画像は赤城山荒山の中腹にある巨石「櫃石(ひついし)」。高さ2.8m、周囲12.2m、
古墳時代中期(5世紀後半から6世紀前半)の祭祀遺跡と見られており、周辺からは、祭祀に使われた玉や飾り、土器などが見つかっている。
巨石の位置から山の斜面を南東へと下ること約1kmのところに、全国に約330ある赤城神社の本宮とも噂されている「三夜沢赤城神社(みよさわあかぎじんじゃ)」がある。
その参道わきには数千株ものヤマツツジが植栽されており、毎年ゴールデンウィークの時期には参道を朱色に染め、訪れる者の目を楽しませている。
※※ パソコンからご覧の場合で、画像によってはクリックしても十分な大きさにまで拡大されず、画像中の文字その他の細かい部分が見えにくいという場合があります(画像中に細かい説明書きを入れている画像ほどその傾向が強いです)。その場合は、お手数ですが、ご使用のブラウザで、画面表示の拡大率を「125%」「150%」「175%」等に設定して、ご覧いただければと思います。※※
----------
■ 事件の概要(ネットに散見される当該事件の概要に、その他こまごまとした確からしいと思われる情報を付け加えてみたもの)
1998年5月3日(日)、千葉県白井市の主婦・志塚法子さん(当時48)は、 家族と群馬県宮城村三夜沢(現前橋市三夜沢町) の赤城神社へツツジ見物に訪れていた。
法子さんが同行していた家族のメンバーは、夫・娘・孫・叔父・叔母・義母であった。
一行は神社に行く前に花屋に行っており、その花屋で義母が「神社に行こう」と発案し、神社に行くことになったのだという。
(午前11時半ごろに神社に到着してみると)あいにくの雨のため、法子さんの夫と叔父だけが神社に向かい、発案者である義母も含めて他の家族は駐車場に停めた車の中で待機していた。
夫と伯父は傘を差さずに車を出た。(3km超の長いツツジの参道を見ようというのではなく、どうやら、赤城神社の拝殿向かって左手にある名水---御神水---が目当てだったようではある。この名水のファンは多いらしく、水汲みに来た人々がポリタンクをもって列をなすこともある、とのこと)
(1枚目、水色矢印の先に三夜沢赤城神社の御神水。御神水前の細道を画像奥に向かって行けば駐車場に出ることができる。2~3枚目は、御神水の場所のアップ。4枚目は、失踪当日の群馬県前橋市の気象データ。午前8時ごろに少し降り、その後やんで、午前11時ごろからまた降りはじめたことがうかがえる。花屋で義母が「神社に行こう」と言い出した時には降っておらず、神社に到着した時にはあいにくの雨となっていた・・・という事情だったのかもしれず、法子さんが失踪した山間部と市内の平地では天候は異なると思われるものの、とりあえず参考までに。)
夫と伯父が車を出てしばらくしてから(「夫と伯父が車を出て2分ほどしてから」との情報あり)、法子さんは、「折角だから、お賽銭をあげてくる」と言い、財布から賽銭用に101円だけを取り出し、一人で車を出て行った。
夫や叔父が通った道とは別の、近道になる林の中の道を通って行ったという。
その時の格好は、メガネ着用で、赤い傘を差し、 ピンクの長袖シャツに、黒のスカート、ハイビスカスのついた青いサンダルという目立つものだった。
財布は車中に残したままだった。
娘は、赤ちゃんをあやすために車から降りて(駐車場で)抱きかかえているときに、法子さんが境内とは別方向の場所(林の中)でたたずむ姿を目にしている。
これが、家族が見た法子さんの最後の姿となった。
法子さんは右耳が悪かったらしく、低気圧の時には気分が悪くなり、倒れたりすることがあった。
娘はそのことが心配になり、車を出た母親(法子さん)を捜しに出たが、それは法子さんが車を出てから6分ほどしてからのことだったという。(ちなみに法子さんは、自分が使っていた補聴器を残したまま失踪している)
法子さんを捜しているとき、娘は、帽子を目深にかぶった3人組とすれ違った。(3人の服装や年齢層、男女比などは不明)
法子さんの姿が見られなかったため、家族であたりを捜索するも見つからず、警察へ通報。
10日間で延べ100人あまりで付近一帯を捜索するも、発見することができなかった。
法子さんが失踪した赤城神社の参道は山道ながらもよく整備され、崖などの危険な場所や、道に迷う箇所もない。
また、ゴールデンウィーク中で神社には沢山の人が訪れていたが、不審な人物や物音を聞いた人はいなかった。
群馬県警にも20件ほどの情報提供があったが、発見に結びつく有力なものはなかった。
失踪から7か月後、失踪当日の同じ頃の赤城神社で偶然撮影されたホームビデオが、撮影者によってテレビ局に提供された。
そこには、法子さんとも見える人物が男性に傘を差しだすような姿が小さく写りこんでいたが、家族はこの傘を差しだす人物について、法子さんとは別人と確認した。
一方で、当該ビデオの右下には小さく傘を持った人影が映っており、これについて映像解析を試みたところ、傘の色は赤、髪の長さも法子さんとほぼ同じだということがわかった。
法子さんの失踪後、無言電話が数回、自宅にかかってきている。
その局番は、「 大阪」と「米子」であった。
家族は、テレビ番組「奇跡の扉 TVのチカラ」等にも出演するなどして法子さんの行方を捜したものの、発見にはいたらなかった。
失踪から10年後の2008年には、群馬県警が法子さんの顔写真等を掲載したビラを500枚配布し、情報提供を呼びかけた。
2008年6月、法子さんの失踪宣告がなされた。
-----
■ その他情報
1. 法子さんは身長156センチ、体重54キロ。ただし体重については、写真を見る限り、「もっとふっくらしていたのでは?」という情報も。
2. 失踪時にはいていたスカートについて、黒のスカートとの情報がある一方で、「赤とグレーのスカート」との情報もある。
3. 法子さんは失踪当日(1998年5月3日、日曜日)の朝に千葉から群馬に来たのではなく、その前日に夫(当時52)と一緒に(夫の実家がある)群馬県新田町に来ており、翌3日に、義母や親類の夫婦らを合わせた計6人で、参拝とつつじを見るために、乗用車と軽トラックの2台に分乗して赤城神社に向かい、午前11時半頃に到着、法子さんが「さい銭をあげてくる」と一人で車を出たのは「正午ごろ」だった、との情報がある。(ただしここでいう「新田町」というのが、「高崎市新田町」なのか、それとも2005年に合併で太田市になった「旧・新田郡新田町」なのかは不明)
4. 法子さんが三夜沢赤城神社の駐車場で車を降りた時の経緯については、二通りのバージョンがある。
一つは、「あいにくの雨だったため、法子さんの夫と叔父だけが車を降りて神社に向かった。その後、法子さんが『せっかくだからお賽銭をあげてくる』と言って車を降り、夫や叔父らとは別の、近道になるルートで神社へと向かった」というもの。(このバージョンがよく知られているかと)
もう一つは、「法子さんは夫(や叔父)と一緒に車を降りて神社へと向かったが、途中で法子さんだけが車に引き返してきて、(賽銭用のお金を手にすると)再び神社へと向かったが、その時は夫(や叔父)とは別の、駐車場わきの林の中にある小道---神社への近道---から神社へと向かった。ところがなぜか法子さんは、その小道の少し先にある分岐を神社側へ曲がらず、神社とは反対の山側のほうへと曲がり、そこで佇んでいたのを法子さんの娘が目撃している」というもの。
どっちのバージョンでも大差ないという気もするが、いちおう、二通りあるということで。
5. 神社の出口付近にバス停があり、法子さんがバスに乗って去った可能性も考えられたが、法子さんが失踪した時間帯にはバスは来てなかった。(あと1時間ほど待たなければバスが来ない時間に失踪している。ただし、検証が2006年なので、失踪時の1998年5月の時刻表で検証したかどうかは不明)
6. 法子さんが韓国語を習っていたとみられるテープが残されており、また、失踪後にかかってきた無言電話の局番が「大阪」「米子」などだったことから、北朝鮮による「拉致」を疑う向きもあるが、関連はわからない。
7. 法子さんは48歳という若くはない年齢だったが、失踪した現場の周辺では過去に70代の女性がレイプされる事件も起きており(というかこの種の事件は全国的にもたまにある)、法子さんについても、運悪くその種の人間と遭遇したのではと推測する向きもあるが、これも真偽はわからない。「襲われたのだとすれば、ピンク色のシャツを着て若く見えたという事情があったのではないか?」という見方もある。
8. 警察犬は神社の境内ではなく、車の通れる道で追跡をやめたという。(その「車の通れる道」の位置は不明。また受け取りようによっては「駐車場」ともみえるが、駐車場であったかどうかは不明。神社出口付近のバス停のあたりという情報もあるが、よくわからない)
9. 失踪翌日(5月4日)に、三夜沢赤城神社から北に直線で約3kmのところにある「赤城不動大滝」付近の林道で法子さんに似た人を見た、との目撃情報があるが、真偽は不明。
10. 三夜沢赤城神社の裏手には、赤城山系の広大な山林が広がっており、本殿東側から続く山道を辿ると、そうした山々の頂を目指すことができる。途中、冒頭でも紹介した巨石「櫃石」も見ることができるが、休みの日でもここまで訪れる人は少ないという。
(1枚目、赤城神社から櫃石がある赤丸〇までのルートにピンク色を付けた。その距離約2.1km、倒木などを避けながらの山登りの行程となる。2枚目は、1枚目の画像の青い四角で囲んだ部分を拡大したもの。水色矢印の部分などに分岐があるのがわかる)