The Number Of The Beast(666・黙示録の獣の謎)・その8 | 雑感

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ヨハネ黙示録

「電波系(でんぱけい)」・・・荒唐無稽な妄想や主張を周囲に向かって公言する者のことを指す言葉。他に「電波」「デンパ」「デムパ」などと表記されることもある。(ウィキペディア「電波系」より)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E6%B3%A2%E7%B3%BB

 

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さて「その6」でヨハネ黙示録12章~18章までを、コピペと画像、それに短いコメントを付して紹介したのですが、今回これらの章の一部について、エドガー・ケイシーによる解釈であるとか、自分なりに思ったところを書いてみたいと。

 

まずは12章、「太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた女」と、その女が産む子を喰い尽くそうと待ち構えている「大きな赤い竜」の話から。

(以下、いつもとは逆になるのですが、青字の部分が黙示録の本文で、それ以外が当方のコメントです。)

 

 ヨハネの黙示録 12章

 

1 また、巨大なしるしが天に現われた。ひとりの女が太陽を着て、月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっていた。 
2 この女は、みごもっていたが、産みの苦しみと痛みのために、叫び声をあげた。 
3 また、別のしるしが天に現われた。見よ。大きな赤い竜である。七つの頭と十本の角とを持ち、その頭には七つの冠をかぶっていた。 
4 その尾は、天の星の三分の一を引き寄せると、それらを地上に投げた。また、竜は子を産もうとしている女の前に立っていた。彼女が子を産んだとき、その子を食い尽くすためであった。
5 女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずである。その子は神のみもと、その御座に引き上げられた。 
6 女は荒野に逃げた。そこには、千二百六十日の間彼女を養うために、神によって備えられた場所があった。

 

「大きな赤い竜」とくれば今の時代ならそれは「共産主義中国」のことだろう、それが「十二の星の冠の女(が産んだ男の子)」を襲おうとしているというのであれば、それは中国が将来的にEU(十二の星の旗)を襲うということだろう・・・などとベタな解釈をしたくなるのですがそれは自重するとして(というか、そんな意味ではないと思います)、

この、「太陽を着て月を足の下に踏み、頭には十二の星の冠をかぶっている女」や、その女が産む「鉄の杖をもって、すべての国々の民を牧するはずだが、神の御座に引き上げられた男の子」が具体的に何を意味しているのか、これについては、

「女は聖母マリアを、男の子はイエスを象徴している」

「女はイスラエルを(十二の星をイスラエルの十二部族であると解釈する)、男の子はイエスを象徴している」

等々、様々な解釈があるようなのですが、

エドガー・ケイシーによると、

 

「女」 = 「集合的無意識(collective unconscious)」

「女が産んだ男の子」 = 「顕在意識(the conscious mind)」

「太陽を着て月を足の下に踏み」 = 「生命力(太陽)と本能(月)の支配(In control of vital forces, instincts)」

「十二の星の冠」 = 「完全な状態(Perfect state)」

「大きな赤い竜」 = 「霊的レベルでの反逆衝動(Urges for rebellion on spiritual level)」

「赤い竜の七つの頭と七つの冠」 = 「人体内の七つの内分泌中枢を支配する反逆衝動(Rebellious urges in control of endocrine centers)」

「赤い竜の十本の角」 = 「感覚器官を通して欲望を満足させようとする強い衝動のこと(Aggressive urges for self-gratification through senses)」

 

などとしており、意味は不明にせよ、少なくともケイシーがここでも黙示録の描写を「外部世界に起きる出来事」としてではなく、一人一人の人間のうちで起きる内的出来事として読み解いているということは、なんとなく分かるかなと。

 

ケイシーによると、「太陽を着て月を足の下に踏み十二の星の冠を被った女」すなわち「集合的無意識」が、「男の子」すなわち「顕在意識」を産み落とすと同時に、それ(顕在意識)に競合する自我の意思の力が発生し、人間のうちにおいて反逆の周期がめぐり始める・・・とかいうことで(With the coming of the conscious mind, the rival force of Self Will occurs, which brings about recurring periods of rebellion in Man.)、

このあたりの流れが、黙示録では「男の子が産み落とされると同時に、大きな赤い竜がそれを食い尽くそうとする」として象徴的に描かれているらしく、

さらにケイシーによると、黙示録のこのくだりは、旧約聖書『創世記』におけるアダムとイヴの創造や、両人が蛇(悪魔、赤い竜)にそそのかされて善悪の知識の実を食べたこと(による自我の芽生え?)、その結果としてのエデンの園からの追放(内なる楽園の喪失)・・・といったあたりに対応しているとのことでした。

黙示録の21章以降では人間が再び楽園を取り戻した様子が描かれるのですが、ケイシーによると、新約の最終巻である黙示録は、旧約の冒頭である創世記とリンクしており、黙示録は創世記で失われた人間の内なる楽園を再び取り戻す物語であるとのこと。

(ただケイシーの解説は、言いたいことはなんとなく分かるにせよ、抽象的に過ぎるのかなと。私は彼のは確かに黙示録の奥義に触れているのではないかと感じるのでこうして書いてはいるのですが、その内容が抽象的に過ぎ分かりにくいというのが、書いていてキツイと感じるところではあります。)

 

問題はその次、「天での戦い(ミカエル軍 vs 悪魔軍)」のシーンなのですが・・・。

 

7 さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、 
8 勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。 
9 こうして、この巨大な竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。
10 そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現われた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。 
11 兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。 
12 それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。」

 

この、「七つの頭と十本の角を持つ赤い竜(悪魔)がミカエルとの戦いに負け、天から地に下った」という部分、ここはケイシーの解釈によると、

「反逆の力が精神のレベル(天)から取り除かれて肉体(地)に座を占めた。(The forces of rebellion are removed from the levels of mentality and now have their place in the body.)」

ということを意味するとのこと。

これ、受け取りようによっては、反逆の力そのもの(悪魔)が肉体に降りた(受肉した)ともとれる解釈であるような気がするわけです。

 

ところでこの種のオカルトめいたネタを扱うとなるとどうしても「あなたは信奉者? それとも懐疑派?(旗幟を鮮明にせよ)」という問題が生じると思うのですが、

自分としては信奉者とか懐疑派というよりはどちらかというと「便乗派」であることを自覚してはいるのですが、

そんな自分的には、黙示録12章のこの「悪魔が天から地に下り~~」の部分からどうしても思い浮かべてしまうものがあるわけです。

それは---ここからは電波がきつくなるのですが---例の16世紀フランスの医師にして占星術師・ミッシェル・ノストラダムス氏(以下、ノス氏)の

 

「1999年に天から恐怖の大王が来てアンゴルモアの大王を復活させ~~」

 

という、あの有名な予言詩です。

つまり、もしかするとあの詩の2行目、「天から恐怖の大王が来て・・・」というのは、黙示録12章のこの「悪魔が天から地に下った」という部分のことを言ったものではないのかなと。

 

ノス氏はユダヤ系の(表向きは)カトリックの信者であり、意味不明の代物ながらもあんな詩集を---つまり戦争だの疫病、洪水、地震だののワードに満ちた終末観満載の予言詩集を残したくらいですから、

「きっと同じく終末観満載のヨハネ黙示録なんかもよく読んでいたのではないか」

「だとすると、その黙示録に描かれた禍々しい出来事や、それらが起きる時期については、彼なりに自分の『予言詩』の中でこっそり『予言』してみたこともあったのではないか」

などと想像してしまうわけです。

その仮定のもとに、例えばこの詩(百詩篇第10巻72番)などを見てみると、

 

L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois,
Du ciel viendra un grand Roi d'effrayeur:
Resusciter le grand Roi d'Angolmois,
Avant apres Mars regner par bon heur.

 

この2行目と3行目のところですね、

 

「天から恐怖の大王が来て(2行目)、アンゴルモアの大王を蘇らせる(3行目)」

 

この、「天から何か恐るべきものが下ってきて、何かはよくわからないが、怖そうな何かを蘇らせる」というモチーフ、これ、そこはかとなく既視感があるわけですよ。「なんだ、これって黙示録12章以降で描かれたモチーフにそっくりじゃないのか」と。

(黙示録12章「ミカエルとの戦いに敗れ天から地に下った悪魔」、黙示録13章と17章「昔いたが今はおらず、やがて底知れぬところから上ってくる獣666」)

 

つまり想像ですが、ノス氏の頭の中では、あの「天から恐怖の大王が~~」の詩は、おそらく彼自身よく読んでいたであろうヨハネ黙示録における「悪魔が天から地に下った(12章)」という部分と、その後の「獣(666)の復活(13章、17章)」について「予言」したものであり、それらの出来事が起きるのが彼的には「1999年」であると考えていたのではないか・・・、

 

仮にそうだとすると、天から来る「恐怖の大王(grand Roi d'effrayeur)」とは黙示録12章で描かれた「悪魔(大きな赤い竜)」のことだということになるし、

それが復活させる「アンゴルモアの大王(grand Roi d'Angolmois)」とは、黙示録13章以降で描かれた「黙示録の獣(666)」のことなのではないか、

 

しかもユダヤ系で謎掛け文大好きなノス氏のことだから、もしかするとヘブル語のゲマトリアの知識も有しており、「アンゴルモアの大王(grand Roi d'Angolmois)」というフレーズの中にゲマトリアによる秘密の意味を込めているのではないか・・・という推測が働くのですが、

そこで試しに、「アンゴルモアの大王(grand Roi d'Angolmois)」のゲマトリアをとってみると、

 

g(3)+r(200)+a(1)+n(50)+d(4)+R(200)+o(0)+i(10)+d(4)+A(1)+n(50)+g(3)+o(0)+l(30)+m(40)+o(0)+i(10)+s(60) = 666

 

そう数えることもできるわけです。

(定冠詞のleは計算していませんが。ここでは総じて名詞に付いている冠詞が定冠詞か不定冠詞かといった細かい部分については気にしていません。また、今回ゲマトリアについて外国のサイトなども見て分かったのですが、ヘブル語のゲマトリアの法則をローマ字のアルファベットa~zに当てはめたときに、どのアルファベットにどの数字を割り振るかには、いくつか異なるパターンがあるようで、どの数え方が絶対とも言えないように思います。その程度の、ある意味では「どうとでも数えられる」曖昧な法則をもとに「アンゴルモアの大王(grand Roi d'Angolmois)」のゲマトリアをとってみて、結果的に「666」と数えることができる場合もありますよ・・・という程度のことなので、「『皇帝ネロ』のゲマトリアを数えたときとは数え方が違うじゃねーかっ!」等のマジな突っ込みはなしでお願いします。また、黙示録で描かれた「獣の復活」というモチーフについては、このブログのように「ある特定の個人666の復活」ではなく「ある特定の古代の帝国の復活---例えば古代ギリシャ帝国や古代ローマ帝国の復活」であると解釈する向きもありますし、その他、ローマ皇帝のネロやドミティアヌスなど様々な歴史的人物を動員し、過去主義・未来主義・歴史主義その他様々な立場から解釈が試みられているのは知ってはいますが、ここで漏れなく紹介していくのはきついですので、割愛させていただきます。関心をお持ちの方は、独自に調べてみていただければと。)

 

ヨハネ黙示録

ヨハネ黙示録

 

ともあれ、もしこの解釈(アンゴルモアの大王 = 666)でOKであれば、ノス氏のあの有名な詩は、

 

「黙示録12章に描かれた、天での戦い(ミカエル軍 vs 悪魔軍)と、悪魔軍の敗北、悪魔軍の天から地への墜落という出来事は1999年に起きるのであり、その年に、地上では黙示録の獣(666)の復活がある。」

 

ということを言っていると読めるのであり、

また仮に、それがこの詩に込められたノス氏の真意だったとすれば、彼にとっては「アンゴルモア(Angolmois)」というけったいな造語にも実は重要な役割を持たせていたということであり(つまりこの語には、詩の3行目「grand Roi d'●●●●●」の部分が1行目と韻を踏みつつ、なおかつゲマトリアの総和が666になるよう調整する役割があった)、

だとすれば、「アンゴルモア(Angolmois)」という彼の造語については、一部解釈のようにAngoulmoisとかAngoumoisといったように"u"を付け足したり"l"を抜いたりして綴り変えて読むべきではなく(綴り変えてしまうと、ゲマトリアの総和が666にならなくなる)、あくまでAngolmoisのまま読むべきなのではないかなと個人的には思います。

 

いずれにしてもこう考えると、ノス氏が例の有名な詩で言っていたのは、

「1999年に大戦争が起きる」

「1999年に人類が滅亡する」

とかいうことではなく(そもそも件の詩には「戦争が起きる」とか「人類が滅亡する」とかは書かれていない)、繰り返しになりますが、

 

「1999年に黙示録12章以降で描かれた悪魔の天からの追放と、黙示録の獣(666)の復活がある」

 

ということだと読めるのであり、その復活というのを文字通り「生まれること」と解して、「獣(666)の生まれ年 = 1999年」とすれば、この人物は2020年現在すでに21歳ということになりますし、一方で復活ということを「覚醒する」という程度の意味にとり、「ある人物の中に眠っていた悪魔的な素質が1999年に覚醒する」という意味に解すれば、その人物は2020年現在で21歳よりは上だろうということになるのかなと。
(ちなみに、カトリックの聖母予言「ラ・サレット36の告知」の中でも、「聖母」は---時期については言及されていませんが---「反キリスト(Antéchrist)」「悪魔の化身(le Diable incarné)」が地上に生まれると予告しており、その人物のことを「獣(la Bête)」と呼んでいます。新約聖書中でその「反キリスト」---と思われる人物---の到来について黙示録以外で最もよく言及しているのは、パウロによる書簡『テサロニケ人への第二の手紙』2章3節以降でして、長いですが該当部分をそのまま引用しますと、

 

「まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日(注:キリストの再臨のこと)は来ない・・・彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。私がまだあなたがたのところにいたとき、これらのことをよく話しておいたのを思い出しませんか。あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現れるようにと、いま引き止めているものがあるのです。不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。その時になると、不法の人が現れますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。不法の人の到来はサタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行われます。」(引用終わり)

 

このようにパウロの書簡中にも、「悪魔が、自分が取り除かれるそのタイミングで、最後の悪あがき的に地上に自分の化身のような男---パウロ曰く『不法の人』『滅びの子』---を誕生させる」という意味のことが書かれており、これは、ヨハネ黙示録12章以降に描かれた「悪魔の天からの追放」「地上における黙示録の獣の復活」というモチーフに通じるものがあるのではないかと。)

 

ここでエドガー・ケイシーに戻るわけですが、彼は黙示録12章の「七つの頭と十本の角を持つ赤い竜(悪魔)がミカエルとの戦いに負け、天から地に下った」という部分を、

「反逆の力が精神のレベル(天)から取り除かれて肉体(地)に座を占めた。(The forces of rebellion are removed from the levels of mentality and now have their place in the body.)」

という意味であると解釈していたわけです。

彼はここで決して「黙示録の獣(666)の復活が~~」などといった「外的出来事」には言及しておらず、あくまで一人一人の人間が再生に向かう過程でその心身のうちで起きてくる「内的出来事」として読み解いているのですが、

あえて上の彼の言葉を「外的出来事」風に解釈してみれば、それは「悪魔が肉体に降りたこと」つまり「悪魔が受肉した」とか「悪魔が地上に化身した」とかいった意味にも受け取れるのであり、こうなると、先述したノス氏の詩についての解釈とも---それが起きるのが1999年かは別として---合致してくるのではないかと思うわけです。

 

いずれにしても、仮に本当にこんな人物(666)がすでにこの世に生まれており、遠からず世界中の人々から、

「だれがこの獣に比べられよう。だれがこれと戦うことができよう(黙示録13章4節)」

と恐れられ、

「聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され(キリスト教徒の大迫害)、また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた(黙示録13章7節)」

「獣の像に息を吹き込んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた(黙示録13章15節)」

などという、アメリカや国際機関による睨みも全く効いてないと思われるような、国家の力関係も価値観も崩壊したような世の中が到来するのだとすれば、

そこに向けての地ならしになるであろう今後の世界のタイムスケジュールも、おおよその見当がつくというものではないかと思うのですが、どうでしょうか。

 

ちょっと電波すぎましたかね?