「女性は全裸のまま、茨城県新治郡八郷町の国有林に遺棄されていた。今でもはっきり覚えているのは、死体がとてもきれいだったことである。血もきれいに拭き取られていて、全身を洗い清められているようであった。」
( 『法医学事件ファイル 変死体・殺人捜査』 三澤章吾〈2001〉 日本文芸社)
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この事件(93事件)は、2008年1月に時効にかかってしまいました。
その直前直後に、複数のメディアが関連記事を出していました。
その他、この事件にまつわるドキュメントとしては、
上の法医学者・三澤章吾氏によるものがよく知られていますが、
それらの記事や文献をすべて網羅(コピペ)すると、異様に長くなるわけです。
そこで以下、時効にかかった2008年1月当時の視点に立ちつつ、
それらの記事~文献の内容を一つにまとめたものをアップしてみます。
無理やり一つに融合しているので、元の記事~文献とは言葉や表現が異なる箇所もあり、
その結果、心ならずも意味そのものが変わってしまっている箇所や、
不正確な箇所が、絶対にないとも言い切れません。
なので、以下の文章は、この事件のおおまかな流れ・雰囲気を把握するための、
とりあえずの参考・・・程度の気持ちで、読んでみていただければと。
(より正確を期する場合は、元記事や文献をググってみられることをお勧めします)
------- 以下、いわゆる「93事件」のあらまし。2008年1月、時効成立時の視点から -------
石岡市(旧八郷町)柴内の国有林内で、1993年1月13日午後4時ごろ、
常総市(旧石下町)新石下の元美容師、谷嶋美智子さん=当時(22)=が全裸遺体で発見された殺人死体遺棄事件は13日、発生から丸15年が過ぎ、同日午前0時で公訴時効を迎えた。
胸部付近を執拗に刺す残忍な手口にもかかわらず、遺体は血痕の付着がほとんどなく清められたような状態で見つかるなど、「極めて猟奇的」(県警幹部)な事件。
捜査本部が置かれた石岡署の捜査員は、
「最後の最後まで犯人検挙のため努力したが、非常に残念だ」と唇をかんだ。
捜査本部のこれまでの調べでは、
谷嶋さんは92年11月末まで、旧石下町内の美容室で働いていた。
(退職理由は”自動車学校に通うため”との記事あり)
遺体で発見される前日の93年1月12日午前7時半ごろ、
黒っぽい服装で、自宅アパートから近くの同町内自動車教習所にタクシーで向かい、
午前10時半ごろまで教習所にいたことが確認されている。
(画像向かって中央よりやや左上、スカイブルーの点●あたりが常総市新石下〈旧・石下町新石下〉)
(新石下の谷嶋さん自宅アパート近くの自動車学校といえばこれのみ。すでに平成23年3月、48年間の歴史に幕を閉じている)
谷嶋さんはこの日、同教習所の卒業検定で合格すれば、
マイカー購入の契約を行う予定となっていた。
卒業検定は午前9時に始まり、午前10時には終了したが、谷嶋さんは不合格となった。
このため谷嶋さんは、翌14日午前11時からの路上教習を予約した後、午前11時ごろに教習所を歩いて出た。
その姿を、同校の教官がはっきり目撃している。
帰りはタクシーを利用しておらず、
また学校の近くにはバスの停留所があるが、警察の調べによるとバスを利用した形跡もなく、
教習所を歩いて出てからの谷嶋さんの足取りは全くつかめていない。
卒業検定の合格者は、12日午後5時ごろまで、校内で教習を受けることになっていた。
このため、谷嶋さんの当日午後5時ごろまでのスケジュールは(卒業検定に合格して教習を受ける場合を考えて)空白だったものと推測されたが、
谷嶋さんが午前11時ごろに教習所を出たのち、自宅アパートに戻った形跡はなかった。
当時捜査を担当した県警OBは、
「自動車学校を出て間もなく犯人と接触し、車でそのまま連れ去られた公算が大きい」と話す。
翌13日の午後4時ごろ、谷嶋さんが最後に目撃された自動車教習所から
北東に直線で約18.5キロ離れた旧八郷町柴内の国有林内で、
谷嶋さんの遺体が全裸・仰向けの状態で発見された。
(向かって左下、スカイブルーの点●が自動車学校の位置。中央よりやや右、赤ピンの先あたりで遺体が発見された)
現場は、石岡警察署の小桜駐在所(2016年現在廃止)から南西方向に約3キロメートル、
表筑波スカイラインの朝日峠から北へ約1.2キロメートル下った山の中腹であり、
旧八郷町から朝日峠を経由して旧新治村へと通じる町道から、
車一台がやっと通れるほどの狭い山道(旧道)を40~50mほど西へ入ったところにある、切り通し状の右斜面だった。
現場に通じる山道(の入り口)は、初めての人間にはなかなか気づきにくい道とされるが、
その日、筑波山に遊びにきていた会社員が車で乗り入れたところ、斜面に遺体を発見したという。
遺棄現場からはサイズ25~28cmの底が平らな靴跡や、
乗用車と軽トラックとみられるタイヤ痕が採取された。
司法解剖の結果、
死亡推定時刻は、12日(遺体発見の前日)の午前10時~午後4時ごろ。
頭部に2か所の皮下出血、
胸部に13か所、首に2か所の刺し傷。
うち4か所は心臓にまで達しており、死因はそれによる失血死。
右大腿部に1か所の大きな切り傷。
凶器は現場に残されていなかったが、幅1~1.5センチ、長さ10センチ以上の鋭利なノミ、あるいはヘラのようなものと推定された。
(足の裏にも、胸や首を刺した凶器とは異なるものによる、いくつかの傷があった、とされる。)
首にはひもで絞められたような跡があり、
抵抗した形跡なし、
傷口に繊維・ごみなどの付着物なし、
肌には血痕がほとんど付着しておらず、
体内の血液は半分以上が流出していたことも判明。
失血死であるにもかかわらず、現場からは一滴の血痕も見つからなかったため、
犯人は谷嶋さんをどこか別の場所で殺害し、
遺体を浴槽などにつけ、肌に付着した血痕を洗い流すなどの行動を取った後、
旧八郷町の国有林内まで運び遺棄したものと推定された。
遺体は全裸だったが、
長さ40センチ及び51センチのネックレスを着用。
左耳に直径3センチのイヤリング、
右手中指には葉っぱが2枚重なったモチーフの18金の指輪、
右手薬指には8角形で4本の斜線が入った銀色の指輪を付けていた。
衣服は見つかっていない。
石岡・下妻両署の合同捜査本部は延べ約3万8000人体制で、
被害者の自宅周辺のほか、交友関係者ら約3万3000人から聞き込みを行い、
目撃者の収集に全力を挙げた。
県警OBで当時、 捜査本部にいた元捜査員は、
「遺体は洗い清められて色白でマネキンのような状態だった。通常は現場付近に血痕などが散乱しているものだが、まったくといっていいほど物証が見あたらず難しかった。被害者の交友関係から何か出ないかと期待したが、疑いのある人物が浮かんでは消えた」と振り返る。
元担当捜査員で現職警察官の1人は、
「解剖所見では死因は心臓損傷による失血死だが 、相当な刺し傷や、右大腿(だいたい)部にかなり大きな切創が認められた」と指摘。
さらに、「殺害のされかたが、米映画の『氷の微笑』に似ているというので、レンタルビデオ店の顧客名簿なども調べ上げたが、犯人像を絞り切るまでには至らなかった」
と明かした。
(一部情報提供者からは、この映画との類似点も指摘されたという)
「浮かばれない」・・・悔しさにじむ親族や知人ら
「私の娘の結婚式に出てくれた時、『次はみっちゃんの番よ』と話して楽しみにしてたのに、もう花嫁姿は見ることができない」
谷嶋さんの伯母(64)はそう話し、悔しさをにじませた。
桜川市(旧真壁町)生まれの谷嶋さんは、中学2年生の時に両親が離婚し、
最初は妹や弟とともに実母に引き取られたが、
約1年後に、谷嶋さんだけ実父の敏昭さんと一緒に暮らした。
真壁町内の県立高校を卒業後、念願の美容師となり、
石岡市内の美容室に住み込みで勤務した後、
旧石下町内の美容室に、92年11月末まで勤めていた。
「実家で寝たきりになっていた祖母を気遣う優しい子だった。美容師になれたときには、夢がかなったと聞いてみんなが喜んだんだよ」
敏昭さんの兄、谷嶋一雄さん(66)はそう話した。
谷嶋さんは美人で、「子どものころから明るくて、人懐こい可愛い子だった」と伯父夫婦は口をそろえる。
谷嶋さんが殺害されてから、ほどなく祖父が他界。
父の敏昭さんも、犯人逮捕を墓前に告げることなく、2006年1月に亡くなった。
(実父の谷嶋敏昭氏は93年1月の事件当時42歳なので、亡くなったのは55歳くらい)
「残念の一語に尽きる。何ともいいようがない。弟が生きている間に犯人が逮捕されてくれたらよかったのだが、弟もさぞかし心残りだったと思う。今は頭の中が真っ白の状態」
叔父の一雄さんもそう悲しみにくれた。
谷嶋さんが殺害される1か月前まで勤務していた美容室の女性(71)も特別な思いがある。
谷嶋さんは旧石下町にあるこの美容室に約2年半勤務した。
「仕事ぶりはまじめだった 」が、「よく男の子が迎えに来ていた。交友関係が多かったからか、欠勤しがちだった」とも。
女性は親身になって面倒をみてきただけに、事件に巻き込まれたことが残念でならないという。
「私の夢にでも出てきて犯人について教えてほしい。このままじゃ、あの子が浮かばれない」と寂しげに話した。
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あらましは以上ですが、
この事件も古い事件のご多分に漏れず、情報は少ないです。
特に遺体遺棄地点について、大雑把な位置は想像できるものの、
正確な位置が(自分には)わかりません。
こういう状態なので、意味があるかはわかりませんが、
限られた情報から遺体遺棄地点の推測をしてみるとすると、
まずそこは、かつての新治郡八郷町柴内、現在の石岡市柴内の国有林内であり、
なおかつ、表筑波スカイラインの朝日峠から北へ約1.2キロメートル下った山の中腹であり、
旧八郷町 → 朝日峠 → 旧新治村へと抜ける町道沿いの地点だというのであり、
多分にそれは、
向かって右下、「分岐」から上へとのびる曲がりくねった道(フルーツライン)沿いにある
いずれかの国有林内であったことが推測されるかと。
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遺棄現場は、そのフルーツライン(と思われる)道から、
車一台がやっと通れるほどの狭い山道(旧道)を40~50mほど西へ入ったところにある
切り通し状の右斜面だ・・・
というのですが、地図で確認してみるとその
「フルーツラインから西へ伸びる、車一台がやっと通れるほどの山道」
に該当しそうなのがどうも2本あるようで、
それらの道は、上の衛星画像でいえば①と②のあたりにあるのですが、
よく見えないので、わかりやすい図で示してみると、
このように細い道が2本、西に向かって伸びていると(①②)。
仮に、遺棄地点へと通じる細道がこの2本のうちのどちらかだとして、一体どちらなのか・・・
ということを考えてみるとそれは、
「(遺棄地点は)石岡警察署の小桜駐在所(2016年現在廃止)から南西方向に約3km」
「(遺棄地点は)表筑波スカイラインの朝日峠から北へ約1.2km下った山の中腹」
という記述から推測してみるのがいいのかなと。
(①と②それぞれの入り口。ちなみに、この区間のフルーツライン自体は2車線で、1970年代からある古い道)
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その前に白状しますと、
「石岡警察署」
「小桜駐在所」
「朝日峠」
と書いてはいますが、この部分はすべて推測です。
(元ネタを書いたのは、この事件で司法解剖を担当した法医学者の三澤章吾氏ですが、その原文では、「I警察署の駐在所」であるとか「表筑波スカイラインのA峠」等、伏字となっている)
遺棄現場が
「旧八郷町柴内(現・石岡市柴内)の国有林」
であることは公表されているので、そこから、
「I警察署」 = 「石岡警察署」、
「表筑波スカイラインのA峠」 = 「表筑波スカイラインの朝日峠」
であることが推測され、
また遺棄現場を約3キロ離れたところから南西に見下ろしているという「駐在所」とは、
位置的に見て、旧八郷町にあった(現在は廃止されている)「小桜駐在所(石岡市月岡170)」で間違いないだろうと。
(ちなみに旧八郷町にはもうひとつ、「小幡駐在所」がかつて存在したものの、この小幡駐在所から柴内の遺棄現場とされるあたりは直線で約5キロ離れており---距離違い---、さらに、小幡駐在所から遺棄現場方面を見た方角も「南西」ではなく「南」となる---方角違い---。よって小幡駐在所は候補から外れるかと。)
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以下、それらの推測を前提として話を続けてみると、
まず①と②のいずれの地点が
「表筑波スカイラインの朝日峠から北へ約1.2km」
に該当しているのか、
そもそも基点となる「表筑波スカイラインの朝日峠」をどこに設定するべきなのか、
地図で見ると表筑波スカイラインには
「朝日峠駐車場」
「朝日峠展望公園」
などがあるのですが、ウィキペディアで「朝日峠」を調べてみると、
それはどうも、上の図の向かって右下、赤丸○の地点が「朝日峠」とのことでした。
(国土地理院の地図による)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%97%A5%E5%B3%A0
しかし、その赤丸○の地点は厳密には「表筑波スカイライン」からは外れた区間であり、
「表筑波スカイラインの朝日峠」とは言いにくい場所であるので、
その赤丸○の地点はボツだとして、
とりあえず、その赤丸○の地点から西へ約70mほど行った(上の画像中)「分岐」とある地点を
「表筑波スカイラインの朝日峠」だと設定してみるとして、
そこから①と②それぞれ舗装路から40~50m西へ入り込んだ地点までの直線距離を測ってみると、
こうなります。
②までがほぼちょうど1.2kmです。
(直線距離でない場合は、①まででも約1.6kmある)
とすると①よりは②のほうが遺棄地点の可能性が高いのかな・・・
と思ったりもするのですが、
しかし距離については、起点となる「朝日峠」をどこに設定するかによっても差が出てくるので、
一概に②のほうが可能性が高いとは言えないのかなと。
また、「小桜駐在所(2016年現在廃止)」があった地点から②までの直線距離は、
約3.19kmであり、これも
「(遺棄地点は)駐在所から南西方向へ約3キロ」
という記述にほぼ一致しており、
「朝日峠」からの距離(1.2km)なども考え合わせると、
やはり②は、遺棄地点の候補としては有力と言えるのではないか・・・
とは思います。(①も捨てがたいですが。)
(ちなみに、小桜駐在所があった地点から、①までの直線距離は3.47km)
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(事件の約9か月後---1993年10月---の遺棄現場付近の空撮画像。2016年現在とほとんど変わってないように見える。遺棄地点としては、このブログ的には②が最有力、次点が①ということで。どちらも全く違うかもしれませんが、その場合はご容赦を。)
遺棄地点に関する推測はこんなところでしょうか。
その他、この事件を調べてみると、これは決して
「犯人が誰なのか見当もつかないような事件」
だったわけではなく、実は
「怪しい人物がいるにはいたが、証拠をつかめなかった」
ということではなかったのかな・・・
と思われてくるのですが、
ここでは、これ以上取り上げることはしませんので、
事件に関心のある方は、独自で調べてみていただければと。
遺体の状況や遺棄の状況が似通っていることから、
一時は、あの栃木県旧今市市・吉田有希ちゃん殺害事件と同一の犯人によるものではないか、
と噂されていたこの旧八郷町「93事件」、
前者については、2005年の事件当時23歳だった人物が逮捕されていますが、
93事件については容疑者の身柄は確保されず、
2008年1月に時効を迎えてしまいました。
それで事件が終わったことにはならない、
というのは当然ですが。