新開地のゴッホ・29 | GENのブログ

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どこで咲いても
いつか散る♪

(第二十九回)

 

 個展が始まって三日目は日曜日と重なり会場には多くの観賞者が訪れた。予期したとおり会場内には若者が溢れ異様で鋭い熱気と冷静で無関心なざわめきとが交錯した。矢野は相変わらず手持ちぶたさの態で午後からずっとフロアの隅でパイプ椅子に座り居眠りでもしているかのような眼差しを床面に落としていた。

 初日から膨らんでいた自分なりの落成の焔は三日目になるとさすがに滅入ったのかまるで老衰の属性に侵されるかのような放心状態に覆われていた。酒を切らしていたせいもあるかもしれない。矢野の眼には観賞者の表情や動く影が単調に写り次第に漂っていた奇声や驚嘆の響きすら耳に届かなくなった。手応えを失した五感が益々横たわるのみである。

 脳裏に岡崎律子に描いた「平和の鳩」が浮かんでくる。入院中彼女から届いた手紙にも確かに美術評論家が絶賛した旨が書かれてあった。その励ましは一縷の望みの託せる光ではある。しかし現実はこの空間に漂う大多数の反応ではないのか。訴えているものに迫力が無いというのか。色彩の構図に飾りが欠けているというのか。矢野は戦争の色を理解しようとしない若者に半ば落胆せざるを得なかった。彼らが持っている眼にはそのみずみずしい膚の輝きとは別に恐ろしいほど平和に毒された魔性が潜んでいるように見えた。

 若者の雑踏のなかで座っていると魂とは別に老いぼれていく己の肉体を感じないわけにはいかなかった。眼の前に映る若者の微笑みからこぼれる歯の輝きや言葉の襞の躍動感に眩しさを覚えた。もはや自分にはない純朴で濃密な素地が縦横無尽に息づいているのだ。それは未知に対する爽やかさが謳歌していて三十路女の肌の悶えが霞むような別の甘美に襲われそうになる。そして彼らの踏みしめる床面に虚ろな瞼を滑らせながら己のすり減らしてきた莫大な時間の流れを確認するのである。