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平成21年(2009年)11月、大阪市西成区南津守5丁目6の「千本松渡船場」で、群馬県高崎市出身の医師・矢島祥子さん(当時34)の遺体が発見された事件。殺人事件との見方が強い。
冒頭の画像、1枚目は、矢島さんの遺体が発見された「千本松渡船場」。矢島さんは、着衣・立位のままで水中に浮いていた。
遺体は頭部に高さ3cmのこぶがあり、首には圧迫痕があった。
画像2枚目、矢島さんが勤務していた診療所から遺体発見現場までは、直線で約2.4km。また、勤務先診療所から自転車の発見現場までは、直線で約1.5km。
当時の自宅は、診療所の北西、長橋地区にあるアパートで、診療所からは自転車で5分ほどのところにあった。
矢島さんはクリスチャンで、毎週教会の礼拝に通っていた。
平成19年(2007年)4月、それまで6年間務めた淀川キリスト教病院を辞め、西成区の診療所に勤め始めた。
事件の裏には、生活保護制度などを悪用した反社会勢力による貧困ビジネスの闇があり、矢島さんはその実態を見過ごせず、社会に訴えかけようとしていたところ殺害された・・・という話もあるが、真相は不明。
(遺族によると、死後に発見された矢島さんの手帳からは、貧困ビジネスの実態について詳細な記述がみられ、また、マスコミの人間に会う約束の記述も見られたという。)
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以下、ウィキペディアからコピペ(画像とその説明、※の部分は当方による補足)
■ 概要
2007年4月1日から大阪府大阪市西成区鶴見橋の診療所で内科医として勤務し、労働者支援、夜間パトロールなど地域活動を行っていた女性(当時34歳)が、2009年11月16日、診療所から2.5 kmの位置にある、大阪市西成区の木津川、千本松渡船場(水深約8 m)にて死亡を確認された。
この事件に関し、大阪府警察本部は女性の遺体を検視した結果、女性が死亡直前に知人に送った手紙等を根拠に、「過労による自死」と判断したが、2010年9月14日、再捜査要求、苦情申し立てが大阪府公安委員会に対して女性の遺族から行われる。
2012年8月22日、遺族が提出した「殺人・死体遺棄事件」としての刑事告訴状が受理され、再捜査が行われることとなった。
(※ 1枚目は、矢島さんが患者の一人に送った絵葉書の文面。この絵葉書が、矢島さんの死後に相手方に到着し、警察はその文面を「矢島さん=自殺」とみなす理由の一つとした。2枚目、水色矢印の先が、矢島さんが勤務していた診療所。鶴見橋商店街1番街にある。)
■ 経過
・2009年11月13日22時、診療所の他の医師が死亡女性医師の診療所勤務を確認。
(※ この日の午後8時ごろ、診察室で一人カルテを整理する矢島さんを看護師が目撃したのが、生前最後の目撃だったとする情報もある。)
・2009年11月14日4時15分(天候:強い雨)、女性が警備システムをカードで作動させ、診療所を離れる。診療所のある商店街アーケード設置防犯カメラ(全8台)には女性は映っていない。
(※ ここでは「女性が警備システムをカードで作動させ」として、矢島さん本人がカードを使用したと読める書き方がされているが、遺族は、この診療所のセキュリティシステム---ALSOK---の仕組みを知らない第三者が矢島さんのカードを使った可能性を指摘している。ただ、自宅アパートには本人のカバンがあったとのことで、これが犯人による偽装等でなければ、矢島さんはいったん自宅に戻った可能性もあるかもしれない。)
・2009年11月14日4時16分、診療所警備システム警報が作動。
(※ 警報が鳴ったのは4時15分だとする情報もある)
・2009年11月14日4時50分(警報作動から約30分後)、警備会社警備員が到着。診療所は無人。女性は知人にメールを送信。
(※ 計8台ある商店街アーケードの防犯カメラには、診療所に到着した警備員の姿は写っていたが、診療所から出ていく矢島さんの姿は写っていなかった。)
・同日、自宅近くの郵便ポストに、別の知人(男性、63歳、元患者、女性死亡後に自らを元交際相手と称する。)宛に絵はがきを投函。
・2009年11月16日1時20分、第一発見者の釣り人が、着衣、立位、死後硬直状態の遺体を発見。
(※ 遺体は着衣、立位、腕を直角に曲げた図のような姿勢で、渡船場のタイヤに引っかかるような形で発見された。第一発見者の男性によると、遺体は、いわゆる「水死体」のイメージからは程遠く、「ものすごくきれいだった」。遺体は死後硬直があったとされるが、法医学者の上野正彦氏によると、流水中での溺死の場合は、死後硬直は起こり難いのだという。)
・2009年12月、警察は死亡者の自転車を、住居、遺体発見現場双方と異なる市営団地(遺体発見場所の千本松渡船場から2.5 km)で発見。自転車から指紋は検出されなかったと警察発表。
・2010年3月、西成警察署は「死体頭部の傷は生存中のもの」と発表。
(※ ここでいう「死体頭部の傷」とは、「頭部にできていた高さ3cmのこぶ」のこと。西成警察署は当初、そのこぶを「遺体を水中から引き上げ地面に置く際に、頭部を打ってできたもの(死後にできたもの)」としていたが、その見解を改めた形。)
・2010年9月14日、女性の遺族は大阪府公安委員会に対して再捜査要求、苦情申し立てを行う。
・2010年10月14日、一周忌追悼会。
・2011年2月3日、西成警察署は、死因は自殺と遺族に説明。
(※ 矢島さんはクリスチャンで、毎週教会の礼拝に通っており、キリスト教では自殺は罪とされている。また、釜ヶ崎での医師としての活動に情熱的に取り組んでいたとのことで、その矢島さんが自殺とは考えにくいと遺族は考えている。)
・2011年2月25日、衆議院予算委員会で取り上げられ、警察庁刑事局長は事件・事故両面で捜査中である旨答弁した。
・2012年8月22日、遺族提出の刑事告訴状が受理される。
(※ 遺族は警察に、「殺人・死体遺棄事件」としての捜査を求める刑事告訴状を提出し、受理された。矢島さんの件は「殺人・死体遺棄事件」として捜査されることに。ただ遺族によると、警察の動きは感じられないという。)
・2012年11月1日、釜ヶ崎日雇労働組合が山中秀俊執行委員長名で週刊金曜日の記事に関して編集長宛抗議文を出す。
・2012年11月16日、死体遺棄罪での公訴時効が成立。
・2013年2月4日、昨日の2.3反弾圧全国集会から、週刊金曜日編集部に対する反撃を本格的に始めたと釜ヶ崎日雇労働組合がツイッターで宣言。
■ 議論点
死亡時の負傷箇所
・首の圧迫痕
(※ 医者である両親によると、首つりでできる圧迫痕ではないという。)
・頭頂部の瘤(こぶ):高さ3 cm 西成署による死亡診断(当初): 「水死体引き上げ時に遺体を地面に置く際にできた。」
・遺族: 「血流がある生存状態でのみ、こぶは出来る。」
・西成署による死亡診断(2010年3月): 死体頭部の傷は生存中のもの。(※ 当初の見解を改めた形)
・右顔面
・右手
(※ 遺体にあった高さ3cmの頭部のこぶについて、西成警察署は当初、「遺体を川から引き揚げたときに頭部を打ってできたこぶ(死後にできたもの)」としていた。
しかし、矢島さんの父親---矢島さんの両親は群馬県高崎市に医院を構える開業医---は、死後に頭部を打ってもこぶはできないとして、「こぶは生存中のもの」と反論していた。また両親によると、矢島さんの首にあった圧迫痕は、首つりではできないものだという。)
■ 死亡推定時刻
・警察作成の死体検案書では「2009年11月14日午前」、一方行方不明が確認された11月14日から15日14時30分まで、遺族は女性の衣服ポケットで発見された携帯電話にかけ続け、呼び出し音を確認。
・2009年11月14日8時30分、女性自宅から話し声がしたという証言
・2009年11月14日10時、女性死亡の報を受けたという証言者の存在
(※ 死体検案書によると死因は「溺死@11月14日午前」だったが、11月16日午前1時過ぎの遺体発見時、遺体のそばには矢島さんの靴が片方浮いており、流れのある川で溺死後に1日半が経過しているにしては、不自然な状況だった。
また、遺体のポケットからは携帯電話が出てきたが、遺族によると、その携帯電話からは、警察が発表した死亡推定時刻より1日以上あとの11月15日午後2時半まで、呼び出し音が聞こえていた。つまり少なくとも15日午後2時半までは携帯電話は水没しておらず、矢島さんが地上で生きていた可能性を示すという。
また、矢島さんの胃には、消化されにくい豆類のかけらだけが残っていた。これは、矢島さんが、死亡する直前まで、電話にも出られず、食事もとれない---つまり豆のかけらだけが胃に残るような---状況にあった可能性を示すという。)
■ 遺体の状態
・死体検案書死因: 溺死 ←女性は泳ぎが得意
・死後硬直:←水死体は関節が動くために死後硬直しない。
・着衣
■ 死体発見後の状況
・女性医師の自宅(診療所から自転車で5分の距離)の鍵は開いていた。(※ 自宅は西成区長橋町のアパート508号室)
・女性宅の郵便ポストが破壊されていた。
・部屋の中(テレビの裏、本棚の天板、ドア敷居の上、書籍等)に埃(ほこり)が無く、現場検証では指紋非検出(西成署発表)
・洗濯機の中に衣服
・●●●が遺族に金をせびった。
(※ 伏字の部分について、ウィキペディアには具体的な人物の名前と役職が記載されていたが、「金をせびった」という部分の経緯も真偽も当方にはわかりませんので、名前と役職の部分は伏字にしました。)
(※ 矢島さんの部屋には、ある一か所の引き戸の桟の上を除いてホコリがなく、また、部屋や、遺体発見の約1か月後に北津守の市営住宅駐輪場で発見された自転車からも、矢島さんの指紋はまったく出なかった。)
(以上、ウィキペディアの引用終わり)
矢島さんの部屋から、「本人の指紋も出てこず、ホコリもなかった」ことについて、現TABLOの編集長である久田将義氏の取材によると、西成のある人物から、「矢島さんの遺体が発見される1~2日前の早朝、反社会的な組織から金で雇われ、矢島さんの部屋を掃除した」という証言が得られた。
その人物が掃除をしに矢島さんの部屋に行ってみると、そこにはすでに2~3人の知らない女性が来て拭き掃除を始めており、そのメンバーで、7~8時間、休みなしで掃除をしたのだという。
この情報について、元兵庫県警刑事の飛松五男氏は、矢島さんの部屋の掃除を依頼した人物が事件に直接かかわっている、との見方を述べている。