自分のやり方をどこまで貫けるか | 哲人クニちゃんのブログ

哲人クニちゃんのブログ

色はにほへど 散りぬるを

我が世たれぞ 常ならむ

有為の奥山 今日越えて

浅き夢見じ 酔ひもせず


あさきゆめみしゑひもせす

12月も半ばを過ぎました。
今年も残りわずかです。

来年 2018年、平成30年は
人々がそれぞれの波長に合った世界に
別れていくといわれています。

良い悪いではなく
それぞれの人の波長に合った世界でしか
生きられなくなるということです。

今まで付き合いのあった人と疎遠になって
会うことがなくなったり
場合によっては死別ということも
あるかもしれません。

一瞬、一日で がらりと変わることはなくても
気が付くともう出会うことのない
別々の世界に移行していくのでしょうね。

きょうの記事は
12月 1日 ( 金曜日 ) の
『 心超臨界 』 というメルマガの
記事からの紹介です。

メルマガは下記から登録できます。


こちら ⇒ 心が臨界質量を超えるメルマガ 『 心 超 臨 界 』

********

自分のやり方をどこまで貫けるか

『 自分のための人生 』

〈 原題:Your Erroneous Zone ( 錯信帯 ) 〉

【 ウエイン ・ W ・ ダイアー / 渡部昇一 ・ 訳、
三笠書房 ( 2011 / 7 / 21 )、p249 】


人生を生きていくうえで、
むずかしいけれども
やらなければならないことがいくつかある。
精神的に自立するというのもその一つである。

依存という毒ヘビは、
あらゆるところから人生に忍び込んでくる。
しかも、他人の依存心につけ込んで
得をしている人間が大勢いるので、
自分の人生から依存心と言う毒ヘビを追い出すのは
ますますむずかしくなるのである。

精神的に自立している状態というのは、
義理に縛られたり
他人に指示されて行動するということが
まったくない状態のことである。
義理があるから
どうしてもやらなければならないという
思い込みから解放された精神状態のことである。

親、子供、権力者、恋人といった
特殊な人間関係においては、
それぞれの人間関係で期待されていることを
実行するのが社会通念となっているので、
とりわけ精神的に自立するのはむずかしくなる。

精神的に自立するというのは、
自分自身になるということ、
つまり、自分の望む生き方、
行動をするということである。
決して人間関係を断ち切るということではない。
誰とでも自分なりのつきあい方ができ、
それが自分のめざすゴールに到着する妨げにならないなら、
その生き方を続ければよく、
変える必要はない。

( 中略 )

精神的に自立していれば他人を必要としない。
必要としないというのは、
求めないということではない。
他人が必要となった瞬間から
その人は弱みを持つことになり、
他人の奴隷となる。
もし自分の必要とする人と
別れるようなことになったり、
あるいはその人が心変わりしたり
死ぬようなことがあると、
茫然自失、意気消沈して、
自分も死ぬようなことにもなりかねない。

しかしながら、社会はわれわれに、
親を始めとして周囲の大勢の人間に依存しろと教える。
したがって、あなたはいまだに、
多くの濃密な人間関係の中で
ひな鳥のように口をあけて
餌を待っているかもしれない。

特定の人間関係の中で、
自分は相手から期待されているから
これこれのことをやらなければいけないのだと感じていたり、
これをやったら相手は怒るだろうかとか、
やらないと罪になるだろうかと考えているかぎり、
あなたはこの錯信帯の中で
仕事をしているのだと思ってよい。


********

本の原題の
Your Erroneous Zone ( 錯信帯 ) の
Erroneous ( イロウニアス ) というのは
〈 判断 ・ 学説などが 〉 誤りのある
間違った
〈 行為などが 〉 正道をはずれた
という意味の言葉です。

記事の内容からは少しずれますが
私見としては
依存については
親や学校などの教育というか
洗脳が大きく影響していると思います。

それによって自分でものごとを
考えるということをせず
いわれた通りのことを覚えて
いわれた通りにものごとを行うという
習性が身につくのでしょう。

そして自分の本当の力を知ることなく
自分はちっぽけな存在だと
思いこんだまま
一生を過ごすのでしょうね。

記事からは さらにずれますが
小象の杭 ( こぞうのくい ) の話しを
思い起こします。


 

小象の時から杭につないで育てると、
成長して杭を引き抜ける力がついても、
象はそのまま大人しく
つながれたままの状態でいてしまう、
という話しです。

そんなことはすぐに気付けそうだと思いますが
小さな時からの思い込みで
本来の力が発揮されないらしいです。

これと同じような杭に
私たちはつながれているし、
また人を縛ってしまっていることが
あるかもしれませんね。

おまけの画像は
前回の記事で
枚数が増えすぎてしまうと思って
載せなかった公園の画像です。

池のほとりの東屋
ひっそりと佇んでいます。




 

 

池のそばの木の紅葉と黄葉
きれいな色です。



 

 

これは堀のそばのモミジの紅葉

 

 



 

こちらは別のモミジを下から見上げたところ。



 

 

紅葉や黄葉はやがて色あせて
散り落ちてしまいますが
時が巡り春になると
また若葉が出てきます。
冬はその準備の期間ですね。



ペタしてね

 

どくしゃになってね!