水晶占いの女(7) | GENのブログ

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どこで咲いても
いつか散る♪

(第七回)

自分の背中に坊主の影がついている…。この言葉は麻薬に(むせ)ていようが鮮やかに芽は残っていて隙あれば麻痺されること無く正確になぞられた。彼女に写った直感が恐ろしかった。非凡でない眼力が第六感だとすればそれを育んだ環境があるはずだ。

「見て御覧なさい神秘的でしょう。この透明な輝き…。思わない?」

水晶玉を眺める彼女の横顔に静謐な能面を醸し出すような息遣いが表われていた。

「癒しって言うのかしら、心が洗われるわ。ただそれだけ…」

能面には無表情な踏み込めない領域が暗示されていた。

「癒し。なるほどね」

 攸爾はビールを呷り再び衝動的でない無感動な頷きでもって言葉を濁した。思えば単純な心理なのだ。懐疑も偏見も単に無意味な幻想に過ぎないのかもしれない。堕落に流される人間にとってその心理と誠実に向き合う意志など到底持ち合わせないだろう。この店の片隅で連夜ジャズの狂音を浴びながら謎の気体を吸いつづけた人間に正当な感性が甦ると言うのか。

 尋ねた狙いの内容は見事に()り変えられ再び開店前の店内に無作為に促された沈黙の影が澱む。ただ攸爾はビールを口に運び女は紫煙を(くゆ)らせて水晶玉を見つめた。

「ねえ、お願いがあるんだけど頼まれてくれない?」

やっと一杯目のグラスを空けてから珠美はその能面のような仮面から醒めて表情を戻し攸爾に向き直った。

「一週間ほど旅をするわ。留守番をして欲しいの」

「留守番?」

「熱帯魚の面倒を見て欲しいの」

理不尽な脈絡が眼の前の女の全体像を覆っていた。瞬いたような渦巻きがやがてその画面を浮かび上がらせ眩い幻想のなかで泳ぎ回る(にせ)の魚群が迫って来るのである。青山の彼女の部屋の光景とそのパソコンの画面に見入る己の姿がここに及んで繋がってこようとは思いもつかなかった。

「新兵器があるから大丈夫じゃないのか。餌をやらなくても死なせないで済む新兵器が手に(はい)ったって言ってじゃないか」

「違うのよ。生まれるかも知れないのよ。エンゼルフィッシュの産卵があってその卵が何時孵化するか分からないのよ」

「生まれる?」

「そうよ」

 女の眼にこれまでの卑猥な色は消え精悍で瑞々しい(まばた)きが拡がっていた。パソコンの画面が容赦なく攸爾の瞼を抉り様々な矛盾が交錯し合っては点滅した。今度は画面の次元が攸爾を餌食にしていくのだ。この女の示唆する水晶玉の光とか疑似体験の世界に対面する己の存在とはいったい何なのか。幻想のようなこの女との遭遇が何故己の本心を惹きつけるのだろう。堕落している頭脳と肉体のなかに果たしてその価値観の意味が憤然として輝いているというのか。

 珠美の口調は獲り込んだ獲物に対して諭すように語りかけた。

「新しい命が誕生するのよ。これまで何度も見てきたわ。可愛いわよー。今色んな品種が泳いでいるけどそれぞれ誕生日が違うのよ」

「で、どうすればいいの」

「その卵が孵化するまでトラブルが起こらないように飼育して欲しいの。大丈夫、マニュアルは用意しておくから」

眼の前のビール瓶は空になっていた。己の空洞化した心がその空になった瓶にすっぽりと収まっていた。攸爾は内心驚くように凝視し同時に耳を(ふさ)がれるような閑寂を覚えた。話し終えた女はやがて新しいビールを運ぶため再び冷蔵庫に向って立ち上がろうとしていた。

「いつ頃の予定なの生まれるのは」

「多分一月の終わり頃だと思うわ」

 女の言葉の語尾に画面に泳ぐ神秘的な小さな群れが煌きそれは奇怪な拡がりを見せていた。

「ちゃんと孵化させてね」

新しいビールが眼の前のグラスに注がれ謎の契約が成立しようとしていた。並々と膨らむ泡立ちに最早理不尽な疑念は忙殺され鮮やかな熱帯魚の魚群が不透明で怪しく黙された女の影の如く攸爾の脳裏のなかで回遊した。