世田谷一家殺害事件・その3 | 雑感

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世田谷一家殺害事件

(宮澤家の北側に隣接する、汽車ポッポ公園。汽車ポッポの前から、宮澤家の中2階風呂窓を望んでみる)

 

※※ パソコンからご覧の場合で、画像によってはクリックしても十分な大きさにまで拡大されず、画像中の文字その他の細かい部分が見えにくいという場合があります(画像中に細かい説明書きを入れている画像ほどその傾向が強いです)。その場合は、お手数ですが、ご使用のブラウザで、画面表示の拡大率を「125%」「150%」「175%」等に設定して、ご覧いただければと思います※※

 

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 殺害の状況から殺害順を考えてみる

 

さて、中2階風呂窓から侵入した(と、このブログでは仮定した)犯人は、

結果的に4人を殺害しているわけですが、

その殺害順はどうだったのか?

 

それを考える前提として、まず4人の死亡推定時刻や、

物色の状況、

犯人が残した足跡、

殺害の状況などを見てみるわけですが、

そのあたりを、『真犯人に告ぐ!未解決事件ファイル』からそのまま引用してみると、

 

「4人の遺体検案書によると、解剖時、胃の中には30日午後7時~8時ごろ、夕飯に食べたとみられる肉片、ニンジン片、茸片、緑色及び白色菜片、米飯、しらたきなどが混ざった液状の内容物が残留していた。このため、死亡推定時刻は同日午後11時半頃とされた。2階の台所のガス台に載っていた土鍋の中には鶏肉、白米、ニンジン、緑色菜片、卵が入った雑炊があったことは、4人が一家団欒で夕食の鍋をつついた後、殺害されたことを物語る。」

 

「現場は犯人が家中のタンスを引っかき回して物色していた、という凄まじい状況だった。」

 

「犯人は3階のロフトから(中)2階の廊下、子供部屋、(2階の)居間などに血液が付着した足跡をベタベタと20個以上残した。この足跡から犯人は韓国製の28センチの運動靴『スラセンジャー』を履いていたことが判明した。」

 

とのことで、4人の死亡推定時刻は、12月30日の夜11時半前後、

足跡は、あちこちに20個以上残っていたと。

 

足跡については、テレビ番組などでも、

それ(足跡)はどこに何個、そこに何個残っていた・・・

とかの設定で推理をしていたようなのですが、

 

犯人が殺害にあたって激しく動き回り、

しかも、家じゅうをひっくり返して物色しているらしいことを考えれば、

足跡の数が20個とか数十個のレベルであったとは思えず、

1階~3階ロフトまで、家じゅういたるところに、おびただしい数の足跡が残っていた・・・、

というのが実際だろうと想像しますし、

このブログ的には、その設定で考えてみたいと。

 

次に、殺害の状況ですが、

 

1. 宮澤みきおさんの場合

 

『真犯人に告ぐ!~』から、関連部分を引用してみると、

 

「宮澤さん宅1階は、みきおさんの事務所兼にいなちゃん、礼君の学習室になっており、その奥には備えつけの納戸、(中2階へと続く)階段があった。みきおさんがうつぶせで倒れていたのは階段下だ。」

 

「みきおさんの死因は『胸部刺創による心・大動脈損傷に基づく失血死』。前頭部、顔面、胸部、左右上腕、左太ももなどに無数の切創群があり、文字通り、メッタ刺しの状態だった。みきおさんの頭後部に、先端が折れた『関孫六(銀寿)』の柳刃包丁の残片が突き刺さった形で発見された。」


「みきおさんは2階にいて犯人と鉢合わせして刺され、階段下へ突き落されたのではないかという見方が当初あった。しかし、みきおさんは太ももを下から上にかけて刺されていた。これは犯人が2階から下りていき、1階でみきおさんを襲ったことを物語っている。みきおさんのスリッパは階段途中で脱げていたが、2階へ逃げようとしたみきおさんを犯人が後ろから刺したとみられます。」(成城署捜査本部元捜査員)

 

とのことで、成城署捜査本部元捜査員の、

「犯人は、階段上へ逃げようとするみきおさんを、階段下から刺した」

という見立てが正しいかどうかは別として、

ともかくも、宮澤みきおさんは1階の階段下で倒れており、

スリッパは階段途中で脱げていたと。

 

世田谷一家殺害事件

(3Dプリンターで作成した宮澤家1階の模型と、みきおさんの遺体が発見された時の位置、姿勢など。右上のイラストは、NHKの未解決事件特番より抜粋。これは、捜査本部が作成し全国警察に配布したDVD内のイラストをもとに作成されたと思われる)

 

世田谷一家殺害事件

(捜査本部作成のDVD内に収められている、遺体発見時の状況を描いたイラスト)

 

さらに当時、宮澤さん宅と壁一枚隔てた隣に住んでいた入江杏さん---

亡くなった宮澤泰子さんの実姉---の著書、『この悲しみの意味を知ることができるなら---世田谷事件・喪失と再生の物語』によると、

みきおさんの遺体の状況は、かなり特殊であったようで、(以下、引用)

 

「泰子のうちのドアを開けた。目に飛び込んできたのは、何かぶちまけられたものの山だった。

何か、とは、デスクの引き出しの中身だろうか、書類、文房具の類。いったい何? 頭の中が混乱する。

特に一階から(中)二階への階段下に、そのぶちまけられたものが山になっている。その山の中から信じられないものが突き出ている。異様に白い足、素足だったのを覚えている。みきおさんの足だった。不自然な格好で倒れたみきおさんの上に、その体を覆い隠すようにいろいろなものをぶちまけた、という印象だった。

目を引いたのは、大きなデスクの引き出しがふたつ、逆さにされて、みきおさんの上に乗せられている。ちょうど蓋をかぶせるかのようだ。引き出しで隠されて、私にはみきおさんの顔は見えなかった。二階にいる泰子は? 子どもたちは?

階段を上がろうとしたが、みきおさんの体とぶちまけられたものの山は階段をふさいでいた。脇を通りぬけようにも、その体をまたいでいかなければならない。私は途方にくれた。人の頭をまたいではいけない、枕を踏んでもいけない、そんな作法がこんな危急の場に、足を滞らせるなんて。

そんな躊躇(ためら)いも一瞬のことで、私はなんとか階段を何歩か上がったように思う。そこで、階段上の踊り場に横たわる何か黒いものと、そのそばの小さな黄色いものを目にしたか、しないうちに、背後の夫の声が私を引き戻す。

『見るな、入っちゃいけない!!』

いつも温厚な夫の厳しい声。いつも穏やかな落ち着いたパパの鋭い声。夫のあれほど緊張した声を聞いたことがない。

後で聞くと、その言葉は、夫の後ろにいた息子に向けられたものだ、という。思春期の息子に見せてはならない。とっさに夫はそう感じたのだという。ただ、異様に強い禁止の響きが私の足も引き止めた。見てはならない。恐怖に足がすくんで前に進めない。

『何も触っちゃいけない! 戻るんだ!』

促されるままに私は、うしろに呆然と立っていた息子とともに夫にすがりついて、後ずさりした。

『すぐに帰ろう、うちで警察を呼ぶから』と言う夫に、私は『119番、救急車呼んで!!』と叫んだ。

『いや、110番、警察だ!』

家に飛びこむやいなや、夫はすぐに電話を取ると、警察に通報した。

『世田谷区○○○です。隣が殺されています!!』」

 

という状況であったと。

 

書類その他が、遺体の上に山のようにぶちまけられていた、とのことで、
そのぶちまけられた山の中から、異様に白い素足が突き出ており、
さらにその上から蓋を被せるかのように、大きな引き出しが二つ、逆さにして乗せられていたと。

 

この状況で「殺害順」ということを考えてみるとき、今さら感が強いですが、

特に着目すべきは、みきおさんの頭部に、

凶器となった柳刃包丁(関孫六)の先端が欠けて、それ(先端)が突き刺さったまま残っていた、

ということではないかと。

 

世田谷一家殺害事件

(フジテレビ『報道スクープSP 激動・世紀の大事件』より。この番組、放送当時「犯人は日本人」と言いたげな終わり方をして、その点については嫌な思いがした記憶があるのですが、いま見直すと、結論はともかくとして、よく取材されており、参考になると。デイリーモーションで見れます。番組によると、犯人が宮澤みきおさんを凶器の柳刃包丁---関孫六・銀寿---で襲撃した際、その先端数ミリが欠け、それが、みきおさんの頭部に突き刺さった状態で発見された、とのこと)

 

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2. 宮沢泰子さん、にいなちゃんの場合

 

二人の殺害状況についての、『真犯人に告ぐ!~』から、その部分を引用してみると、

(画像は、NHKやフジの特番を参考にした当方による補足です)

 

浴室とトイレの間にある(中)2階の廊下では、泰子さんとにいなちゃんの遺体が重なり合うように倒れていた。犯人のプロファイリングで『残忍な性格』とあるが、それは殺害状況が何よりの証拠だった。泰子さんの直接の死因は『心タンポナーゼおよび出血性ショック』となっている。解剖医の解説によると、これは泰子さんに向けられた刃が心臓を覆う心膜を貫き、心臓まで達したため、心膜腔内に320ミリリットルもの血液がたまり、鼓動を止めてしまった状態を示すという。」

 

世田谷一家殺害事件

(3階の屋根裏部屋・ロフトへは、中2階トイレ前のピンク〇のあたりから3階ロフトピンク〇の位置へ、梯子で登っていたという)

 

世田谷一家殺害事件

(捜査本部作成のDVDに収められている、泰子さん・にいなちゃんの遺体発見時の状況)

 

「泰子さんの頭部、顔面、頸部、背中、 右左上肢には無数の切創、擦過、打撲痕があった。『犯人に頸部を絞められた際、負ったとみられる甲状軟骨左上角の骨折跡がみられる』と記されている。

血痕から犯人は、みきおさんをメッタ刺しにして先端が折れた関孫六の包丁を持って3階のロフト(屋根裏部屋)に上がり込み、ここで寝ていた泰子さん、にいなちゃんをいきなり刺したとみられている。『その後、犯人はいったん、ロフトの梯子を下り、2階の台所にあった洋包丁を取りに行った。この隙に泰子さんは傷口から血を流しながら、にいなちゃんを抱え、ロフトの梯子を下り、逃げようとした。梯子の周囲には泰子さんの血が真っすぐ滴り落ちた痕が多数、残っていた。これに気付いた犯人が阻止しようと洋包丁でトドメを刺したと思われます。』(警視庁捜査一課元捜査員)

 

世田谷一家殺害事件

(画像のように就寝中だったかは不明ながら、ロフトで襲われたのは確からしい)

 

世田谷一家殺害事件

(犯人がロフトを離れたすきに、泰子さんはにいなちゃんを抱えてロフトを降り、逃げようとしたものとみられるが・・・)

 

「最後まで生きていたのはにいなちゃんとされる。泰子さんの体内から流れ出てゼラチン状に凝固した血の海の中で、正座したような恰好のまま、うつぶせで死亡していた。

にいなちゃんの死因は『後頭部刺創による頚髄損傷』となっているが、解剖所見では頭蓋骨に硬膜下出血、外傷性くも膜下出血の跡があること、上顎左から1本目と下顎右から3本目の歯がそれぞれ欠損していたことが記されていた。硬膜、くも膜下出血は生存中でなければ、血種が鮮明に現れない。それゆえに、これらの痕跡はまだ生存中、犯人から逃れようとしたにいなちゃんが殴打されるなどして歯を折られたことを物語っていた。ロフト内の床やベッドの隙間からも、にいなちゃんのものとみられるO型の血液が歯根部に付着した小さな歯が2本、発見され、周囲からは、その歯が砕け散ったとみられる破片が採取されていた。泰子さんの傍らで意識朦朧となっていたにいなちゃんの首の後ろから洋包丁で頚髄、甲状腺、食道までを貫き、息の根を止めるという残忍極まりない犯行であった。

宮澤さん宅の裏手に住む住人などが犯行時刻とされる午後11時半頃、ドーンという物音を聞いている。当初は泰子さんがロフトから廊下へ転落した音ではないかとされたが、人に見立てたサンドバッグを落とすなど音の実験を繰り返した結果、ロフトへ上る梯子を犯人が勢いよく下した際、生じた音と判断されたという。」

 

とのこと。

 

「殺害順」ということを考えるうえで、気になる記述は、

 

「血痕から犯人は、みきおさんをメッタ刺しにして先端が折れた関孫六の包丁を持って3階のロフト(屋根裏部屋)に上がり込み」

 

という部分かと。

この点、フジの番組でも、泰子さんの傷について、

 

世田谷一家殺害事件

 

「背中には、折れた包丁で叩いた痕が残っていた」

 

と、泰子さんが刃先の欠損した柳刃包丁で襲われたことを描写していると。

 

仮に泰子さんについて、

「刃先の欠損した柳刃包丁で襲われた」

というのが事実とすれば、もう一方の事実として、

「みきおさんの頭部には、柳刃包丁の刃先が突き刺さったまま残っていた」

というものがあり、これらを考えあわせれば、

柳刃包丁で最初に襲撃(殺害)されたのはみきおさんであり(この時に刃先が欠損)、

次に、その刃先が欠損した柳刃包丁で襲われたのが泰子さんとにいなちゃんであると、

今さらですが、やはりこう考えるのが妥当なのかなと。

(あくまで、単独犯が1本の柳刃包丁で襲撃したことが前提。単独犯が同型の柳刃包丁を2本以上持ち込んでいたとか、複数犯がそれぞれ同型の柳刃包丁を手にして犯行に及んだ・・・等の状況は考えていません)

 

それと、殺害順とは別の話なのですが、

泰子さんが受けていた傷について、

 

「急所の心臓付近ではなく、胸の上部から首、顔に傷が集中していた」

 

ということが多くの情報にはあり、

傷の約半数は死後につけられたものだった、とも。

(ググるといろいろ出ます)

 

泰子さんの顔の傷については、それが例えば、

どう見ても、いわゆる「猟奇性」を感じさせる異常な(変質的な趣向を凝らしたような)ものだったのか、

あるいは、傷の数は多いが、刺し方自体は単純なものだったのか、
そのあたりはわからないのですが、

顔が多く刺されていたというのはどうも本当らしく、

入江杏さんの著作、『この悲しみの意味を~』にも、

 

「四日(木)は堀の内斎場で、親族だけで密葬が行われた。(中略)密葬後、型どおりの精進落としの会食の席で、『めった刺しということで、特に泰子さんの顔はひどく刺されていました・・・』と事件のあらましが紹介された。母はその言葉に今でも怒りを持っているという。妹に原因があるかのような言葉だというのだ。確かにそのとき、その言葉を耳にして、私は生々しい凄惨な場面を思い出し、震えがとまらなくなった。でも、事実なのだから、誰がその言葉を責められるだろうか?」

 

とあり、入江さんのこの言葉からしても、

泰子さんの顔に多くの刺し(切り?)傷があったのは、事実なのだろうと。

 

上の、「めった刺しということで、特に泰子さんの顔はひどく刺されていました・・・」という言葉を、親族だけの密葬後に(親族への)事件報告として語った人物は、

入江さんの本の他の部分から推し量って、おそらく宮澤みきおさんのお父さん(宮澤良行さん・故人)ではないか、と想像するのですが、

この良行さんは事件直後に、親族を代表して成城署で4人の遺体確認を行ったそうで、

良行さんによると、

 

みきお、泰子、にいなは顔に傷がありましたが、『ああ、確かに、この顔に間違いない』とすぐに判別がつきました。礼の顔は膨張し、一瞬、見ただけでは正直、わからなかった

礼は後頭部の形が少し、変わっていたので私は頭の後ろに手を当てて、感触を確かめようとしましたが、警官に強い口調で『触らないで』と注意されました。遺体となった孫に触れることも許されないのか・・・。複雑な気持ちになったことを今でもよく覚えています。」(『真犯人に告ぐ!~』より)

 

とのことで、

泰子さんの顔について、その傷の数は多いとはいえ、

例えば、身内にさえ一見して誰だかわからないような、

いわゆる、「原形をとどめていない」ような状態ではなかったのではないか、ということが、

良行さんの証言---良行さんは礼君については「一見して誰だかわからない状態だった」と率直に証言している---からは、うかがえるのではないかと。

 

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3. 礼君の場合

 

礼君の殺害状況を、『真犯人に告ぐ!~』(2010年1月、朝日新聞出版)から引用してみると、

 

「一方、礼君は(中)2階の子供部屋のベッドの上でうつぶせのまま、死亡していた。

礼君の死因は『頸部圧迫による窒息死』で、その首筋には左側に3点、右側に1点の内出血痕があったことが捜査報告書には記されていた。これは犯人が右手とその指を使って気道を圧迫し、扼死させたことを示している。」

 

「(中)2階の小窓(風呂窓)から室内へ降り立った犯人は、奥の子供部屋へと進み、ベッドで寝ていた礼君を真っ先に殺害したという説が今では有力だ。礼君が一番に殺害されたという説の根拠は、ベッドの周囲に血痕が付着していなかったことにある。犯人は、みきおさん、泰子さん、にいなちゃんを殺害した際、大量の返り血を浴び、自らも右手にけがをした。すでに殺害を実行した後、犯人が礼君を扼殺したのであれば、どこかに血痕が必ず残ったはずである。

犯人は礼君を殺害後、(2階の)居間へ移動し、ヒップバッグから柳刃包丁『関孫六』を取り出し、みきおさん、泰子さん、にいなちゃんの順に殺害したとみられている。

鑑定資料によると、犯人は4人を殺害後、(中)2階の廊下先にある(2階の)台所へ行き、流し台の上に凶器である先端が欠けた関孫六の柳刃包丁と刃体がぐにゃりと曲がった洋包丁を置いたとされる。それぞれの刃の部分に犯人のものであるA型の血液が付着し、流し台の上と流し台下の収納庫にも犯人の血が付着していた。」

 

世田谷一家殺害事件

世田谷一家殺害事件

(1枚目は、3Dの模型やNHKの特番を参考にした、当方による補足画像。2枚目は、捜査本部作成のDVDに収められている礼君遺体の状況)

 

「礼君のベッドの周囲に血痕が付着していなかった」

 

という部分については、

それを打ち消す情報が、2015年の年末ごろにリークされています

 

2015年12月28日、読売新聞

http://www.yomiuri.co.jp/national/20151228-OYT1T50128.html

「東京都世田谷区で2000年12月30日深夜、会社員宮沢みきおさん(当時44歳)一家4人が殺害された事件で、長男の礼君(同6歳)の布団に犯人の血液が付着していたことが捜査関係者への取材でわかった。犯人が一家を襲撃した際に、手にけがを負い、出血したとみられる。

事件は30日で発生から15年を迎える。10年の刑事訴訟法改正で時効は撤廃され、警視庁は現在も犯人の足取りを調べている。

捜査関係者によると、礼君は(中)2階の子ども部屋のベッドで首を絞められて殺害されていた。布団に付着していた血液はA型で、家族とは一致せず、犯人のものと確認された

1階の階段付近で遺体で見つかった宮沢さんの手には、身を守ろうとした際にできた傷があり、犯人ともみ合いになったとみられる。妻泰子さん(同41歳)と長女の小学2年にいなちゃん(同8歳)は屋根裏部屋のベッドで就寝中に襲われた。

犯人は宮沢さん夫婦とにいなちゃんを包丁で刺した際に手を負傷したとみられ、2階台所にも犯人の血痕が残っていた。」

 

ただ、この読売の記事から直ちに、

 

「布団に犯人の血が付いていたのなら、最後に殺されたのは礼君だろう」

 

となるかというと、自分的にはそこまでは思えず、

「礼君が最後に殺害された」とするには、

「礼君の(布団だけではなく)体自体に、扼殺時のものとみられる犯人の血の痕跡が残っていた」

とかの状況が必要に思えるわけで、

「礼君の布団に、犯人の血が付いていた」

という事実だけでは、弱いような気がすると。

 

礼君の布団に犯人の血が付く、という状況は、礼君を最後に殺害しなくても---最初に殺害した場合でも---十分に起こりうると思うわけで、

この犯人は、残虐なことをするくせにその結果は見たくない・・・という手前勝手な性格をしているらしく、

みきおさんや泰子さん、にいなちゃんの遺体の上には、書類や引き出し、衣類などを山のように積んで覆い隠すかのようなことをしている、その事実がまず前提としてあると。

 

階段の踊り場で見たあの衣類の山は? 大きな山と小さな山が寄り添うように、そこにあった。まさか、まさか人が倒れていたのだろうか? いや、違う、人の姿には見えなかった。人の姿のはずがない。いや、人の姿であっていいわけがない。きっと、ただの洋服の山だ。人間のはずがない。ましてや、大好きだったふたりのはずがない。」・・・入江杏著『この悲しみの意味を知ることができるなら』より

 

とすると、身内でさえ

「一見して誰だかわからなかった」

というほどに顔が膨張していた礼君について、

犯人的には、子供部屋を物色する際、膨張した礼君の顔を見たくないがために、遺体をうつぶせにして布団をかぶせるといった行為があったかもしれず、

仮にその時、犯人の怪我の止血が完全に行われていなければ、犯人の血が礼君の布団に付いたとしても、不思議ではないのかなと。

(私は、礼君の首の内出血痕---首筋の左側に3点、右側に1点の内出血痕---から、礼君は仰向けの状態で扼殺された、おそらく犯人は、ベッドに中途半端に押し倒され仰向けになった状態の礼君の口を左手でふさぎ、右手で首を絞めたのでは、と思うのですが、

遺体発見時の礼君はうつぶせであったと、つまり犯人が、全員を殺害後に子供部屋を物色した際、膨張した礼君の顔を見たくないがために遺体をうつぶせにし、上から布団をかぶせたのでは?・・・と想像していますが、仮にその流れなら、礼君の布団のみならず、礼君の体の一部にも、犯人の血が少しは付着していたのではないか、と想像しています)

 

また、「礼君の布団に犯人の血が付いた」経緯としては、次の状況もありうるかと。

 

すなわち、この事件の遺体の第一発見者は、当時、壁一枚隔てた隣に住んでいた(泰子さんや入江杏さんの)母親なわけですが、

入江杏さんの著書によると、そのお母さんは遺体発見時、泰子さんやにいなちゃんの遺体を抱え起こそうとしたと。

 

ふと見ると、母の顔に血がついている。手にも血がついている。どうして? どうして? 一気に不安がふくらむ。『早く、早くみんな来ておくれ!』母は靴下履きのまま、また飛び出していく。その姿を追って、私と夫と息子は、取るものもとりあえず隣に行った。あとで気がついたが、私は室内履きのままだった。」

 

「母が、すっかり疲れて単調になった力ない口調で、凶行を発見したその時のことを(刑事に)話している。『泰子は起こそうとしても、重くて起こすことができなかったんですよ。でも、にいなちゃんは、抱き起しました。だって生きていたら、助けなきゃと思いましたからねえ。』

あんなにかわいがっていた孫の変わり果てた姿を目のあたりにして、母はどんな思いだったろう。でも、動転していながら、というより、動転していたからこそだろう。母は、現場を全部見てまわり、ベッドに横たわる礼ちゃんや、浴室の窓が開いていたことも、たったひとりで確認している。気丈にもわずか10分足らずの間に、4人全員の顔や姿をその目で見ているのだ。」

 

つまり、泰子さんのお母さんは、階段踊り場で泰子さんやにいなちゃんを抱き起そうとしたとき、

その手や腕、体に、泰子さんやにいなちゃんの血とともに、犯人の血を付着させたかもしれず、

その状態で隣の子供部屋に入り、そこで礼君の遺体を確認したときに、

礼君に被せられていたか、あるいは、傍にあった礼君の布団(と、おそらくは礼君の体そのもの)に

犯人(および泰子さん、にいなちゃん)の血液を付着させた・・・という可能性もあるのではないかと。

(読売の記事では、「布団に付着していた血液は、家族のものとは一致しなかった」とはありますが、事実はどうだったか・・・)

 

ともあれ、礼君の布団に(犯人のものも含めた第三者の)血が付くという状況は、

「礼君が最後に殺された場合」以外でも、それほど無理はなく考えられる一方で、

「礼君が最後に殺された」のであれば無ければおかしいと思われる情報、すなわち、

 

「礼君の体に、扼殺時のものとみられる血液が付着していた」

 

という情報が、全く出ていないと、

これはさすがに気になるわけで。

 

この事件では、犯人は被害者の血を大量に浴びていると思われ、

特に泰子さんについては、最後はおそらく馬乗りになって刺しまくったことが想像され、

すると、犯人の顔や手、腕、胸、腹、股のあたりには、

自分と被害者の血を含めて、かなりの量の血が付着しただろうと、

 

その、いわば「血まみれ」の状態で最後に礼君を扼殺した場合、

礼君の首や口には、犯人や、先に殺された3人の血が付着するのが自然では?・・・と思いますし、

 

また礼君だって、ボーっとおとなしく首を絞められたわけではないでしょうから、
多少は、犯人の手や腕をつかむ、かきむしるなどしてみたり、

足をばたつかせ、その足が犯人の血まみれの体に当たることもあったのではないか、

とすると礼君の首のみならず、手や足などにも、犯人やみきおさん、

泰子さん、にいなちゃんの血が付くのが自然ではないか、

 

礼君が最後に殺害されたのであれば、礼君の首や口周りに犯人のA型の血液が付着し、

その手や足などには、犯人のみならず他の家族の血液も付着していた、

そういう情報があってもよいのでは、と思うのですが、

その情報は、今に至るまで出ていないと、この状況では、

礼君が最後に殺されたとするには厳しいのかなと。

 

礼君の体への血液付着(の情報)がない・・・という点については、

例えば犯人が、みきおさん、泰子さん、にいなちゃんの殺害後に、シャワーを浴びて返り血を洗い流し、

止血も完全に終え、新しい服に着替え、

さらに念入りに、あの仰々しい豚革の手袋をした状態で礼君を扼殺した・・・等の状況ならありうるかもしれませんが---しかし、あの豚革の手袋の内側には犯人のA型の血液がべっとり付いていた、とのことなので、「あれを着用した時点で止血が終わっていた」という感じでもないです---ことさらにそういった設定で考えるよりは、自分的には、

 

「中2階の風呂窓 = 侵入口」

 

と推測してきたわけなので、そこから推し量って、

 

「同じ中2階の子供部屋にいた(と思われる)礼君が、最初に殺害された」

 

と考えるのが、(これまでの推測的には)素直だと思いますし、

手前勝手な見方ばかりですが、

自分的にはその線で考えてみたいと。