GENのブログ

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辛くても我慢をすれば
きっと来ますよ春の日が…♪

 

 誠に信じられない現実がある。先日の書簡、謎に満ちている。つまり行方不明になっている。

 先日の書簡とは七月七日に投函した手紙の件であるが当初は宛先の本人自体が返事をないからだと思っていた。しかし、当の本人はそのころ、つまり七月八日からその場所に不在で実際電話したとき(十二日)にはまだ沖縄に居たのだった。だから当然彼はそれを確認することは出来ないことが分かり翌日には大阪に戻るので返事するとのことだった。しかし、翌十三日の土曜日、彼から連絡があり手紙は来ていないとの連絡を受けた。

 つまり、七日夜投函された手紙は標準では十日には配達いるはずで十三日現在届いていないということは住所に誤りがあったか郵便番号が間違ったのか再度彼と照合した結果すべて間違いではなく正しく記載されていた結論になり、結局何らかの事情で手元に届いていないことが判明した。十三日は土曜日で配達はないことと十四、十五日は日、休日となり不明となった手紙の行方は何れにしても謎となって消えた。

 十五日最寄りの郵便局に尋ねると明日いずれにしても相手先の郵便局に尋ねるか若しくは宛先不備で戻ってるかだろうということだった。しかし許せないのは同じ大阪どうしでのやり取りである郵便物がなぜ九日間も不明なのかである。何かの事情とは何なのか。

 

 

 ここ数日というもの重信房子の「はたちの時代」を読み同世代の者として胸に響くものがありそして別の面からしても彼女の不思議な人間像を発見したともいえる。それは究極的に彼女の目指したものが「革命」そのものではなく原点としての「民族闘争」、強いて言えば「人間」そのものではないのかということに辿り着くような気がする。

 今や彼女はブントから始まった「権力闘争」から始まり最後には世界に目を広げ「パレスチナ解放戦線」の歴史へと突入していったのである。つまり「人間」の歴史の根源は「民族」の権力争いの歴史でありその大義名分としてのイデオロギーの対立の歴史でもあった。しかしそれでももっと掘り下げればその元凶となるのは「宗教」ではないかというひとつの仮定が成立するような気がする。

 重信房子は「宗教と政治」には触れてはいないが「パレスチナ問題」におけるひとつの重要なキーとして私はもともと「パレスチナ」という土地が「ユダヤ教」「イスラム教」「キリスト教」という三大宗教にとっての「聖地」であることに根差しているのではないかと思っている。1948年、世界に離散していたユダヤ人たちがパレスチナに戻ってきてイスラエルという国家を建設した。そのときそこに住んでいたパレスチナ人たちを追い出そうとしたことに始まる。いわゆるこのシオニストの暴挙に対して「パレスチナ解放戦線」が蜂起するのである。つまりは「ユダヤ人」と「アラブ人」との「民族闘争」なのである。

 「人間」とはこうしてどちらが正しいかを常に「武力」でもって制圧しようとする生きものであり虐げられるほうはいつの世も世界から同情の眼が注がれる。

 正義の味方として重信房子は立ちあがているが、いったいこの「正義」とは何なのか。「人間すべてに平等に与えられる権利」つまり「生きる権利と自由」を捉えてのことと思うがその「正義」こそがこれまでいかに多くの悲惨な歴史を生んできたことか。「正義」とはいえ同時に「不幸」な結果を生む場合だってあり一概にすべてが「幸福」を得るとは言えない。

 「民族闘争」の根源は他方「われこそが選民」とするエートス、つまりは「宗教心」の顕れでありそれがいつのまにか思想を形成しイデオロギーに転化され「正義」を煽り「闘争」へと駆り立てていく。つまりは「歴史」を塗り変えていく。

 それが「人間」の行動である。正体のわからない不可解な生き物、それが人間なのである。つまり重信房子は「正義を信仰とする人間」の典型的な女性と言えるのではないか。