※※ パソコンからご覧の場合で、画像によってはクリックしても十分な大きさにまで拡大されず、画像中の文字その他の細かい部分が見えにくいという場合があります(画像中に細かい説明書きを入れている画像ほどその傾向が強いです)。その場合は、お手数ですが、ご使用のブラウザで、画面表示の拡大率を「125%」「150%」「175%」等に設定して、ご覧いただければと思います。※※
平成8年(1996年)9月9日に、上智大学外国語学部英語学科4年生の小林順子さん(当時21)が、東京都葛飾区柴又3丁目の自宅で、何者かに刺殺され放火された事件。
警視庁による正式名称は「柴又三丁目女子大生殺人・放火事件」。
捜査が継続しているものの、犯人は逮捕されておらず、未解決事件となっている。また、捜査特別報奨金制度(公的懸賞金制度)対象事件である。
----------
以下、ウィキペディアの該当ページをそのまま引用(※部分は当方による補足)
■ 概要
1996年9月9日午後4時半ごろ、東京都葛飾区柴又3丁目の民家より火災が発生。約2時間後に消し止められ、焼け跡から上智大学4年生の女子大生の遺体が発見された。
被害者の女子大生は2日後に海外留学を控えていた。
遺体は口と両手を粘着テープで、両足をパンティーストッキングで縛られており、首を鋭利な刃物で刺されていたことから警察は殺人事件と断定。現場の状況や交友関係などから、顔見知りの犯行と思われた。2018年現在も犯人逮捕には至っていない。
事件から10年経った2006年9月に、両足の縛り方が「からげ結び」という特殊な方法だったこと、現場に残されたマッチ箱の残留物から家族以外のDNAが発見されたことが公開された。
2014年9月に2階の遺体に掛けられていた布団に付着した血液から犯人と思われるDNA型が検出され、1階で発見されたマッチ箱に付着したDNA型とも一致したことが報道された。
(※ 布団やマッチに付着していた血液のDNA型を鑑定した結果、同一人物の男性のものであることが判明している。
焼け残ったドアノブその他から、犯人のものとみられる指紋は検出されていない。凶器の刃物も未発見のまま。
順子さんは米シアトル大学への交換留学が決まっており---期間は翌年6月まで---米国への出発を2日後に控えていた。成績が良く、留学のための選考試験でも上位で、第一志望のシアトル大学もすんなり決まったという。
1年生の時からSTP<サマーティーチング・プログラム>というサークルに所属し、夏休みには、地方の中学校で英語を教えたりもしていた。
家庭教師やラジオ局でのアルバイトも行い、責任感が強いうえに明るい性格で、仕事先での信頼も厚かった。将来の希望としては「映画の配給会社に就職したい」あるいは「ジャーナリストになりたい」とも言っていたという。
また、順子さんは先に留学していた大学の先輩と3年越しの交際を続けており、その先輩に会うのを楽しみにしていた、との情報がある。)
■ 事件前後の状況
事件発生日は、朝から雨が降ったりやんだりしており、昼過ぎから強く降り出し始め、15時0分過ぎにはさらに激しくなっていた。
父親は福島に出張中、姉も仕事でおらず、家には母親と被害者の二人きりだった。
(※ 順子さん宅は、当時ともに50歳の両親と、25歳の姉、順子さんの4人家族。母親は友人が経営する港区内の美容院でパートをしており、姉は中央区内の病院に勤務し、結婚を間近に控えていた。)
15時50分少し前に、被害者がトイレに行くために自室から一階に降りてきた。(その際に)仕事に出かける準備をしている母親に「こんなに雨が降っていても自転車ででかけるの?」と話した。これが最後の会話になった。
(※ この最後の会話の時、順子さんはパジャマ姿だった。前日8日の夜、順子さんは近所のファミレスで中学の同級生達と別れを惜しんでおしゃべりをしていたため、帰宅が翌9日の朝帰りとなり、そこから就寝して、目覚めたのが9日の昼過ぎだったという。)
15:50 - 母親が仕事のために家を出る、この時、玄関に鍵はかけなかった。
16:15頃 - 近所の通行人によると火は出ていなかった。
16:35 - 出火。
16:39 - 隣家から119番通報。(※ 金町消防署から、はしご車など14~15台が出動した。)
18:00頃 - 内部が全焼、ようやく火が消し止められる。
消防隊員が2階で被害者を発見、直ちに病院に搬送されたが、死亡が確認された。
(※ 犯行現場となった順子さんの自宅は全焼したが、事件を風化させたくないという家族の思いから、事件後1年以上、焼けた状態のままで残され、平成9年の12月にようやく取り壊された。跡地は遺族から東京消防庁金町消防署に無償提供され、現在そこは地元消防団の格納庫となり、「順子地蔵」が建立されている。)
■ 被害者と室内の様子
・被害者は2階の両親の寝室で父親の布団の上で横向きに寝かされ、夏用の掛け布団を頭からかぶせられていた。布団の左右の端は体の下に挟み込まれていた。
(※ 順子さんが倒れていた両親の寝室は、2階の道路側にある6畳間。母親が仕事に出かけるときの順子さんはパジャマ姿だったが、遺体で発見された時の順子さんの服装は、白地の横しまシャツに黄色の半ズボンという姿だった。
順子さんの下に敷かれていた布団は、疲れて帰ってくる父親のために、もともと敷かれてあったものだという情報がある。
順子さんにかぶせられていた夏用の掛け布団は、頭から膝ぐらいまでの範囲を覆っていた。順子さんの遺体については、火災による損傷は比較的少なかったという。)
・被害者は首を右側に集中して6か所刺されて出血多量で死んでいた。(※ 右頸部静脈の切断による失血死。幅6cm、深さ4cmに達する傷もあった。)
・口には粘着テープが貼られていた。
・両腕も粘着テープで縛られていた。かなり抵抗したとみられる傷が手に数か所あり、その上から粘着テープが巻かれていたので、両手は殺害後に縛られたと見られている。
・両足はストッキングでからげ結びに結ばれていた。からげ結びは造園、足場組み立て、和服着付け、舞台衣装、古紙回収、電気工事、土木関係などの業種で用いる。造園業では「かがり結び」とも呼ばれる。
・着衣の乱れはなかった。
・気管にすすが付いていなかったことから殺害後に放火したとみられる。
・仏壇のマッチで1階東側の6畳和室の押入れに放火されていた。
・1階のパソコンにも火がつけられていた。(※ パソコン「付近」とする情報がある)
・父親が普段使用しているスリッパが2階に揃えて残されていた。
(※ 順子さんにかけられていた布団にも火がついていた形跡はあったものの、もっとも激しく焼けていたのは順子さんが倒れていた両親の寝室---この部屋は2階の道路側---ではなく、道路側とは反対の、2階奥の6畳洋室と、その下の1階の6畳和室だった。
犯人が順子さんを殺害後、証拠隠滅など何らかの理由で、先の2室に火を放ち逃走したと推測される、との見方があるが、火をつけた部屋として「2階奥の6畳洋室」に言及していない資料もある。)
■ 凶器
・刃物
小型ナイフのような鋭利な刃物で約8センチ、刃幅約3センチとみられる。まだ見つかっていない。
・粘着テープ
外部から持ち込まれ使用された。
(※ 当初、この粘着テープについては、順子さんが留学のための荷造りの際に使用したものだと考えられていたという。ところが調べてみると、留学のための荷造りは数日前に終わっており、荷物はシアトルに発送済みだった。
警察がその荷物を取り寄せ、梱包に使用されている粘着テープを鑑定してみると、犯行に使用されたものとは、同じ布製でも異なるタイプであることが判明したという。)
■ 犯人の遺留品
・犯人が持ち込んで使用した粘着テープに三種類の犬の毛が付着していたことが2009年1月に判明した。被害者宅は一度も犬を飼ったことがなく、特別捜査本部は犯人が複数の犬に囲まれる生活をしていた可能性が高いとみている。
・2階にある仏壇の近くにあったマッチ箱が1階玄関付近に落ちており、そこからA型の血液が採取されている。被害者も含め家族にA型の人間はいない。
マッチ箱は犯人が火を付ける際、使用したとみられる。
(※ このマッチ箱からは、布製の手袋の跡も検出されているとの情報がある。)
■ 犯人像
粘着テープが持ち込まれていたことから計画性がうかがえる。人目に付く時間帯の犯行などから様々な説が流れている。
・顔見知り説
父親のスリッパが2階にあったことから、顔見知りの人間を家に招き入れた可能性がある。
犯行が人目につきやすい夕方に短時間で行われている。
遺体上半身に頭から夏用の薄い掛け布団が掛かけられていた。
(※ 順子さんの父親は、このスリッパについて、玄関から1階の和室までの行き来にしか使わなかったものであるとして、「私しか使わないスリッパでした。それも1階でしか使わなかった。なぜそれが2階に、それも揃えて置かれていたのか」と証言している。)
・ストーカー説
留学の2日前に起きた犯行から考えられる。ただし、暴行された形跡がない。
事件発生約10日前の1996年8月末、午前0時頃、送別会からの帰宅途中、男に後をつけられたため駅まで戻った。
(※ この時の「送別会」とは、順子さんのシアトル大学への留学を目前にして、大学の友人やアルバイト仲間たちが開いてくれたものだとのこと。
順子さんは、この送別会からの帰宅途中、京成電鉄柴又駅の公衆電話から自宅に不穏な内容の電話を掛けている。その内容は、『誰かが後ろをつけてきて、道を曲がっても、次にまた曲がってもついてきたの。だから駅まで戻った』というもので、この時は母親が駅まで迎えに行った。
二人して帰宅する際には不審者は見当たらず、『変な人はいなくなったね』と話したという。
また9月に入り、歯科医院に行った帰りのこと、順子さんが、『私に何かあったら歯の治療痕でわかるね』と、命の危険を感じていたと捉えられなくもない発言をしていたという。
ただ順子さんのこの発言は、歯科治療費の高いアメリカに渡る前に歯の治療を済ませたことで、「これで(犯罪多発のイメージがある)アメリカで自分に何かあっても、歯の治療痕から身元が特定できるね」という軽口だったともされている。)
・強盗説
引き出しが荒らされ1万円が無くなっていた。しかし、洋服ダンス内の預金通帳、留学のためのリュックサックにあったトラベラーズチェックや現金など十数万円は手つかずだった。
(※ 延べ1000人以上が事情聴取を受けたという。
ゼミやサークルなど大学の友人たち、中学校、女子高時代の友人、夏休みに英語を教えた地方中学校の関係者、アルバイト先の上司、同僚、近所の知り合い、新聞配達員、家庭教師先の家族、父親の仕事関係、母親のサークル仲間---母親はバレーボールチームに所属していた---姉の関係などに捜査の範囲は及んだが、成果は得られなかった。
警察は、犯人がアリバイ作りや時間稼ぎのために、何らかの方法で出火を遅らせた可能性も想定し、時限式発火装置の実験まで試みたが、これといった確証は得られなかった。)
■ 家からなくなったもの
・旧1万円札(1986年まで発行された聖徳太子の肖像入りの紙幣)
父親が1階居間の戸棚の引き出しに1枚だけ保管していた。現場検証で、戸棚の引き出しに物色された跡があり、その紙幣だけが見つからなかった。
■ 現場近くで見られた不審者
・事件当日の午後4時30分から40分頃、雨の中を傘も差さず現場付近から駅の方面へ走って行った20〜30代ほどの男。(※ 白い手袋をしていた、との情報がある)
・午後4時頃、道路に立って被害者宅の様子を窺っていた40代ほどの男。
・午後4時頃、被害者宅の南側で自転車を乗り回していた30代前半ほどの男。
・午後1時頃、被害者宅付近で主婦を尾行し、家の前でライターをいじり、体操をしていた40歳前後の男。
・午前9時から午後3時までの6時間、金町公園周辺をうろついていた白い手袋の男。
・事件の数時間前、京成高砂駅で「柴又3丁目はどこですか?」と道を尋ねていた男。
・事件前日の8日午前5時頃、被害者宅近くの掲示板付近で「ふざけんな、ぶっ殺すぞ!」と叫び、軍歌を歌いながら自転車で走り去った男。(「週刊文春」1996年9月26日号)
・事件前、被害者宅を見ていた男。30代後半、身長約160センチ、やせ形。黄土色のレインコートと黒ズボン姿(毎日新聞)
・事件当日午後4時頃、黒傘をさして現場近くに立っていた中年男。これと似た男が事件当日朝、京成高砂駅(柴又駅の隣駅)付近で柴又3丁目への行き方を主婦に尋ねている。
・事件3日前の正午過ぎ、40歳ぐらいの中年男が近くの何軒かの家に入りこんで追い返されたり、他人の家の門前でライターをいじるなど不審な行動を取っていた。
・事件当日の午後4時半頃、現場近くから、土砂降りの中、白い手袋をした20代後半から30代前半の男が、傘も刺さずに柴又駅の方向に向かって走り去った。(※ これは、前出の「雨の中を傘も差さず」の不審者と同じ情報ではないかと。)
■ 関連項目
・殺人事件被害者遺族の会(宙の会) - 当事件の遺族が団体の発起人及び会長(発足時は代表幹事)となっている。
・松戸女子大生殺害放火事件 - 犯行の手口の類似性から、一時容疑者が本件でも警察の追及を受けた。
(以上、ウィキペディアからの引用終わり)




