元プラスマイナス岩橋さんが、地元のお笑いコンクールがヤラセであると発言してましたね

あれ、僕はお客の立場で行ったことがあるんですが


ヤラセというか忖度になるかな?


という見方です

全く知らない人にすれば酷いもんだと思われるんじゃないかな

優勝の他に敢闘賞とか奨励賞みたいなやつもあるんですが

その優勝を含む何らかの賞がもらえた芸人は99%同じ実力です

そう捉えても間違いじゃない

ヤラセとなると最初からその芸人が舞台に上がるまでに結果が決まってる場合に使うのがヤラセに当たると思うんですが、キチンと舞台で芸を披露して、最終的に笑いの取れた芸人が数組いるなかで吉本興業の芸人がいたらその芸人に優勝を与えようとする感じですかね

大阪西淀川区で開催されてますなにわお笑いコンクールも同じスタイルですね

全く笑いが取れてない芸人は選ばれることはありません

ただ、忖度はありますね

審査員にテレビやラジオのプロデューサーなんかもいるんで、以前そのプロデューサーが担当してる番組に出てる芸人が賞をもらってました

いわゆる、「推し」というやつですね

僕以外の一般の人もM1グランプリを見ておかしいと感じてるはずです

特にそれが顕著に現れたのが、マヂカルラブリーの優勝の時ですね

それと審査員からオール巨人が辞めた理由が、「今のお笑いがわからんわ」という発言がありました

テレビ局が持っていきたい方向へ審査員も協力して忖度審査をするわけです

そのわりに、一番面白い芸人がどうのこうのって言っちゃうわけですからね


で、一般視聴者もアホじゃないんでそれに気づいてシラケてテレビを見なくなってるんですよね

で、このタイミングでまたフジテレビが逃走中の番組の撮影中にやらかしてしまいました


常に上から目線


僕がこないだ京都の嵐山の法輪寺さんへ電話したときの対応もそんな感じでした


まぁ、パーフェクトデイズの平山さんが言ってたように

この世界は沢山の世界があって、僕らのいる世界と繋がってない世界もあるということなんでしょうかね

政治家もそんな世界にいるんでしょうね

同じ目線でコミュニケーション出来ないから話さえも始まらないという


昨年、黒澤明の「生きる」という映画がイギリスでリメイクされて日本でもヒットしましたね

あんな感じですね

子供たちのために一生懸命役所に公園について陳情しても、ハイハイと言うだけでたらい回し

結局なにもしない


その時だけキチンとしようとなっても時間が経てば元へ戻ってまた動かなくなる


黒澤明が訴えて作った素晴らしい映画のメッセージが全く教訓にさえもなってない

情けない世界に


政治家もメディアも同じ

それに関わる吉本興業も同じように

で、たまに黒澤明の生きるという映画は素晴らしいとかなんとか言うんでしょうね


元プラスマイナス岩橋さんの訴えは、ヤラセというよりは忖度

コミュニケーション的に言うと、人間はキチンと適切に他人を評価する能力が無いんですよね

もしそういう能力の人がいるなら世界初の人です

人間は他人を評価する能力が無いんですよ

なのでお笑いを見ても、みんな同じように笑うのかと言うと違いますからね


岩橋さんが思うお笑いと、僕らが思うお笑いと一緒か?となるとどうでしょうかね?

100人いたら100人の笑いのツボも違いますからね


テレビやラジオ、政治家って僕らのいる世界にいないんでしょうね