はしに込められていてたいへん感動した。

 また、水彩画やイラストレーションやアニメーションなど多種多様な作風と共に、大事に保管してあったスケッチ帳や下書き用紙などを添えて、習作過程がわかるように解説・展示してあり、わたしは、絵を描く上での興味を深めることができた。



「木を植えた男」

ジャン・ジオノ原作

フレデリックバック作(寺岡 訳) あすなろ書房


 作者のJ.ジオノはフランスに生まれ、その後はカナダに住んだ。画家のF,バックとの合作「木を植えた男」のアニメーション映画を作った。原画は色鉛筆で描かれており、線による描法を用い、物語のもつ静寂さと暖かさを良く表現している。

 なお、画家のバックは、その後、単独で絵本「大いなる河の流れ」(あすなろ出版)を出している。

 この本では、カナダ・セントローレンス湾と河に、交易と植民地支配を目論み進出したフランス・イギリスの資本家たちによる、すさまじい略奪と自然破壊の様子・・・原住アメリカインデアンの暮らしと、絶滅の危機に瀕した陸上・海棲動物たちの悲鳴が、鮮やかな色彩で表現されている。

 画家のF.バックはカナダ在住のアニメーション作家(1924年生まれ、健在)。J.ジオノ(1895―1970)の短編小説に感動して、この作品を完成させたとのこと。2万枚に及ぶ莫大なセル画のすべてを一枚一枚描き上げ、それがもとで失明したと伝えられている。

 「木を植えた男」は1987年度の第60回アカデミー賞短篇賞(アニメーション)。アヌシー国際アニメーション・フェスティバル・グランプリ受賞。第2回アニメーション・フェスティバル広島大会グランプリなど各国から35以上の受賞。


 新年が明けた1月3日の朝日新聞「天声人語」に、「木を植えた男」に関する文章(添付)が載った。



手稲山・発寒川からの手紙

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手稲山・発寒川からの手紙 手稲山・発寒川からの手紙

 私は数年前にジャン・ジオノ原作、フレデリック・バック絵の『木を植えた男』を読んでいた。その頃、KからVHS『木を植えた男』(カナダとドイツ放送)ビデオが送られてきていた。また、「あすなろ書房」から出たバック(フランスからカナダに移住)の『大いなる河の流れ』や、いま手元にはないが新井満夫妻の書いた『木を植えた男を訪ねて』の2冊も読んでいた。




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「木を植えた男」のこと

 ジャン・ジオノ原作、フレデリック・バック画の「木を植えた男」(あすなろ書房)を読んだ。

 この本の舞台になった南フランスのプロバンス地方は、海抜1300メートルの高地。昔は疎らに灌木が生えるだけの荒地であった。人々は「スズメバチの巣のような」、赤土を削り、日乾しレンガの家に住み、羊を飼い、炭焼きをしながら数少ない羊と起居を共にしていた。

 その男(ジフィエ)は、毎晩、ほの暗い灯に額を近づけ、ドングリの実を100粒ずつ選り分け、それを来る日も来る日も、荒地に鉄棒で穿った穴に、根気よく埋めつづけていた。その種子はカシワだけではない。カエデやブナやカバの実も。彼は、播いた10万個の種子が、ネズミや鳥に食害するのを避けるため、自分の羊の飼育頭数を減らし、ただ黙々と森づくりに励んだ。、、

 数十年の月日が過ぎた。

 赤茶けていたプロバンスの山肌に緑がもどった。人々の笑い声が森に木霊し、住民たちの暮らしに活気が出てきた。樹木の種実を求めて小鳥たちが、またカエデの甘い花蜜に誘われて蜜蜂がやってきた。だが、長い年月を経てからこの森を訪れ、また住み着いた人たちは男のことを知らなかった。男は、第二次世界大戦が終わった1947年に、バノンの養老院で、静かにその生涯を閉じていたのだ。

 この絵本を読んでから数日後、芥川賞作家の新井満夫妻による「木を植えた男を訪ねて」(白泉社)を読んだ。この本の最後のところに、夫人がつぎのように書いている。それは、ジフィエ(男)生きざまから、「自分の役割を発見した人間の強さ」「無私の行為の気高さ」「木を植えることの大切さ」の3つを学んだと。私も全く同じ感想であった。


 この本の主人公の男、ジフィエは清貧で寡黙の人物。ただひたすら黙々と種子を蒔き森をつくる姿は宗教家の風貌に似ている。彼自身の蓄財のためではない。鳥や昆虫や獣や人間のため、森を育てることに生きがいを感じ、自然の荒廃を防ぐため、ただ一人で立ち向かっている。これは並みの人間にはできないことだ。

 私は、この本を読んで、J.ジオノの描いた「木を植えた男」つまりジフィエを実在する人物と思い込んでいた。同じように、新井さんも世界中の読者も。そこで新井夫妻はプロバンスに男の生い立ちを尋ねる旅に出たが、なんと彼は存在しない架空の人物であることがわかった。けれども、私も新井夫妻も、世界中のこの本の愛読者にとっては、そんなことはどうでもよいと思うほど、この本はすばらしいのだ。



手稲山・発寒川からの手紙
庭の雪が消える!




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クンシラン

3月初めから咲く。玄関から扉ガラス越に。








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手稲山・発寒川からの手紙 NO,94(2012年4月25日発行)

手稲山・発寒川からの手紙

 陽射しが少し暖かくなった4月12日に、札幌芸術の森美術館で開かれている『フレデリックバック展』を観に行った。地下鉄・真駒内駅から毎時2本出ている「森行きのバス」は乗客が2人。美術館ちかくで下車したのは私だけ。森のあちこちに点在する野外彫刻はやっと真っ黒な像の頭をのぞかせたばかり。まだ積雪は1mを超えている。

 美術館前の池には2羽の鴨(カモ)が融けかかった薄氷の上に寒そうにうずくまっていた。10室ほどある展示室には観客は4,5名。これを上回る数の案内嬢が退屈そうだった。



手稲山・発寒川からの手紙

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手稲山・発寒川からの手紙 NO,88(2012年4月15日発行)



手稲山・発寒川からの手紙


4月8日のよく晴れた昼時。

台所のそばの桜の木(チシマザクラ)にアカゲラが止まった。

枯れた幹を3分ほど嘴で突いてまわり飛び去った。

気づかれないようにカーテンの隙間からのぞきシャッターを押した。







手稲山・発寒川からの手紙

      クマゲラ          アカゲラ         コゲラ


クマゲラ

 キツツキ科。からだはカラスほどの大きさ。全身が真っ黒。頭上のみ赤色。針葉樹原生林にすみ、大木の幹に穴を掘って営巣。樹皮下の虫を食べる。北海道のみに分布(後に東北でも発見)、国の天然記念物。


アカゲラ

 クマゲラの半分ほどの大きさ。頭上は赤、背面は白と黒のまだら模様。翼に大きな白斑。枯れ木に嘴で穴を掘り虫を捕食。夏は亜高山地帯にすみ、冬には近くの平野部の樹林地に出てくる。


コゲラ

 キツツキの中で一番小さく、スズメほどの大きさ。背は白とこげ茶の縞模様。オスにだけ後頭部に赤い斑点がある。喉と胸は白っぽい色。森林地帯から平地の樹林地にかけて群れをつくってすみ、虫のほか木の実も食べる。




手稲山・発寒川からの手紙
                                                      2012

手稲山・発寒川からの手紙 NO,75   2012年3月27日発行