2月27日。ネガティブは悪くない。自分はそう考えている。かくいう自分はネガティブである。ポジティブにあこがれを持っている。
いったん話は変わるが、個人的に進化論は信じていない。何故かというと提唱したダーウィン本人が「人間には一番当てはまらない」と言っているからであり、また都市伝説やロマンが好きであるためサルから進化したのは誤りであると思っていたほうが面白いからである。
しかし、自然淘汰の考えは正しいと思っている。
キリンの首が長いのは、ある時比較的首の長い個体が誕生し、生存競争に有利であったときに必然的に子孫を残す確率・残る子孫の数が増える。すると競争に有利な首の長い個体が増殖し、不利な短い個体が淘汰されキリンは首の長い種であると「進化」する。
この自然淘汰は不利なものやいらないものが消滅していく。
さあここで話を戻すが、では良くないと言われているネガティブというものが何故淘汰していないのか。それは生存に必要であるからであると思われる。
日本でいう縄文時代の頃、人間らが地点Aで休憩しようとしたとする。ポジティブな人間は「天敵はやってこないだろう、来たとてその時に考えよう」と休憩すると思われる。一方ネガティブは「ここは危険である、見張りを付けて常に警戒するとしよう」と考え、すぐに休憩につくことなく最悪の事態を想定し休むであろう。
この両者のどちらが生存に有利かと言ったら後者である。もちろんこの部分だけを切り取ってポジティブを否定しているのではないうえ、当然ポジティブのほうが有利になる展開もある。しかし人間が生き残る上でネガティブな思考は必要であったと考えられる。
つまり言いたいことは、ネガティブも状況によっては必要な思考であるということ。
物事はどれも一長一短あるように、ポジティブとネガティブもそれぞれ一長一短あり、ポジティブが100良い・ネガティブは100悪いということではないのである。
もう一度言うが、自分はポジティブに憧れている。心配性もうっとおしい。
だがネガティブも必要なものなら自分を肯定できる。日々が豊かになるだろう。
今日も一日穏便に過ごさせていただきありがとうございます。皆様にいいことがありますように。
まえっち