旧碓氷郡松井田町・霧積山女性殺人事件その17(令和3年、写真に関する追記5) | 雑感

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霧積山女性殺人事件

「その16」からの続きです。

 「心霊写真」「金洞の滝前の写真」の警察による扱いが、「忍の池前の写真」のそれと違い過ぎる件

実は「心霊写真」のみならず「金洞の滝前の写真」についても、その実在を少し疑ってしまっているという懺悔めいた話を・・・。

なぜ「金洞の滝前の写真」についてまでそんな気持ちがあるのかといいますと、その写真と「忍の池前の写真」についての警察の扱いがあまりにも違い過ぎるからです。

ご存じの通り、「忍の池前の写真」については、警察はその実物を上毛新聞にリークし、同写真は1972年8月19日付の紙上に掲載されているわけですが、
「金洞の滝前の写真」については(当然ながら「心霊写真」についても)、警察はついに世に出しませんでした。
この扱いの違いは何なのか?と。

そこで、そもそも警察がなぜ「忍の池前の写真」について上毛新聞にリークしたのか?というところから考えてみるわけですが、
そのヒントは、上毛新聞の記事自体に表れているのではないかと。

つまり上毛新聞は「忍の池前の写真」を初掲載した1972年8月19日付の記事で、

「誰が撮ったこの写真」
「ナゾ秘めた五コマ」

と見出しを掲げたうえで、次のように書いています。

「同日、捜査本部では、現場の造林小屋内に隠されていたKさんの所持品を再点検、このうちカメラはKさんが帰路途中で、だれかに撮影を頼んだとみられるものなど五コマをとらえていた。このコマは『霧積館』から三百メートルほど上ったところにある『忍の池』のえん堤付近で撮ったもの。このため、捜査本部では、何かの理由でKさんと一緒になって撮影を頼まれた人が、事件発生当日の十三日午後二時前後に安中市のAさんに目撃される時点まで、空白になっているKさんの行動を解明する重要なカギをにぎっているものと見て、発見に全力をあげている(原文ママ)」

さらに翌20日付の記事では次のように書いていると。

「捜査本部は、被害者の伊勢崎市昭和町、ガソリンスタンド店員Kさん(二四)のカメラから現像された”最後の写真”撮影者の割り出しを急いでいたが、十九日夜、Kさんに頼まれてシャッターを押した-と都内に住む人が電話で名乗り出た。撮影時間の特定と、Kさんの帰路途中、”接点”を持った人の出現は現在の捜査段階では重要なポイント。このため捜査本部ではきょう二十日、この人から当時の状況をくわしく聞く方針(原文ママ)」

要するにこの「(忍の池前の写真の撮影者の)発見に全力をあげている」とか「”最後の写真”撮影者の割り出しを急いでいた」とかの上毛新聞の記述に、「忍の池前の写真」をリークした警察の意図が反映されているのではないかと思うわけで、

おそらく警察としてはなんの考えもなしにただ漫然とこの写真をリークしたわけではなく、それを新聞紙上に掲載させることで---ネガを渡すはずはないので何枚か焼き増し(死語)してそのうちの一枚を渡し、ついでに捜査本部が行った検証写真の焼き増し分も渡したのだろうと推測しますが---例えば「犯人が何らかのアクションを起こしてくるのではないか」とか、あるいは、

自分は犯人ではないが、写真を撮影したのは自分だ
撮影した人を知っている
撮影現場と思われるシーンを目撃した(それは何時ごろで、場所はここ、撮影者の容貌・背丈・年齢はこんな感じ、こんな服を着ていた、こんな靴を履いていた(シューズ、長靴、あるいは地下足袋風など)、こんな帽子をかぶっていた、その近くにこれこれのサイズの何色の車がとまっていた)」

等々の情報を寄せてくれる人が現れるのではないかとか、とにかく、事件解明への糸口となるようなリアクションがあることを期待したのではないかと。

ここで思うのですが、「撮影者不明」という点では、「金洞の滝前の写真」「心霊写真」も、「忍の池前の写真」と全く同じなわけです(レポートには、撮影者が判明しているのは最初の2コマ=「水車前の2コマ」のみであり、その他はすべて撮影者不明とある)。

そして同じである以上、警察は、「金洞の滝前の写真」「心霊写真」についても、「忍の池前の写真」と同様に新聞紙上に公開させ、それぞれについて、

「この写真を撮影したのは誰ですか?」
「撮影者に心当たりはありませんか?」
「撮影現場を目撃した人はいませんか?」
「それは何時ごろでしたか?」
「場所はどこでしたか?」
「どんな風体の人が撮影していましたか?」
「近くに車がとまってませんでしたか? それはどんな車でしたか?」

等々の情報を募りたかったはずではないかと。
(しかも「心霊写真」などは「撮影者」のみならず、もしかすると「撮影場所」さえ不明の得体のしれないしろものであり、加えてそれを目撃したという女性によれば、そこに写った被害女性の表情は「生気がなくて、まるで抜け殻みたいだった(205ページ上段、原文ママ)」とさえ言っているわけですから、事件への関連が疑われる度合いはこの「心霊写真」のほうが「忍の池前の写真」よりも強い印象であり、それならばなおのこと、警察はこの写真については公開して情報を募りたいはずではないかと。)

しかも、第一弾の「忍の池前の写真」公開の目的がある意味「不発」に終わった以上は(つまり「私が撮影した」と名乗り出てきた石田某はでたらめの住所を言ったうえ、警察には出頭しなかった)、
次なる2枚(金洞と心霊)をメディアに公開し、撮影者についての情報を待つ・・・というのが自然な流れではないかと思われるのですが、なぜか、その2枚については、時効が成立してしまうまで(そしてその後も)ついに世に出ることはなかったと。

とすると警察は、この2枚については、

「撮影者も割り出せないまま、メディアに公開して情報を待つということもしなかった」

という、「忍の池前の写真」とはあまりに異なる扱いをしたのかということになるのですが・・・。
(特に「心霊写真」については、公開されなかったどころか、金湯館のご主人や「アルバイトの男性」ですらその存在について言及していない。)

しかしそれはあまりにも不自然ではないでしょうか?

やはり自分としては、もし本当に「金洞の滝前の写真」「心霊写真」の2枚が存在したのであれば、警察はそれらの2枚を「忍の池前の写真」と同時に---あるいは時期は別にしても少なくとも時効が成立してしまう前には---メディアでの公開に持ち込み、撮影者に関する情報を呼び掛けたのではないか・・・との思いを拭えないわけです。

しかし、ついにそうはならなかったという展開から考えてみれば・・・「心霊写真」のみならず、「金洞の滝前の写真」についても、その実在について疑念を抱かざるを得なくなる・・・少なくとも諸手を挙げてその実在を真実として受け入れるわけにはいかなくなると。
(レポート中では「金洞の滝前の写真」について証言したのは金湯館のご主人だとされているので一応断っておきたいのですが、自分的にはご主人のその証言について虚偽性を疑っているというのではなく、言いにくいのですが、単なる勘違いか、本を出版された側による脚色の可能性のほうを考えているということで・・・)

では仮の話として、「心霊写真」のみならず「金洞の滝前の写真」も実は存在しなかったとすれば、その2枚に代わるものとして、実際は一体どんな写真であったことが考えられるのか?・・・ということを考えてみるわけですが、

この点、「警察は『忍の池前の写真』以外はメディアに公開していない」という部分を重視して考えるなら、その2枚は警察にとって、

「撮影者が100%判明しているわけではないが、さりとて公開して撮影者その他の情報を募るには及ばない」

と判断される程度の写真だったのではないか、
そして仮にその2枚が「Kさんが被写体となっている写真」つまり「Kさんが何者かに撮影を頼んだとみられる写真」だったのであれば警察が「公開して情報を募るほどの写真ではない」と判断するとは考えにくいとすれば、その2枚は

Kさんが被写体になっておらず、Kさん自身がシャッターを押したと推定される写真

だったのではないか、
例えばそれはチェックアウト時に金湯館の正面玄関を写したものであるとか、峠から見下ろした金湯館の遠景であるとか、
ホイホイ坂の途中の(忍の池も含む)風景写真であるとか、ホイホイ坂を下りたところにある(現在閉館していますが)事件前年に開業したばかりだった新館『霧積館』の建物や水車を写したものであるとか(特にこの新館の建物や水車については、Kさんはその真横を通って林道を下って行ったわけで、だとするとその写真も撮らずにスルーしたと考えるほうが不自然とさえ言えるかもしれない)、霧積館を少し下ったところにある金洞の滝の風景写真であるとか、
とにかくその種の「Kさんが被写体になっていない写真」であった可能性が高いのでは?・・・と思われるのであり、
その撮影場所も早々に特定されたため、警察的にはあえて「忍の池前の写真」のような「撮影者の割り出し必須」という扱いとはせず、それ故ついに世に出されることもなかったのではないか、
そしてその想定---つまり「5コマの中には、Kさん自身がシャッターを押したと推定される写真も混ざっていたのではないか」とする想定のほうが、

「だれかに撮影を頼んだとみられるものなど五コマ(原文ママ)」

という上毛新聞(1972年8月12日付)の記述とも整合するのではないかと思うわけです。(下は現在閉館している「霧積館」の水車)

霧積山女性殺人事件

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長くなりましたが以上です。

こうした思いが心の底にわだかまっている結果として、自分としてはレポートに書かれている事柄のいくつかについて直ちには事実として受け入れがたく、
特に「心霊写真」云々については下の三つの結論に落ち着いており、今でもその点に変更はないといったところです。

 「心霊写真」は最初から存在せず、それが「被害女性の最後の写真(5コマ目)である」としたのは、ミステリー好きの読者の想像力を刺激するようなインパクト抜群の結末にするためのライター氏・編集者氏による脚色だったのではないか(私は例の新潮45の「自殺実況テープ」についても、男が旅館で首吊り自殺を試みる途中から鳴り続けていたというあの「黄泉の国から吹き付ける風のようなゴォーっという轟音」については「ライター氏か編集者氏が色を付けられたのではないかなあ・・・」と勘ぐっているのですが、この霧積の「心霊写真」についても、それと似たようなものではなかったのかなと。)

 「心霊写真」は確かに存在したが、それは霧積事件の「最後の5コマ」に関連するものではなく、単にKさん(被害女性)が生前に霧積以外で撮影した、事件とは無関係の一枚に過ぎなかった。警察が事件捜査にあたってKさんの自宅から多数の物品を持ち出した中にその写真(を収めたアルバムなど)も含まれており、それらの物品が遺族に戻されたときに、隣人の女性がそれらを見せてもらう中で、その「心霊写真」も目に入った。後年のライター氏の取材に対して、女性が錯誤・記憶違いなどによりその「(事件とは無関係の)心霊写真」のことを「Kさんの人生最後の写真」と語り、ライター氏はそれを「5コマ目」であると解釈した。

 「心霊写真」は確かに存在したが、それは霧積事件の「最後の5コマ」に関連するものではなく、単にKさん(被害女性)が生前に霧積以外で撮影した、事件とは無関係の一枚に過ぎなかった。警察が事件捜査に当たってKさんの自宅から多数の物品を持ち出した中にその写真(を収めたアルバムなど)も含まれており、それらの物品が遺族に戻されたときに、隣人の女性がそれらを見せてもらう中で、その「(事件とは無関係の)心霊写真」も目に入った。後年のライター氏の取材に対して、女性が「警察から戻された写真の中にはそうした気味の悪い写真もあった」ということを語ったところ、ライター氏か編集者氏が「この話は使えるじゃないか」となり、例の「最後の5コマ」に絡めて少し脚色をされた。

しかしこれら以外にもう一つ、「心霊写真」の解釈として「あり得るかも」と思えた見立てがありまして、これは「その13」の冒頭で紹介したコメントを書かれたmiyonetto氏がだてレビさんの動画のチャット欄で指摘されていたことなのですが、それによると、

④ Kさん(被害女性)が「金洞の滝」の前で橋の欄干にもたれかかって写った写真の中で、Kさんの足が橋の欄干と一体化して、あたかも足が消えているかのように(つまり心霊写真風に)写ったのではないか、とのことでした。

つまりその写真を見た女性が、単に光の具合か何かで欄干と足が一体化して足が消えているように写っているだけだということに気づかず、

「なにこれ、足が消えているじゃないの、気味が悪い・・・」

という印象を受け、さらに滝の周囲を覆う樹木の茂みを「笹やぶ」と勘違いし、それを後年に受けたライター氏からの取材に対して「笹やぶの中でKさんの足が消えている気味の悪い一枚」として語った可能性もあるのではないか、ということになるかと。

これは「金洞の滝前の写真」の実在を認める立場から考えれば、あり得る話ではないかと思います。

イメージとしては次のようなものになるかと。1枚目が5年前に掲載していた「金洞の滝前の写真」のイメージ画像で、
2枚目が、1枚目の画像を「脚の途中から白い煙だか雲みたいなものが出ていて、下のほうが切れてる(原文ママ)」ような心霊写真風に仕立ててみた画像です。(「下のほうが切れてる」という言葉については、実は単に「足の下のほうが写真内におさまっていない状態」をそう表現した可能性もあるかと思っているのですが、ここでは心霊写真風に「足の下のほうが消えていたもの」と解釈して作っています。)

霧積山女性殺人事件
霧積山女性殺人事件

金洞の滝前で撮った写真を果たして「笹やぶ前の、足の下のほうの消えた心霊写真」と見間違えるものかどうか、そこは微妙かもしれませんが(ちなみに当時は木製の橋だったとのこと)、
しかし、足の下のほうが消えていたということへの解釈として

「欄干と足が一体化して、足が消えたように写っていたのではないか?」

とされた点については、撮影時の手振れであるとか、ピンボケ、光の具合によっては必ずしも起こりえない現象とも思えず、
また、Kさんの背後に写っていた水の流れ(すなわち滝そのもの)や滝つぼからの水蒸気なども、写真のボヤけ具合によってはあたかも写真の下部から白いモヤが立ちのぼっているかのようにその女性には見えた可能性もなくはないと思われ、
そう考えるとこの「足と欄干が一体化して足が消えたように写ったのでは?」という見立ても可能性の一つとしてありだろうと思われ、なにより自分では考えてもみなかった発想に目を開かされる思いがしましたので、こちらで紹介させていただきました。

笹やぶ前の「心霊写真」について、今現在の自分の考えとしては先の①②③そしてといったところですが、もちろん、私が書き並べたようなことはすべて的外れで、実際本当にそうした「心霊写真」が被害女性の生前最後の一枚(5コマ目)として存在しており、
そしてライター氏が取材した女性が確かにその写真を目にしていた・・・という可能性もあるかと思っています。
(必ずしも心霊現象によらずとも、偶然に起きた多重露光によって不気味な写真が出来上がった可能性だってあるわけです。)

なので今回の追記については、「心霊写真」の存在を頭から否定してかかりたい趣旨であるとか、

「フィクションを混ぜているんじゃないか」
「元ネタの新聞記事とは記述が変わっているじゃないか」

とかのことをあげつらい責め立てたいであるとかの趣旨ではなく、あくまで、下の画像の3、4コマ目がそれぞれ別人を写した写真であろうという見方に説得力を感じたということ、しかしながら一方で、5コマ目が「心霊写真」であったかという問題については、今回並べたようなことが心に引っかかっており直ちには真実とは受け入れることができずにいるため、先の①②③(現在はもあり)の結論に変わりはありません・・・という程度の趣旨として受け取っていただければと。

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