◆今から15年前の
2005年(平成17年)
まだ2歳だった理利の手を引いて
一緒に走り出してから
夏はマラソン、陸上競技
冬はアルペンスキーに没頭する、
そんな生活が始まり、
あの頃の未来である
15年後の今を
私は生きています。

◆駆け抜けた15年間の日々…
最近の私たちの活動は、
完全に
「アルペンスキー」
主体になっているけど、
理利が小学6年生までは
陸上でも
それこそもう
「鬼」
という名の
「馬鹿」
になって
蝦夷地の頂点を獲るべく
北海道各地のレースを
転戦していました。
北は稚内から南は函館まで。
札幌、千歳、網走、旭川、
士別、滝川、室蘭、
小樽、黒松内、
鷹栖、遠別、名寄、下川
「全国クロスカントリー駅伝」
北海道代表で
大阪、吹田市で
大阪万博会場を
走った想い出もあります。
レースがあれば
どこにでも行って
走っていました。笑
楽しかったな。
----------------------------
◆昨日の朝、
久しぶりに
美深小学校の前を
通りました…。
会社まで、
いつもの通勤路より
少し遠回りしても
どうしても
見ておきたかった
「風景」
があったから。

◆ちょうど1年前の
2019年9月26日 晴れ
英恋が、
理利が樹立した
小学6年生
最後の美小マラソン
新記録
12分18秒を更新した日。
あれから1年が経った。
◆理利に関しては
改めて書くまでもなく、
2007年~2012年の
6年間に渡り、
それまで約30年間に渡る
歴代マラソン大会記録を
全て更新しました。
全て終わった
今だから書けるけど、
こんな記録を狙い行くときには
全てが不安要素から始まります。
◆横一線に並んで走る
リアルなその日のレースは
雨が降ろうが、
向かい風が吹こうが、
条件はみんな一緒だから
絶対に文句は言わせません。
でも、全学年の、
全ての歴代記録を
狙いに行くということは、
新記録を樹立したときよりも
好条件の日も
あったかもしれないけど、
その逆も確実にありました。
◆しかも、
理利が小学3年生から
美深バイパスの延長に伴い
コースが全面リニューアルされ、
それまで国道沿いの
アスファルト直線を
気持ち良く
思い切り走れたコースから、
学校敷地内をグルグル走る
周回コースとなり
草の上と土の上、
90度ターンを20回以上繰り返す
あり得ないコース上での
新記録更新を狙う…
長距離マラソンの
「常識」
では
普通はありえない
「新記録更新」
への
戦いが始まりました。
◆モンスターになって、
『うちの娘は優秀だから
新記録を狙うから
過去記録との
公平性を保つように
コースを変更しろ!』
と、
言ったって、
そんなの秒殺で
相手にされないのは
充分理解していました。
じゃ、この状況下で
何が出来るのか?
やれることは、
与えられた条件を吞み込み
圧倒的な力で
ねじ伏せることしか
思い浮かびませんでした。
◆その経過は
改めて書くことはなく、
2007年から2012年の
過去の記事を拾ってください。
小学生が
800m10本とか
普通に走っている
常識を逸脱した練習が
そこには書かれています。
◆それが
正解だったか
失敗だったかは
解らないけど、
普通に3,000mを走ったら、
絶対に新記録なんて
出るわけがない
超・難易度の高いコースで、
女子記録の理利だけではなく
男子の記録でも
新記録が連発されました。
森広隆史
(旭川実業高校サッカー部)
竹本憲伸
(札幌山の手高校駅伝部)
前田理利
(小樽双葉高校スキー部)
◆当時はみんな
過去は昨日、
現在は今日、
未来は明日、
その程度の感覚しかない
子供です。笑
明らかに
練習が嫌な顔をする日も
多々、ありました。
それでも、
彼らの偉かったところは
絶対に逃げ出さずに、
毎日毎日、
練習に向き合ったことです。
君たちがグランドで
泣いていた姿、
たくさんの
涙も見ました。
この涙こそが、
一粒の汗より
重たい涙だったと
今なら少しだけ
理解できると
思うのです。
◆小学校の
グランドを走りまわった後、
スキー場横の坂道
(通称:修行の坂道)
に連れて行かれて、
車のライトに照らされて
真っ暗になるまで
走らされました。
◆言葉に表せない、
仮に表現できるとしたら
こんなブログじゃ
書ききれないほどの
重さとか、試練とか、我慢とか、
そこを耐えて、
勝ち抜いた彼らだったから
こんな小さな田舎から
北海道を代表する
各分野の
スポーツ名門校へ
旅立てたのではないか、
私はそう
確信しています。
◆自分の子供を
怒ることや、
厳しく育てることすら
露骨に否定される時代です。
理利や英恋も
AI
ではなく
感情を持った
人間です。
◆私の思いどおりに
真っ直ぐに
成長してきた
わけではありません。
私の娘たちですから
学校現場で問われる、
世間一般常識的の
物差しで測られたら
真面目、牛乳瓶の
「良い子」
ではないと思います。
◆逆に言えば、
私は父親だったけど、
マラソンやスキーで
勝つことだけを考えて
子供たちと向き合ってきた
人間なので、
社会一般的な
児童教育をした
記憶は1回もありません。
良い子じゃなくて良いので
悪いことだけするな、
人に迷惑をかけるな、
弱い者いじめをするな、
その程度のことしか
言ってなかったと思います。w
◆2007年~2012年
足掛け6年間。
あれほどまでの
強い思いで、
勝ち続けて、
新記録6枚を樹立した
理利の記録を
去年、
英恋が抜いた瞬間。
私の固定観念を
英恋が一撃で
ぶっ壊してくれました。
◆あと10秒、あと5秒、
毎年毎年、
そんなタイム差で
理利の記録を
1枚も抜けなかった英恋。
◆陸上はしたくない、
お姉ちゃんと
比較されたくない、
サッカーと水泳をしたい、
英恋の口から
はっきりそう言われたとき、
正直、
私はもう諦めていました。
◆大人の事情で
英恋が小学1年生から
両親は別居をし、
小学5年生で
両親は離婚をしました。
小樽へ逃げ切った
理利はともかく、
英恋に対しては
父親としての
責任も果たせない
私が
理利のときのように
偉そうにガツガツ
追い込む資格はない、
そんな風に思っていました。
◆理利のときには
一夏に
100日以上走り込んだ
美小グランドも
英恋のときは、
確か片手で
数える程度しか
練習していません。
でも、私は
小学6年生になった
英恋に物凄い
可能性を感じていました。
それは
「サッカー少年団」
です。
◆芝生の上を
縦横無尽に走り続ける
サッカー練習で
私が知らない間に
英恋の体内には
知らず知らずの内に
「人間ダイナモ」
としての
無限のスタミナが
蓄積されていました。
◆1つだけ、
エピソードを書きます。
去年、
英恋の本番前、
最後のタイム計測の話です。
◆英恋が狙う
理利の記録は12分18秒。
この記録を
確実に更新するためには
最低でも
12分25秒以内では
走りたいところ。
コースは
マラソン大会と
同じコースを走ります。
◆英恋はそこで
11分59秒を
叩き出します!!!
私の作戦は解りますか?
多分ですが、
英恋は
12分20秒前後では
走っていたと思います。
でも、数日後に
レースが迫っている
英恋も緊張し、
周囲の雰囲気が
「絶対に抜かれないと
思っていたあの理利の記録を
もしかしたら
英恋が抜くかもしれない」
という
ピリピリした
緊迫した場面で
俺が英恋に
ストップウォッチを見せて
『理利の記録に
3秒負けている』
と現実を
言ったところで、
英恋の気持ちは
どうなるでしょうか?
気持ち良くスタートに
立てるのでしょうか?
俺が子供の頃、
軽蔑し、見下し、
大嫌いだった
馬鹿な大人は
ここら辺の配慮が
欠けていました。
◆だから俺は、
強気で
11分59秒の
大博打を打ち、
「英恋、行けるよ!」
のエールだけを送り、
スタート地点に立たせました。
あの時点で英恋は、
もっと速く走らなきゃ
新記録が出ない、
じゃなくて
普通に走れば
新記録は出るんだ、
という気持ちになったと
思います。
その結果、
英恋は本当に
気持ちが良いほどの
『快走』
を
決めて
12分07秒で
走ってきました。笑

◆秋
去年、英恋がゴール後、
11年間に及んだ
美小マラソン大会。
俺はもう
二度とここには来れない、
でも、
確実に爪痕は残した、
想い出を作れた、
歴史を残せた、
英恋の卒業と同時に、
私もここから旅だったはず…
◆でも、やっぱり
心の何処かに
「すきま風」
が吹く
マラソン大会の無い秋。
来週、
美深町民マラソン大会
が
開催されます。
英恋、
無理矢理、
エントリーしました。笑
◆コロナの影響で
秋のレースが全て中止になり、
逆にそのことで町外レースに
選手が分散しないため
数年振りに
美深町のマラソン史を
築き上げた
中山さん、楠木さん、竹本さん
などなど、
豪華名選手が参加する
楽しいレースになりそうです☆
久しぶりに見る
英恋も激走も
楽しみにしているよ!
※隆史、憲伸、理利も頑張れ!