The Number Of The Beast(666・黙示録の獣の謎)・その4 | 雑感

雑感

たまに更新。ご覧いただきありがとうございます。(ごく稀にピグとも申請をいただくことがあるのですが、当方ピグはしておりません。申請お受けできず本当にすみません)

 ヨハネの黙示録
「主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。」(新約聖書『ペテロ第二の手紙』3章10節)

 

※※ パソコンからご覧の場合で、画像によってはクリックしても十分な大きさにまで拡大されず、画像中の文字その他の細かい部分が見えにくいという場合があります(画像中に細かい説明書きを入れている画像ほどその傾向が強いです)。その場合は、お手数ですが、ご使用のブラウザで、画面表示の拡大率を「125%」「150%」「175%」等に設定して、ご覧いただければと思います※※

 

------------

 

さて、引き続き、ヨハネ黙示録の獣の謎の話を。
(この種の、宗教がらみ?というか、未来予知?超常的な分野?については、興味がないという以前に嫌悪感さえ抱くという方もいらっしゃるかと。そうした場合や、また、天変地異であるとか戦争であるとかの話が怖くてたまらない、苦手だという方は、ご覧にならないことをお勧めします。聖書予言は、怖がりな方には本当に怖いと思いますよ。)

 

さて例の「ファティマの預言」で有名なポルトガルのシスター・ルシアが、「第三の預言」の内容について人から問われたときに、

 

「それは福音書と黙示録の中にある」

 

と答え、特に黙示録の8章から13章を示したという話があるのですが、
https://en.wikipedia.org/wiki/Three_Secrets_of_F%C3%A1tima#cite_ref-Trinite533_32-0

 

問題のその「ファティマ第三の預言」は、2000年5月に、ローマ教皇庁により正式に公開されました。

 

ただ、公開されたその内容がいまひとつ派手さに欠けたというか、もっと燃え上がるような破局的一大イベントの予言を期待(?)していた向きには不満に思われたものか、「教皇庁はまだなにかを隠している」という疑惑も一部に囁かれることになりました。

 

「ファティマ第三の預言」については、教皇庁の公開分とは別に、「第262代ローマ教皇であるパウロ6世(在位:1963年6月21日 - 1978年8月6日)が、その内容の厳しさを外交的にやわらげた上で世界各国のカトリック指導者に配布したとされる文書」が出回っており、
また、「シスター・ルシアが67歳の時(1974年と思われる)に自分を訪れたある司祭に語ったとされる聖母マリアのメッセージ」も出回っているのですが、

それらの2文書は先の教皇庁による2000年5月の公開分とは異なり、明らかに破局的な戦争を連想させる内容で非常にわかりやすい恐ろしさがあります。

 

2000年5月の教皇庁による公開分は別として、他の2書についてはその素性が真正のものかどうかについては議論があり、真相はよく分からないのですが(テキトーですみません)、そのあたりの判断はお任せするとして、いちおう以下にそれぞれの文書を掲載させていただきます。

 

 2000年5月にローマ教皇庁が正式に公開した「ファティマ 第三の預言」のテキスト:

 

「すでに述べたあの二つの啓示のあと、わたしたちは、マリアの左側の少し高い所に、火の剣を左手に持った一人の天使を見ました。この剣は、まるで世界を火で焼き尽くさんばかりに、火花を散らして光り輝いていました。しかしその炎は、マリアが天使に向かって差し伸べておられた右手から発する輝かしい光に触れると消えるのでした。

天使は、右手で地を指しながら大声で叫びました。『悔い改め、悔い改め、悔い改め』。

それからわたしたちには、計り知れない光---それは神です---の中に、『何か鏡の前を人が通り過ぎるときにその鏡に映って見えるような感じで』白い衣をまとった一人の司教が見えました。『それは教皇だという感じでした』。

その他にも幾人もの司教と司祭、修道士と修道女が、険しい山を登っていました。その頂上には、樹皮のついたコルクの木のような粗末な丸太の大十字架が立っていました。

教皇は、そこに到着なさる前に、半ば廃墟と化した大きな町を、苦痛と悲しみにあえぎながら震える足取りでお通りになり、通りすがりに出会う死者の魂のために祈っておられました。

それから教皇は山の頂上に到着し、大十字架のもとにひざまづいてひれ伏されたとき、一団の兵士達によって殺されました。彼らは教皇に向かって何発もの銃弾を発射し、矢を放ちました。

同様に、他の司教、司祭、修道士、修道女、さらに様々な地位や立場にある多くの信徒たちが、次々に殺されていきました。

十字架の両腕の下には二人の天使がいて、おのおの手にした水晶の聖水入れに殉教者たちの血を集め、神に向かって歩んでくる霊魂にそれを注ぐのでした。
トゥイにて 1944年1月3日」

 

 第262代ローマ教皇・パウロ6世(在位:1963年6月21日 - 1978年8月6日)が米ソ冷戦下の核戦争の危機高まる世相にかんがみ、その文面を外交的にやわらげた上で世界各国のカトリック指導者に対して配布したとされている「ファティマ第三の預言」のテキストと噂されているもの(日本では北海道のトラピスト大修道院長に対して書き送られたとされるものの邦訳):

 

「20世紀の後半において、大きな試練が人類の上に下るであろう。

民は神の恩恵を足蔑(あしげ)にし、各地において秩序が乱れる。

国家の最高部をサタンが支配し、世相はサタンによって導かれる。

教会の上部にもサタンが入り込む。殊にサタンは学者の頭を混乱させる。

全人類の大半を数分のうちに滅ぼすほどの威力を持つ武器が造り出される。

カルジナル(枢機卿)はカルジナルに、司教は司教に戦いを挑む。

神の罰は洪水(注:ノアの洪水のことと思われる)の時よりも悲惨である。偉大な者も小さい者も同じく滅びる。

20世紀後半において大いなる戦争が起こる。

腐ったものは堕ちる。堕ちたものはもうこれを支える力がない。

火と煙が降り、大洋の水は蒸気のように沸き上がる。

その艱難によって地上の多くのものが破壊され、無数の人が滅びる。生き残った者は、死者をねたむほどの艱難に襲われる。

もし最後の時が近づいて人類が自ら改心しなければ、世の苦しみはいっそう深刻化する。善い者も悪い者も、牧者はその信徒と共に、世の支配者はその民と共に滅んで行く。

到る処で死が勝利の歌をうたう。荒れ狂った者が凱歌をあげる。彼らは唯一の支配者サタンの配下である。

これらがすべて終わった後、世は神に立ち帰り、聖母マリアは御子イエズスのあとに従った者の心を呼び起こす。

キリストは単に信じるのみでなく、キリストのために公の場所で、その勝利を勇敢に宣言する人を求めている。

よき信徒、よき司祭は彼らの兄弟から軽蔑され、攻撃されるだろう。

隣人に向かって真理の言葉を告げる者のみが真の愛を持っている。」

 

 シスター・ルシアが67歳の時(1974年と思われる)、訪問してきたある一人の司祭に告げた聖母マリアからのメッセージであり、先の「ファティマ第三の預言」のダイジェストとともに北海道トラピスト大修道院長に宛てて送られたとされているテキストの内容:

 

多くの民族が地上から姿を消すであろう。

祈りと苦業を持って向かわないならば、ロシアがいましめのムチとなるであろうし、サタンは聖母に対して決定的な戦いを挑むであろう。

おびただしい霊魂、修道者、司祭が神から離れるであろう。

修道者、司祭が彼らの偉大な使命を捨てることによって、多くの霊魂が地獄に落ちる。

犠牲と祈り、これこそ霊魂を救う最も効果的な手段である。

サタンは人々の祈りに対する興味を捨てさせるためにさまざまな試みをもたらす。

人々は生活を改めなければならない。ジャシンタとフランシスコを聖人(夭折)にしたのは、聖母マリアの罪びとに対するお悲しみと、現実に見せられた地獄であった。

聖母は二つの剣の間に立っておられる。すなわちキリストが振りおろそうとしておられる剣と、人々の無関心、かたくなな心の剣との間に。

無関心はまず秘跡を軽視して、神の罰を重く見ない。そして物質主義、官能主義、無信仰により教会から離れる。

最後の武器はロザリオである。ロザリオと犠牲、この二つがすべてを決する。

個人的にも社会的にも、ロザリオをもって戦い、『無原罪の聖母』に対する信仰をあつくしなければならない。」

 

以上がファティマ預言がらみの3文書です。

 

後の2書の内容について、20世紀後半にはそこまで破局的な戦争は起こらなかったのだから、

「外れた」

「嘘だった」

と見ればなんということはないのですが、「事情で時期がずれただけ」「猶予されただけ」という見方に立てば恐ろしいことに変わりはなく、

また、2000年5月の、あの教皇庁による派手さに欠けた公開分についても、そこからはどうやら戦争による荒廃や、人間の大量死、教皇も忖度されないほどの苛烈な宗教弾圧が暗示されているであろうことが、読み取れなくはないのかなと。

 

その「ファティマ第三の預言」との関連性をシスター・ルシアが示したともいわれるヨハネ黙示録8~13章においては、7人の天使が「ぷぅ」とラッパを吹き鳴らすたびに地上で何かしらの破局的イベントが連続して発生することが描かれており、

そうした災いの連鎖によって、人権であるとか思想信条の自由であるとか人命尊重であるとか差別反対であるとかの価値観がすべて

 

「こんなものはすべて間違いだった」

 

と覆されてしまう世界になってしまうというのか(『北斗の拳』状態に突入?)、

とにかく世界が次から次へと襲い来る災いに打たれ荒廃した末に、強力な世界帝国とそれを統べる独裁者(黙示録の獣=666)が現れ、従わない者を殺しまくるといったことが描かれ(13章)、

そこには「荒廃した世界と苛烈な宗教弾圧」というファティマ第三の預言(2000年5月の公開分)が暗示しているものにも相通じるものがあるのであり、

だとすると、「シスター・ルシアが第三の預言について、ヨハネ黙示録8~13章との関連を示した」というのは、いかにもありそうな話だなと。

 

以下、そのヨハネ黙示録の8章から、9章までを抜粋します。

青字のところは当方のコメント。また先に紹介したエドガー・ケイシーは、黙示録のこれらの章の一見ネガティヴにしか受け取れない部分についても、その前向きな内的意義を解説してみせているのですが、今回そのあたりには触れていません。)

 

 ヨハネの黙示録 8章

 

ヨハネの黙示録

(7人の天使のラッパの音とともに下界では驚天動地の出来事が展開されていく)

 

1 小羊が第七の封印を解いたとき、天に半時間ばかり静けさがあった。
2 それから私は、神の御前に立つ七人の御使いを見た。彼らに七つのラッパが与えられた。
3 また、もうひとりの御使いが出て来て、金の香炉を持って祭壇のところに立った。彼にたくさんの香が与えられた。すべての聖徒の祈りとともに、御座の前にある金の祭壇の上にささげるためであった。
4 香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った。
5 それから、御使いは、その香炉を取り、祭壇の火でそれを満たしてから、地に投げつけた。すると、雷鳴と声といなずまと地震が起こった。
6 すると、七つのラッパを持っていた七人の御使いはラッパを吹く用意をした。
7 第一の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、血の混じった雹と火とが現われ、地上に投げられた。そして地上の三分の一が焼け、木の三分の一も焼け、青草が全部焼けてしまった。

 

ヨハネの黙示録

(第一の災い、血の混じった雹と火)

 

8 第二の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、火の燃えている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた。そして海の三分の一が血となった。
9 すると、海の中にいた、いのちのあるものの三分の一が死に、舟の三分の一も打ちこわされた。

 

ヨハネの黙示録

(第二の災い、海に落ちる火の燃えている大きな山のようなもの)

 

10 第三の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が天から落ちて来て、川々の三分の一とその水源に落ちた。
11 この星の名は苦よもぎと呼ばれ、川の水の三分の一は苦よもぎのようになった。水が苦くなったので、その水のために多くの人が死んだ。

 

ヨハネの黙示録

(第三の災い、たいまつのように燃えている大きな星。チェルノブイリ原発事故のことではないかと解釈する向きもあったが・・・)

 

12 第四の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、星の三分の一とが打たれたので、三分の一は暗くなり、昼の三分の一は光を失い、また夜も同様であった。
13 また私は見た。一羽のわしが中天を飛びながら、大声で言うのを聞いた。「わざわいが来る。わざわいが、わざわいが来る。地に住む人々に。あと三人の御使いがラッパを吹き鳴らそうとしている。」

 

ヨハネの黙示録

(第四の災い、光を失う太陽と月その他の天の星々。一羽の鷲が災いを叫びながら中天を飛ぶ)
 
 ヨハネの黙示録 9章

 

1 第五の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、私は一つの星が天から地上に落ちるのを見た。その星には底知れぬ穴を開くかぎが与えられた。
2 その星が、底知れぬ穴を開くと、穴から大きな炉の煙のような煙が立ち上り、太陽も空も、この穴の煙によって暗くなった。
3 その煙の中から、いなごが地上に出て来た。彼らには、地のさそりの持つような力が与えられた。
4 そして彼らは、地の草やすべての青草や、すべての木には害を加えないで、ただ、額に神の印を押されていない人間にだけ害を加えるように言い渡された。
5 しかし、人間を殺すことは許されず、ただ五か月の間苦しめることだけが許された。その与えた苦痛は、さそりが人を刺したときのような苦痛であった。
6 その期間には、人々は死を求めるが、どうしても見いだせず、死を願うが、死が彼らから逃げて行くのである。

 

ヨハネの黙示録

(第五の災い、底知れぬ穴から出てくる人面イナゴ。どう見てもイナゴには見えないが・・・)

 

7 そのいなごの形は、出陣の用意の整った馬に似ていた。頭に金の冠のようなものを着け、顔は人間の顔のようであった。
8 また女の髪のような毛があり、歯は、ししの歯のようであった。
9 また、鉄の胸当てのような胸当てを着け、その翼の音は、多くの馬に引かれた戦車が、戦いに馳せつけるときの響きのようであった。
10 そのうえ彼らは、さそりのような尾と針とを持っており、尾には、五か月間人間に害を加える力があった。
11 彼らは、底知れぬ所の御使いを王にいただいている。彼の名はヘブル語でアバドンといい、ギリシヤ語でアポリュオンという。
12 第一のわざわいは過ぎ去った。見よ。この後なお二つのわざわいが来る。

 

ヨハネの黙示録

(アバドン<中央上>と人面イナゴたち。アバドンにはヘブル語で「滅び」「滅びの場所」といった意味があるとのこと)

 

ヨハネの黙示録

(イナゴの力は尾にあった)

 

ヨハネの黙示録

(「苦しみの期間が5か月」というのは、イナゴの一般的な寿命とリンクしているという話もある<現在世間を騒がせているサバクトビバッタの寿命は3~6か月とのこと>。また今回のコロナ禍と黙示録のイナゴの害をリンクさせ、コロナの流行は5か月で終息するのではないかという憶測も一部に囁かれた)

 

ヨハネの黙示録

(アバドン想像図<右から二人目>。底知れぬ穴は怪物の口の姿で描かれている)

 

ヨハネの黙示録

(アバドン想像図<右端>)

 

ヨハネの黙示録

(アバドン想像図<右端>)

 

ヨハネの黙示録

(現代の絵師によるアバドン想像図。ギリシャ語名「アポリュオン」は「滅ぼす者」「破壊者」の意味があるとのことで、「音が“ナポレオン”に似ているからナポレオンのことではないか」と指摘する向きもあったが・・・)

 

13 第六の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、私は神の御前にある金の祭壇の四隅から出る声を聞いた。
14 その声がラッパを持っている第六の御使いに言った。「大川ユーフラテスのほとりにつながれている四人の御使いを解き放せ。」
15 すると、定められた時、日、月、年のために用意されていた四人の御使いが、人類の三分の一を殺すために解き放された。
16 騎兵の軍勢の数は二億であった。私はその数を聞いた。

 

ヨハネの黙示録

(ユーフラテス川の位置をざっくりと・・・)

 

17 私が幻の中で見た馬とそれに乗る人たちの様子はこうであった。騎兵は、火のような赤、くすぶった青、燃える硫黄の色の胸当てを着けており、馬の頭は、ししの頭のようで、口からは火と煙と硫黄とが出ていた。
18 これらの三つの災害、すなわち、彼らの口から出ている火と煙と硫黄とのために、人類の三分の一は殺された。
19 馬の力はその口とその尾とにあって、その尾は蛇のようであり、それに頭があって、その頭で害を加えるのである。
20 これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、
21 その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。(抜粋終わり)

 

ヨハネの黙示録

(第六の災い、解き放たれる四人の天使と二億の軍勢。火と煙と硫黄の災いにより、人類の三分の一が殺された。2020年現在の世界人口を前提にすれば、約25億人が死亡する何らかの破局的な出来事の発生ということになるのだろうか)

 

いずれにしても黙示録的には、世界がこうした流れを辿りつつ、13章における世界帝国と独裁者666の登場へと地ならしされていく・・・ということが言いたいのかなと。

 

ヨハネの黙示録

(核戦争後の世界を舞台とした漫画『北斗の拳』。そこでは、特殊部隊レッドベレーの大佐「カーネル」によって率いられた、強者のみが生き残り何をやっても許されるという「神の国(ゴッドランド)」が描かれている)