今わたしの生の原点へ | 前田文香オフィシャルブログ Powered by Ameba

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今日はお休みです。


どっぷり浸りたいお仕事がありますが


その前に なんだかブログを書きたくなりました。


久しぶりの投稿許してくださいね。



今、今日一回目の食事です。

最近はこんな風に毎日鶏ガラスープを頂いています。




いつもいく、地鶏のお店で 大入りの袋入りのもの5日間に分けて頂いています。

そこに「月光」というミラクルソルトを少々、生姜のすり下ろし、少量のご飯が入れば、必ず紫蘇梅干しを入れます。  
奈良の奈良漬けも。


窓を開け少量の光
静かな一人の時間は
覚醒の時間でもあります。




先日私の生まれ故郷島根へ
突然東京のお仕事がなくなり三日間も空きができ、ふと、一人で早朝から車を走らせ行ってきました。


2018年は何かが違う。
新年の三輪大社で引いた御神籤で感じていました。

そして2018年 わたしの周りでおきていること
↓↓↓

◯昨年から一年間両親におきている問題が我が身にふりかかってきた
◯84才の父が車の運転をやめないこと
◯娘が第二子を妊娠し、夏に出産したこと
◯マークの命が苦しんでいること
◯ハワイ島で今後もリトリートを行う予定の「カロコハウス」が三日後から使用が不可能になること


これらのことひとつひとつ、実は全て様々な事情が付随しており、物凄くエネルギーを遣っているものばかり、さらに今年は、台風や地震が関西を何度も襲い、落ち着かない日々の連続です。


そう、ひとつひとつ、慎重にしていてもはらはら。もがいても仕方の無いことばかりです。


今年は自分以外の大切な回りの人や環境が大きく変化をし続けます。



今、きっとそのような「時」

変化を促すとき

エネルギー再生のとき

私自身のこと 大勢の人のこと

地球上にもあること 

今までの常識や価値観、概念で切り抜けるのとは違ったなにかを

取り込むしかない

そう思うしかありません。


しかしながら、

不安は絶対取り込まないようにする。

これが今わたしに課せられたもの。




そんなどうにもならない今を通り抜けるため

ギフトのように降り注いだ自由な三日間のなか

わたしの生まれた場所 島根の江津へ

先月 足を運ぶ事ができたのでした。



7/7 亡くなった祖父母の家すぐ横にある中国地方最大の川、江の川の氾濫で、私の生まれ場所にあるお家はこれ迄にない水の多さと力で半壊となりました。




毎年夏には沢山の親戚家族が10人以上集まる唯一の拠り所でした。もう、それもこれからはできなくなりました。


わたしを40年間を育てた生駒

生駒山の山越えをする道の名前がついた地酒酒 「くらがり越え」の一升瓶を御神酒に持参。


母のご先祖様が引き継いできたのこの土地全体に御神酒を注ぎ、感謝の意を捧げて参りました。



そして 祖父母が生前大変お世話になった女性の美奈子さんに突然の訪問にもかかわらず、再会がかないました。



山の奥にある

戦争時代の家族が眠る方々

親戚の亡くなられた方々が眠るお墓へ

なんと、一緒に参ることが叶いました。

二人でお掃除、御神酒をお墓に
また、広い二段にわたる敷地にあるお墓すべてに振舞い

お線香や傷まない御供えをしてきました。





その後は、この土地の御山が御神体の
氏神さま 鎮守の神様へ ご挨拶に

こちらは、中へお参りさせていただいたのは
初めてです。この一週間後はお祭りというとても整った空気の時にご縁を頂き、溢れるものがありました。

奈良でわたしがずっと結婚時代に神棚におまつりさていただいた、天河神社の神様の場所がとても似ておりました。





美奈子さん、お一人で暮らしておられましたが
とてもお元気で母や娘へと お米をいくつも頂いてしまいました。


島根のお家を誰もいない間いつもおそうじ、空気の入れ換え、

生前の祖父母をずっと親身になり介護してくださった身内以上のお世話になった方なのです。

この方がいるから、またここへ戻ってこよう!


そう思うことができました。




その夜、とある居酒屋へひとり。


そこには、新しい、素晴らしい出会いも待っていました。
お宿も考えていなかった私に、どうぞ家に泊まってくださいと、ご夫婦にいっていただくほど、沢山のお話ができました。

わたしの生まれた地で初めてこのような出逢い。



私は早朝、日の出とともにどうしてもいきたい場所がありました。





ここは、母も、私も、わたしの娘たちも、そしてマークもが 


初めて生まれて直ぐに海という出逢い 
ご縁結びを頂いた場所









ここでしばらくの時間 波や風
トンビとともに静かに過ごし
沢山のことを思い出しました。


わたしのすべての原点の場所


本来なら母と来るべきだったかも
そう思うはずですが、違うんです。




人には 自分だけのために与えられた

たった一つの 道がある



これまで考えてきた わたしとは違い

もっと 深く豊かに生きることと向き合うために












この海を後にして

子どもたちと、島根の里帰りの帰り

必ず立ち寄ったきた

広島の原爆ドーム 平和記念公園へ









前夜は大雨に見舞われましたが

この日は本当に美しい空の1日でした。




このタイミングでこの地に足を下ろせたことも
祈ることができたのも
魂が呼んだのか 呼ばれたのか、、
必要だったのかなと思います。


インスピレーションのままに向かう旅



島根を訪れたあと、blogなど
outputを控えたモードになってしまいました。


鎮守のときだった、かもしれません。








最初に上げた5つの◯も どうしようもないことでしたが、今ではこのように。。
↓↓

⚫昨年から両親におきている問題が我が身にふりかかってきた→これはいつかは家族で受け止めるべきことだった→癒すために起こることだった。

⚫84才の父が車の運転をやめないこと→
あんなに止めたくないと言っていたのに、ある日85才目前で、突然止めてしまいました。今は電車通勤そして、診療所も閉めようという流れに。なんと新しい人生の始まりの予感‼️

⚫娘が第二子を妊娠し、夏に出産したこと
これは大変おめでたいこと、ですが、まだ本人実は学生の身。→第二子出産後、新居に移りゆったりとした時空間で育児。そして学校卒業資格を受理するため、運転免許を獲得し一時間かけて学校へ通うことも許してもらっています。


⚫マークの命が危ぶまれて、希望を喪失しかけた→ぱぱさんは一心同体でマークを日々生かしています。肉味の床擦れを自ら治療、ご飯は自ら手作り、会社へもかごに入れて同行、リハビリはかかさず毎日行う。→その気力にマークは命をとり戻したかのように目が輝いてきました。

⚫ハワイ島で今後もリトリートを行う「カロコハウス」が明後日から不可能になる→
新たなプロジェクト、サポートメンバーが立ち上がり、さらにこれまでの地道な力が希望に変わるチャンス‼️ カロコハウス再生の時をともに乗り越える覚悟です★



とにかく順調に 

意味ある 善き方向へと進んでいくためのこと

だったようなのです。



起こることはすべて

かかわる人や地場や環境、状況の

覚醒のためだと気付かせていただいたよう





いつも、ブログを読んでくださる方々に
こころより感謝です🌸



メッセージくださる方
いつも ありがとうございます🌼







今朝のマークの様子が届きました。



生きてます✨