M,MANの生まれた家では、日高山脈の麓の占冠村で農業を営んでいた。昭和はじめの大不況と冷害・水害に遭い、M,MANが4歳のころに倒産し村を離れた。その冬、まもなく売られて行く老いた農耕馬の「冬橇り」に乗った家族は、峠の雪道を金山駅に向かった。金山駅で、M,MANは生まれて初めて、油くさい黒煙を吐く蒸気機関車を見た。
わが家の庭にスモモの古木が生えていた。親たちが野良仕事に出ているあいだM,MANは2つ年上の兄とともに木に登って遊んだ。ある日、赤色のヘビに睨まれ、M,MANは驚き、地面に転落、気絶した。大きくなってから、兄は言う「赤いヘビなぞいない!お前は欲張って、赤く熟したスモモの実を取ろうとしたから落ちたのだ」と。この兄は、川べりでM,MANがヘビに足を巻きつかれた」ことでも「意気地なしのM,MANは、ヘビのすむ川などへ近づいたことがない」と。
ネコの子を捨てに
小学2年生のときに隣町に引越し、M,MANは転校した。友だちができなかったので、捨ネコが喉をゴロゴロならしてM,MANの布団に入り込んできた。やがて母ネコに育ち5匹の子を産んだ。眼が開いたところ、「捨ててくるように」と言われたM,MANは、子ネコと餌を入れた木箱を背負い、6kmも離れた元の小学校のあたりの裏路地に捨てた。
めんどり(雌鶏)?おんどり(雄鶏)?
戦中と戦後は、食糧がなくひもじい思いをした。孵化直後のニワトリ雛の雄を飼ってきて残飯を与え育てた。大晦日が近づくと“とさか”(鶏冠)の大きな「おんどり」を選び料理した。ときおり“雛の雌雄鑑定名人”が選別した雛にも雌が混じっていて。雄の何十倍もする値段の雌を育て、卵を産ませたことがあった。