大雪山に放したイタチ(1) | 手稲山・発寒川からの手紙

手稲山・発寒川からの手紙

北海道の野生動物や自然の状況についてなど手書きの絵などによって詳しくお伝えします。

大雪山に放したイタチ



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 野ネズミの駆除

 “洞爺丸台風”(1954)の数年後に、層雲峡で、エゾヤチネズミ(4種の野ネズミのうちの林木加害種)駆除を目的に本州産のイタチを放したことがあります。私たち(林業試験場道支場・野鼠研究室-森林総合研究所支場・鳥獣研究所)が、放したイタチの追跡とネズミ駆除の効果調査を林野庁から頼まれました。



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 本州からイタチを空輸

 1961年から17年間にわたって402頭のイタチが大雪山に放たれました。これらのイタチは、本州各地で買い集め、宇都宮営林署で養殖されました。これらは、1~2年置きに数10頭ずつ千歳に空輸、さらに陸路を大雪山まで運ばれました。

 イタチの性別・体重・体長などを測り、耳にマークを付して、層雲峡から三国峠に通ずる道の両側の広い範囲に放しました。イタチの性比はメス1:オス3でした。また年寄りイタチが多く、馴れない長旅で衰弱しておりました。




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 夏のイタチ調査

 大雪営林署員に手伝ってもらい、1頭ずつ入れた思い巣箱を担ぎ上げ、餌(ネズミ)のありそうな作業小屋のまわりやイタチの通りやすい沢筋を選んで放しました。その場所を中心に翌年から、木箱のトラップ100個ほどを仕掛けてイタチを捕らえたり糞を調べて生存数や住み場の調査を17年間休み無く続けました。

 この結果、1965年から1974年までの間にイタチ14頭とテン5頭を捕獲しましたが、マーク個体は1頭だけでした。また、マークのない個体が、放したイタチの子なのか、他所からやってきたのかもわからりませんでした。