富山県魚津市・坪野鉱泉2女性失踪事件(令和2年・遺体発見その1) | 雑感

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富山県魚津市・坪野鉱泉2女性失踪事件

 

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ずいぶん間が空いてしまいました。横着を決め込んでいたのですが、有名な未解決事件に進展があったとのことで、煙に燻し出されたネズミのように泡を食って飛び出してきた次第です。m(__)m

 

さて「坪野鉱泉2女性行方不明事件」云々の2人の女性が乗っていたとみられる車が海王丸パーク近くの港の海中から発見され、車内から複数の人骨(のようなもの)も見つかったとのこと。

 

突然の発見に至るまでの経緯~今回報道された新たな情報について、新聞やニュースでの報道をもとにまとめたものを、とりとめのない形ではありますが以下に列記してみます。

 

「2020年3月4日(水)正午ごろ、24年前(1996年)の5月5日(日)夜に『魚津に肝試しに行く』と言い残して行方不明になっていた富山県氷見市の田組育鏡(たくみなるみ)さんと屋敷恵美(やしきめぐみ)さん(いずれも当時19歳)が乗っていたとみられる車が、射水市八幡町3にある富山新港『北3号岸壁』横の海中から富山県警により引き揚げられた。」

 

「車が沈んでいた地点の詳細は、富山新港『北3号岸壁』から南に約4m、水深約8mの地点であるとのこと。」

 

「一部報道で『射水市八幡町3の伏木富山港の海中で車を発見・・・』とされているが、この『伏木富山港(ふしきとやまこう)』とは富山県高岡市と富山市、射水市にわたる港湾の総称であり、それは次の3つの港域すなわち、

『高岡市の伏木地区(伏木港)』

『富山市の富山地区(富山港)』

『射水市の新湊地区(富山新港)』

により形成されているとのこと。

よって車が発見された地点は、『3つの港域の総称たる伏木富山港の中でも射水市八幡町3にある部分の岸壁ですよ』という意味で『射水市八幡町3の伏木富山港の岸壁』とも言い得るし、そのものずばりで『富山新港の北3号岸壁』とも言い得ることになる。」

 

「海中から引き揚げられた車は腐食し、ほぼ原型をとどめていないものの、車体の一部が屋敷さんの乗っていた軽自動車(95年式、黒のスバル・ヴィヴィオ)と一致した。」

 

「車内からは複数の人骨(のようなもの)や、『ヤシキメグミ』という屋敷さんの氏名が片仮名で記されたガソリンスタンドの会員カードが見つかった。警察は発見された骨が行方不明となっている2人のものである可能性があるとみて調べている。」

 

「今回の発見に至るまでの経緯は次のようだった。すなわち、2014年12月のこと、『旧海王丸パーク(現・北3号岸壁)で車が海に転落したのを見た人が複数いる』との情報が県警に寄せられた。その後4年以上を経てから富山県警は車の転落を目撃したという3人の男性を特定(これが2019年春のこと)。今年(2020年)の1月にこれらの男性に事情聴取をしたところ、

『1996年のゴールデンウイークの深夜に若い女性2人が乗った軽乗用車が海に転落するのを見た』

『運転席と助手席に乗っていた女性に声をかけようと近づいた際、車が後ろ向きに急発進し転落した』

『転落前には2女性の乗った車のドアを開けようとした』

などの証言を得た。男性らは、

『転落の責任を問われるのが怖くて通報できなかった』

などと話しているという。」

 

「富山県警は今年(2020年)の1月下旬以降、3人の男性らの証言内容を総合して車の転落の位置を割り出し、金属探知機による調査や、ダイバーによる海中捜索を実施。富山新港『北3号岸壁』から南に約4m、水深約8mの位置にある車両を確認するなどした上で、3月4日に引き上げに踏み切った。」

 

「車が発見された富山新港『北3号岸壁』は、現在は『指定保税地域』として一般の立ち入りが禁止されているが、1996年当時は『旧・海王丸パーク』と呼ばれ、夜には若者たちが集まる場所だった。田組さんや屋敷さんも、何度かこの場所に来ていたという」

 

「行方不明になっていた氷見市の田組育鏡(たくみなるみ)さんと屋敷恵美(やしきめぐみ)さん(いずれも当時19歳)は氷見市の県立高校の同級生だった。高校3年時の2人の元担任教師によると、『二人とも明るい方だった。田組さんは非常に明るくて茶目っ気があり、屋敷さんは背が高かった。よく2人で食堂に行っていた』」。(お二人の写真はネットに出ています)

 

「この事件に関する過去の報道では、行方不明になった1996年5月5日の深夜に、2人は友人に宛ててポケットベルで『魚津市にいる』とメッセージを送りこれが最後のメッセージとなったとされていた。今回、車両発見を受けての報道の中で、この『魚津市にいる』というポケットベルのメッセージは、田組さんのポケットベルにより友人宛てになされたものであったことが明らかにされた。」

 

「屋敷さんと田組さんが失踪した5月5日の夜のこと、二人が乗った車が富山市と滑川市の市境付近(国道8号線)を魚津方面に走行し、滑川市内のガソリンスタンドで給油していたことが確認されていた

富山県魚津市・坪野鉱泉2女性失踪事件
ブログ筆者注: この「滑川市のスタンドで給油」云々は3月5日付の富山新聞による情報とのことですが、私自身も初耳で驚きました。今回24年ぶりに射水市の海中から車両が発見されたという情報を聞いたとき、自分としては「女性二人は坪野鉱泉に辿り着いたかどうかは別としても、少なくとも射水の海王丸パークを出て魚津方面に車を走らせ、氷見に帰る途中で何らかの理由でもう一度海王丸パークに寄り、そこで危難にあったのでは?(つまり失踪日の深夜になされた「魚津にいる」というポケットベルでのメッセージも、なにかしら殺人犯人などによる偽装工作等ではなく、実際に女性らが魚津方面に車を走らせそこから発信した可能性が高いのでは?)」という風に想像していたのですが、滑川市のスタンドで給油が確認されていたとすれば、その想像を裏付ける傍証の一つになり得るのではないか、と思います。)

 

海王丸パークから富山市と滑川市の市境あたりまでのルート一例。赤矢印の部分は今回の続報を受けての追記。

富山県魚津市・坪野鉱泉2女性失踪事件

 

富山市と滑川市の市境あたりから魚津市の坪野鉱泉までのルート一例。

富山県魚津市・坪野鉱泉2女性失踪事件

 

「失踪当夜に二人がどこを目指していたかについて、二人はそれぞれ家族に対して、

坪野鉱泉に行ってくる。幽霊が出る怖いところなの』(田組さん)

魚津に肝試しに行ってくる』(屋敷さん)

と語っていた模様。」

 

「当ブログで3年前に、『女性二人は失踪当夜以前にも一度坪野鉱泉に行ったことがあった』という情報を掲載した上で、『この情報には確定ソースが見当たらないとされているが、仮にソースが存在するとすれば重要な内容なので、紹介させていただく』としていました。今回、『富山太郎』氏の調査によるとこの情報にはソースが存在したとのことで、それは『富山よみうりの1997年5月5日号』であるとのこと。」

 

「車両発見の端緒となった『車が海に転落するのを見た人が複数いる』との情報は、2014年の末に県警に寄せられていた。ただその情報は県警によると『伝聞のさらに伝聞』であり、直接の目撃証言にはたどり着けず、海中の捜索には至っていなかった。」

 

「捜査関係者によると、2女性の失踪当時、県警は女性らが家族に話していた言葉(坪野鉱泉~魚津に肝試し)を手掛かりに、坪野鉱泉の周辺や早月川、魚津市海岸を中心にヘリコプターも出動して捜索したが、今回車両が発見された富山新港の周辺はほとんど捜索対象になっていなかったという。」

 

「車両の転落を目撃したとされる男性3人は友人同士で、96年のゴールデンウィークに現場の旧海王丸パーク付近にドライブで立ち寄ったとのこと。現場は当時、若者が集まる『ナンパスポット』だった。」

 

富山県警は、3男性と田組さん、屋敷さんとの面識はなかったとみている

 

「海中から引き揚げられた車は、エンジンに記されていた識別番号により、屋敷さんが乗っていたヴィヴィオであることが確認された」

 

「司法解剖の結果、発見された骨は二人分の人骨であり、死後10年以上を経過しているものとみられた。しかし、骨のすべての部位が見つかってはおらず、年齢や性別、体格の推定は困難であり、また死因の特定にも至らなかった。県警は引き続き、DNA型鑑定などを行って身元や死因を調べるとのこと。」

 

(次の記事「令和2年・遺体発見その2」で、ネット画像でわかる範囲ではありますが、転落場所などの様子を示してみます。)