前田敦子のソロ初仕事。
マイナビ転職のCM
9月3日付け、朝日新聞の全面広告です。

歌も下手、演技も下手。前田敦子の人気はAKBあってのもの、ソロでは仕事が来ない。
アンチからも、ファンからもいろいろ言われて不安もいっぱいだろう。
「それでも私はやってみたい!」
このCMは今の敦子の心情がそのままです。


当面は新聞、ネット電車の中吊り等、来春にはテレビCMに!



敦子なら大丈夫!
敦子の表現力はAKBで培われたもの。7年間の苦労がきっと生かされる。
演技だって、駆け出しの女優よりはるかに上手い。

まずは門出を祝福します。



おそらくAKBのライブに行くには最初で最後であろう。
何が何でも前田敦子のAKBとしての最後の雄姿を観たかったのだ。
抽選に当たってほんとに良かった。

仕事の都合で30分遅れての入場。ちょうどMC中だった。
高橋みなみが何か話していたが、圧倒される雰囲気に呑まれ何も覚えていない。
私はライブそのものが初体験ということもあって興奮状態がなかなか収まらなかった。
我に返ったのは「虫のバラード」のタイトルが出たとき、当然秋元才加と思ったら高橋みなみだった。
ソロデビューが決まった高橋みなみ、ノリノリである。さすが歌手志望だけあって歌が上手いのだ。
歌い終わると、「アイドルとしての前田敦子をしっかり目に焼き付けてください。
みんなであっちゃん!と呼んでください!」と、大きな声で叫ぶと、4万8千人の観衆が「あっちゃん~!」と、コールが始まる。
するとステージから波の音が聞こえて来る。
そう、「渚のCHERRY」である。
続いて「黒い天使」「アイドルなんて呼ばないで」と、3曲、敦子を中心としたユニット曲が続く。
そして「君は僕だ」をソロで歌う。
やはり今日の公演は敦子の卒業を祝す公演なんだなと、思っった。
その中でも「黒い天使」がとても良かった。
ほんとは、オリメン(前田敦子・高城亜樹・藤江れいな)で歌ってほしかったけど、今回は敦子ほか松井珠理奈と渡辺麻友と豪華ユニット。
まさに前田敦子対次世代エースの対決といった構図で見応えがあった。この曲の敦子のダークな雰囲気がとても良いのだ。
敦子が歌い終わると、日テレ24時間テレビの武道館と中継が繋がる。
中継では代表して大島優子が敦子へ一言メッセージを言うはずが「大好き~」と、抱きつく。
ほんとに最近の優子と敦子は仲が良い。
テレビで中継された楽曲は「Everyday、カチューシャ」 「へビーローテーション」と、2曲。まるで中継を意識した楽曲である。このタイミングで「夕陽を見ているか?」を入れて欲しかった。

そして、姉妹グループを含めヒット曲が次々と披露される。
「それでは最後の曲」と、アナウンスされAKBグループ全員で「ここにいたこと」を合唱する。
オオロラビジョンを観ると、なんと増田有華の姿が映っていた。増田有華は宮本亜門演出のミュージカルに出演のため、今回の公演は総て欠場という事だったが、敦子のために無理して来てくれたのだ。有華ちゃんありがとう!

そしてアンコール。
アンコールの掛け声がいつの間にか、あっちゃんコールに変わった。私も喉が枯れるぐらいあっちゃんコールをした。
10分ぐらいあっちゃんコールが続くと、ステージ中央の純白のドレスを着た前田敦子にスポットライトが当たる。
それでもあっちゃんコールは鳴り止まない。
話すタイミング掴めなくて暫く沈黙するが、「ほんとは寂しいです。ですが自分で決めた道です。前に向いて進みます」
オオロラビジョンで敦子の表情を確認するとだいぶ辛そうだった。
「私は小さい頃から人見知りでした。
誰かに話しかけられてもお母さんの後ろに隠れてしまうような子供でした」と、間を置き、「これからもAKBの応援よろしくお願いします、こんなに私の背中を押してくれる人が居て幸せ者です。AKBは私の青春でした」と感謝のメッセージを述べた。

そして「最後の曲『夢の河』を聴いて下さい」と言うと、しっくりと歌い始めたが、涙は止まらない。
まさにこの曲は、この別れの儀式のために作られた楽曲と言って良いだろう。
敦子対1期生を中心とした9人のメンバーの送られる者と送る者が対峙する形で歌う。
曲の途中、9人のメンバーと敦子が抱き合う。
そしてメンバーは小舟に乗った敦子を送り出す。
まるで何かのニュージカルを観ている様な感動が。
いや、それ以上の感動と言って良いだろう。
そして、「桜の花びらたち」を敦子を除く全員が歌う。
その間、小舟に乗った敦子は手を振りながらドームを一周する。私の席の近くを通った時、肉眼で表情が確認できた。
泣きながら笑っている。
とても良い表情だ。多くのファンも涙したことだろう。

いよいよ今日は敦子の卒業式
卒業おめでとう!
「苦役列車」感想が運営側から不本意ながら削除されたので修正しました。


主演の森山未來ほか共演者及び脇役にいたるまでの演技力を見て、「苦役列車」という映画の素晴らしさは、キャスティングの良さと監督の演出力に尽きると思った。
もちろん、これを生かすための脚本の良さは言うまでもない。

この映画の特長として、1980年代という時代感への拘りがある。
その一つが16mmフイルムでの撮影である。
ニュース映画で体感された方も多いと思うが、16mmフイルムのざらざらした映像が、1980年代の空気感を良く表しているのである。
さらに、登場人物の服装・髪形とかボウリング場とか様々な小道具まで、1980年代そのものであった。

さて、物語は森山未來演じる主人公北町貫多が風俗店から出てくるところから始まる。
そこには映画としての装飾が何もなく、人間丸出しの姿が映し出されていた。
そして欲望の赴くままに食堂でガツガツと食事をする。
人間がまさに動物であることを知らしめてくれる。

貫多はある古本屋を窓越しに覗く。
この映画はここで初めて美しいものを見せてくれる。前田敦子である。
店内の一番奥のカウンター席で本を読んでいるのが前田敦子扮する桜井康子だ。
貫多は康子をじっと眺めるだけであるが、頭の中には妄想が拡がる。それは彼にとってのファンタージであった。

原作には登場しない映画オリジナルヒロイン康子。
このオリジナルヒロインの設定には賛否両論ある。
当初から原作の西村氏は、製作サイドには原作者一切不介入の意向を伝えていたので、口出しはしなかったと言っている。
ただし、本音はオリジナルヒロインの設定には不満があったようだ。

苦役列車の映画化の意義は、本来映画化が難しいと言われていた原作を、映画オリジナルヒロイン等を登場させることによって、原作の内面的心情表現をストーリ仕立てに創り上げたことだと思う。

かつてのATG(※頁末尾を参照)のような流通体制があるのなら、原作に忠実に映画化する方法もあったかもしれないが、結果的に映画の完成度の高さを考慮すると、オリジナルヒロインの設定は脚本いまおか氏の勝利と言える。

ヒロイン康子は原作に存在しないゆえに、作り手である監督及びそれを演ずる役者の自由度は大きい。
監督は前田敦子という素材を見て、彼女の一番合った形に康子像をイメージしたのだろう。
つまり康子は監督と前田の共作ともいえる存在なのだ。だから前田敦子のはまり役と言われる所以であろう。

さらに、見る側も康子に対する感じ方の自由度が高い。
トップアイドルが演じる康子、
駆け出しの女優が演じる康子、
いや、前田敦子をトップアイドルと見るまでもなく彼女には人を引き付ける何かがある。
観客は必然的に康子に釘付けになる。
そして観客は不思議な存在の康子にファンタジーを感じる。
つまり貫多と観客は同じ目で康子を見入るのである。
と、ここまで書いてしまったが、康子への見方・感じ方は自由なのだ。

勤め先に向かうバスの中で貫多は日下部正二(高良健吾)と出会う。
正二は垢ぬけたいでたちで、まさに好青年といえよう。
一見貫多と正二は水と油のように思えるが、正二から一方的に貫多に近づく。
貫多はそれに甘える形で親しくなる。
お互いが友達になるのに、それほど時間は掛からなかった。

正二もまた不思議な存在である。
鹿児島から出て来て間もないのに標準語をしゃべり、東京育ちの貫多よりずっと都会的なのだ。
貫多の行動に嫌気がさしながらも、貫多を支えようとする。
専門学校に通い、友人も多いはずなのに、貫多をなぜかほっておけないのである。
貫多が康子への思いを打ち明けてくれた時も、二人の間を仲立ちする。

正二「こいつと友達になってくれる?」 康子「うん、いいよ」 貫多「やった~」

世間馴れした正二の言葉がごく自然なだけに、「うん、いいよ」と、即答する康子の世間離れした言葉が妙に響く。
康子にとって、貫多は店の常連客であり多少は意識していた。本が好きな貫多なら気持ちが通じ合えるかもしれない。
「うん、いいよ」という伏線はいろいろあろうが、康子という人格の不思議さをよく表している。

それはともかく、貫多と康子はこうして友人として付き合うのであるが、貫多の喜びは半端ではない。
とにかく、康子の前では貫多は不器用ながらも普通の若者であった。


貫多が康子のアパートに来ている時、隣の部屋で老人のうめき声が聞こえる。
覗いてみると、寝たきりの老人が尿瓶を指さしている。
「ほっとけよ」という貫多に対し、康子は迷った挙句に尿瓶を取り出し老人の世話をする。
ところが老人の放尿がなかなか止まらないので、康子の表情が苦笑に変わる。
この尿瓶のシーンがワンカットで構成されていて実に素晴らしい。
前田敦子のしぐさが可愛いのである。


ボウリング場や海辺のシーンはまさに青春映画そのものである。

海辺のシーン。たぶん湘南であろう。
貫多がブリーフ一枚になり、海に飛び込む。
続いて正二が。
「康子ちゃんもおいでよ」と正二が声を掛けると、なんと康子は着ているものを脱ぎ捨て、シミーズ姿で海に飛び込むのである。

実はこのシーンの季節設定は9月頃であるが、実際に撮影したのは12月初旬であった。
撮影当日は天気が悪く、海に入れる状態ではなかったが、スケジュールの都合で撮影を変更できず、入水シーンを強行した。
キャスト3人は大変辛い経験をしたのである。
森山未來が命がけと言ったほどである。
「監督もずいぶん無茶なことをやらせる」と、スタッフの一人が嘆いていた。(スタップブログ参照)

まして前田敦子はトップアイドルである。
そのトップアイドルがスケスケのシミーズ姿になるだけでも大変なのに、ここまでやってくれるとは、監督を初め、スタップの多くが驚きを隠せなかった。(監督インタビュー及びスタッフブログ参照)


もう一つ前田敦子の見せ場がある。
貫多と康子の決別のシーンである。
土砂降りの雨の中、貫多は康子のアパートの前で彼女の帰りを待っている。
そこに康子が帰ってきた。
康子は貫多の目に異常なものを感じとる。
どことなくぼやーっとしていた康子に、初めて焦点が定まった瞬間でもある。何か強い意志を持って貫多に対峙するのである。

康子「友達じゃ駄目?」  貫多「友達なんかいらない」

貫多は雨で濡れた路上に康子を押し倒し、無理やり唇を奪う。
康子は両手で貫多の頭を抱える。
あっと思った瞬間、ガーンと頭突をし、貫多をはねのける。
この有りえないアクションに思わず笑う人、驚く人、切なくて涙を流す人・・・観客の感じ方はそれぞれ異なるであろう。
この映画を青春映画と位置づけるなら、このシーンが最大のクライマックスなのだ。

もう一度言う。この映画の撮影は12月である。
しかも夜。降りしきる雨は人工の雨であるが冷たい。
当然、役者の体は冷え切っている。
取り直しをすると大変なことになるというプレッシャーと悪条件の中で、森山未來は当然よくやったが、前田敦子。貴女はほんとに凄い女優だ!


もう一人重要な登場人物がいる。
マキタスポーツ演じる高橋である。
「君たち若いんだから夢を持って」この高橋の言葉が最後まで生きてくる。

貫多が人生の脱落者なら高橋も脱落者である。それでも高橋は貫多に、「若いから夢を持てば何とかなるよ、」と暗示をかける。

実は高橋自身ひそかに夢を持っていた。歌手になることである。
だが高橋がフォークリフトの事故により大けがをする。
高橋が絶望の淵で歌った襟裳岬が切なく心に残る。


康子と決別し、行き場のない貫多。ある居酒屋のテレビに映っている人物は高橋だった。
高橋ことマキタスポーツが歌う「俺は悪くない」が、テレビの画面から流れる。
チャンネルの奪い合いで切れ切れだったが、実はこれが映画の挿入歌として成立させている点が面白い。
歌手になる事を夢見ていた高橋。これで夢が叶ったとは思わないけど、前向きなものを感じさせてくれる。

高橋を演じたマキタスポーツは映画初出演でありながら名脇役の風格を感じた。
ラストに繋がるターニングポイントとして前田敦子同様に存在感を示した。


この映画が役者の演技力を見どころとするなら、御徒町の居酒屋のシーンが思い浮かぶ。
居酒屋で正二が彼女を交え貫多と飲む。彼女は服装からしていかにもサブカル風。
正二は付き合いが浅い彼女に何とか好かれようと必死になる。
それが貫多を苛立たせる。
正二の彼女を演じたのが中村朝佳。80年代のサブカルぶりが見事にハマっている。

居酒屋の時計の長い針が二回転したところで、貫多の苛立はサブカル女に対する激怒に変わる。
「このコネクレージーめが」と罵倒する。

森山未來の演技力の高さを最大限評価するならこのシーンであろう。目の座り方が恐ろしいほどであった。
微妙な空気感を作った高良の演技力はさすがであるが、ちょい役でありながら中村朝佳の子憎たらしさは後を引く。

ラストシーンの面白さは半端でない。
3年が経ち、貫多は以前より風貌が変わり、原作者の西村賢太とどことなく似ている。
その貫多がブリーフ姿で街を疾走する。気が付けば海岸へ。
海の中で正二と康子が「おお~い」と呼んでいる。幻想である。
貫多は二人を目指して砂浜を突っ走る。
ここに映画としての仕掛けがある。
貫多は三次元空間の落とし穴に落ちてしまう。
“どっすん”と落ちたところは薄汚い貫多のアパートの入口であった。

貫多の部屋の中は物置同然に汚い。彼の荒んだ生活が垣間見られる。
貫多が机に向かいペンを持った所でこの映画は終わる。
「若いんだから頑張ればなんとかなる。」
貫多の背中が無性に愛おしく感じられた。


ラストシーンの非現実的な描写はATGに通じるものがある。
また、ATGの作品の中には16mmフイルムで撮影した作品も数多く含まれている。

ATG(アートシアターギルド)は1960代から1980代、良質な作品を志す独立プロ育成のために設立された映画配給会社である。
当初は新宿と丸の内に専属映画館があり、ATG作品を中心に上映するも、作品が途絶えた時は、海外の作品を上映した。
興業面を無視してまで良質な作品にこだわった独立プロの数々。
それらは当時の映画文化の担い手でもあった。