私は数年前にジャン・ジオノ原作、フレデリック・バック絵の『木を植えた男』を読んでいた。その頃、KからVHS『木を植えた男』(カナダとドイツ放送)ビデオが送られてきていた。また、「あすなろ書房」から出たバック(フランスからカナダに移住)の『大いなる河の流れ』や、いま手元にはないが新井満夫妻の書いた『木を植えた男を訪ねて』の2冊も読んでいた。
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「木を植えた男」のこと
ジャン・ジオノ原作、フレデリック・バック画の「木を植えた男」(あすなろ書房)を読んだ。
この本の舞台になった南フランスのプロバンス地方は、海抜1300メートルの高地。昔は疎らに灌木が生えるだけの荒地であった。人々は「スズメバチの巣のような」、赤土を削り、日乾しレンガの家に住み、羊を飼い、炭焼きをしながら数少ない羊と起居を共にしていた。
その男(ジフィエ)は、毎晩、ほの暗い灯に額を近づけ、ドングリの実を100粒ずつ選り分け、それを来る日も来る日も、荒地に鉄棒で穿った穴に、根気よく埋めつづけていた。その種子はカシワだけではない。カエデやブナやカバの実も。彼は、播いた10万個の種子が、ネズミや鳥に食害するのを避けるため、自分の羊の飼育頭数を減らし、ただ黙々と森づくりに励んだ。、、
数十年の月日が過ぎた。
赤茶けていたプロバンスの山肌に緑がもどった。人々の笑い声が森に木霊し、住民たちの暮らしに活気が出てきた。樹木の種実を求めて小鳥たちが、またカエデの甘い花蜜に誘われて蜜蜂がやってきた。だが、長い年月を経てからこの森を訪れ、また住み着いた人たちは男のことを知らなかった。男は、第二次世界大戦が終わった1947年に、バノンの養老院で、静かにその生涯を閉じていたのだ。
この絵本を読んでから数日後、芥川賞作家の新井満夫妻による「木を植えた男を訪ねて」(白泉社)を読んだ。この本の最後のところに、夫人がつぎのように書いている。それは、ジフィエ(男)生きざまから、「自分の役割を発見した人間の強さ」「無私の行為の気高さ」「木を植えることの大切さ」の3つを学んだと。私も全く同じ感想であった。
この本の主人公の男、ジフィエは清貧で寡黙の人物。ただひたすら黙々と種子を蒔き森をつくる姿は宗教家の風貌に似ている。彼自身の蓄財のためではない。鳥や昆虫や獣や人間のため、森を育てることに生きがいを感じ、自然の荒廃を防ぐため、ただ一人で立ち向かっている。これは並みの人間にはできないことだ。
私は、この本を読んで、J.ジオノの描いた「木を植えた男」つまりジフィエを実在する人物と思い込んでいた。同じように、新井さんも世界中の読者も。そこで新井夫妻はプロバンスに男の生い立ちを尋ねる旅に出たが、なんと彼は存在しない架空の人物であることがわかった。けれども、私も新井夫妻も、世界中のこの本の愛読者にとっては、そんなことはどうでもよいと思うほど、この本はすばらしいのだ。