旧碓氷郡松井田町・霧積山女性殺人事件・その5(1972年8月13日、事件当日) | 雑感

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---------- 2月17日アップロード分↓ ----------



さていよいよ8月13日、

事件当日のことについてなのですが、


Kさんはその日、朝8時過ぎに朝食を済ませ、

そのあと、持参していたカメラを旅館アルバイトの男子学生(当時21)に手渡し、


旅館の前にある水車を背景にして、

記念写真を2枚、撮影してもらったとのこと。


金湯館_水車

(金湯館の水車。これを背景に、最初の2コマの記念写真を撮ったという)


その後、午前10時ごろにチェックアウト。


2016年の現在でも、金湯館は、

マメに顧客のニーズに合わせて、

マイクロバスでの送迎を出してくれるようなのですが、


この1972年8月13日の朝も、

旅館の当時の若女将(=3代目女将、当時35歳)が、Kさんに対して、


「マイクロバスに乗っていったら?」


と声を掛けるも、Kさんは、


「大丈夫です、歩いて帰りますから」


と申し出を断り、ミニスカ運動靴のいでたちで、

歩いて宿を出立したとのこと。


どうも、前日から「歩く」ことに妙に固執している、

というよりもむしろ、

旅館のマイクロバスの世話になることを避けている・・・


という風に見えなくもないわけですが、

これが本当に、「自分の足で歩き回って、色々なものを見てみたい」という動機から出ていたのか、


それとも、前に憶測したように、

横川駅で自分の思う時間にマイクロバスが来なかったことに対して

なんらかの感情があったが故のことだったのか、


そのあたりはよくわからないのですが、

往路の横川駅では一度はマイクロバスを待ったというKさんでしたし(つまり当初は乗る気があった)、

往路復路を含めて、あちこちを歩き回るつもりだったのなら、


ではなぜ、ハイヒールで家を出てきたのか?

なぜ旅館到着後に(入浴以外は)ほとんど部屋を出ず、一人で静かに過ごしていたのか?


などという疑問もあり、

とすればやはり、当初はあちこち歩き回るつもりはなく、

また、マイクロバスによる送迎をことさらに避けるつもりもなかったのが、


途中から---おそらくは往路の横川駅から---気が変わった、

ということなのだろうか・・・


などと妄想したりもするのですが、

ともかくも、旅館側からの送迎の申し出を断り、徒歩で下山してしまった、


この時の判断が、のちに続く悲劇への第一歩となってしまったことは、


結果からみれば間違いないことのようでした。


---------- 2月19日追記分↓ ----------


ところで、Kさんが金湯館に宿泊していた8月12~13日は、

時期的にも、夏休みであるとか盆休み~週末であるとかが重なっており、


霧積温泉殺人事件1972年8月カレンダー


また現地は、8月でも気温25度前後しかない、高所の冷涼地でもあり(標高約1千メートル)、

すぐ脇を流れる霧積川は、渓流釣りにうってつけということもあり、


当時、霧積温泉にあった金湯館を含む2軒の宿(1971年開業のきりづみ館は2016年現在閉館)は、

ともに満員状態、宿泊客の数は、合わせて約260人にのぼり(家族連れ多数)、


温泉と昼食または休憩だけの日帰り客も、

13日だけで、300人近くを数えたとのこと。


きりづみ館_金湯館

(左、きりづみ館。右、金湯館。当時従業員は、バイトを入れて2旅館で27人であったという)


とすれば、宿と下界とを結ぶ林道(現・県道56号)や登山道(ホイホイ坂)にも、

それ相応の数の人や車の行き来があったものと思われるのですが、


13日の午前10時ごろにチェックアウトしたというKさんのその後の姿を見た、

という目撃証言が、なぜか少ないうえにおぼつかなく、


警察沙汰にかかずらうのを嫌って、あえて証言しなかった、

という人々も、中にはいたのだろうと思うのですが、


ともかくも、少ない目撃情報のうち、

確度が高いと思われるものを紹介してみると、

まず午前10時ごろにチェックアウトをして、どこでどう時間を潰していたのかは不明ながら、


その3時間後の13時ごろ、

金湯館ときりづみ館を結ぶ「ホイホイ坂」の途中にある、


「忍の池(しのぶの池)」


付近で、Kさんと思われる女性を目撃した・・・というものがあり、


霧積温泉殺人事件_ホイホイ坂周辺

(金湯館を出たKさんは、ホイホイ坂と呼ばれる登山道を含む約1kmのピンク点線の道を下り、きりづみ館前を経由して、さらに下っていったとみられている。東西南北はご推察ください。)


霧積温泉殺人事件_忍の池えん堤

(忍の池えん堤、金湯館から約800メートルの地点にある)


これは、金湯館を目指してホイホイ坂を歩いていた2人連れによる目撃証言なのですが、

それによると、Kさん(と思われる女性)は白っぽい帽子をかぶり、


紺か紫のブラウスに、白のミニスカートをはいていたとのことであり、

連れがいたかどうかは定かではなかったとのことで、


その他、この忍の池付近では、同じ時間帯、

5人(2組)による、Kさんと思われる女性の目撃情報があったのですが、


やはりこちらも、連れらしき人物がいたかどうかはわからない、

とのことでした。


最後の目撃情報は、14時少し前、

(14時前後であるとか、14時10分とする記事もある)


遺体発見現場から金湯館側へ約1.5kmの付近を、Kさんと思われる女性が一人、

徒歩で下山しているのを見たというもので、


これは、安中市在住のAさん(当時52)による証言なのですが、

それによると、12日に金湯館に宿泊したAさん親子3人が、13日の午後にチェックアウトし、

車で下山中、上記地点で一人歩くKさんらしき女性を目撃したらしく、


山奥の林道の女一人歩きに危惧を覚えたものか、Aさんが、


「一人歩きは危ないから、一緒に乗っていったら?」


と呼びかけるも・・・


ついてない時はとことんついてないというべきなのか、

金湯館若女将からのマイクロバスの送迎の申し出を断った時と同様、


Kさんはこの時の---結果的には、これが最後に差し伸べられた助けの手だったわけですが---

安中市Aさんからの申し出も、断ってしまったとのこと。


霧積温泉殺人事件最後の目撃地点

(宿を出てから約4時間後の14時ごろ、画像中央やや右寄りのの付近を一人徒歩で下山する、Kさんらしき女性が、安中市の親子連れに目撃されていた。そこから遺体発見現場までは約1.5km)


事件を取材した桐島卓氏のレポートによると、

この最後の目撃情報以前に、一人で歩くKさんを車から目撃した人は6人(2組)、

ただ、いずれからも不審者の存在は浮かんでこなかった、


とのことでした。


---------- 2月20日追記分↓ ----------


ここで少し触れておきたいのが、(以下、上の画像をもとに)


Kさんが金湯館を出発してから、忍の池えん堤前を経由して、

画像中央あたりの箇所に到達するまでの「所要時間」についてであって、

一言でいえば、


「時間がかかり過ぎ」


ということであり、目撃証言によると、


Kさんが金湯館を出たのが「午前10時ごろ」、

忍の池えん堤付近で目撃されたのが「13時ごろ」、

そしての箇所で安中市の親子に声を掛けられたのが「14時ごろ」、


ということなのですが、これらを前提に考えてみると、


まず、忍の池えん堤からの箇所までは約2.2km、

この2.2kmの区間を、ゆっくりめの分速60mで歩行したとすれば、所要時間は「約37分」。


あとで触れることですが、Kさんはこの忍の池えん堤や、

そこから少し下ったところにある金洞の滝で、

誰に頼んだものか、シャッターを押してもらい、記念写真を撮っているので、


それやこれやに要した時間を加算し、

また、路傍の風景にしばし足を止めることもあったであろうことを考えると、


忍の池えん堤からの地点まで、

およそ50分~1時間を要したものと想像され、


仮に目撃証言の通り、

忍の池えん堤付近で目撃されたのが「13時ごろ」だとすれば、


の箇所で安中市の親子に声を掛けられたのが、

その約1時間後の「14時ごろ」になることに不自然さはないように思うのですが、


こうなると残された疑問は、その前の区間---金湯館→忍の池えん堤---であって、

金湯館から忍の池えん堤までは、その距離「約800m」なのですが、


金湯館を「午前10時ごろ」にチェックアウトして、

忍の池えん堤付近を「13時ごろ」に歩いていたとすれば、


「Kさんは800m(徒歩15分の行程)を、約3時間かけて歩いた・・・」


ということになるのであり、

これは、いくらなんでも時間がかかり過ぎではないか、


余計にかかっていると思われる2時間45分かそこらの間、

Kさんには、後の捜査でも把握されていない、秘密の行動があったのではないか、


などとも憶測されているのであり、

この部分は、事件における謎の一つとされているのですが、


この点、妄想をお許しいただくとすれば、

もしかするとKさんは、


「登山をしていたのかもしれない」


などと考えたりもします。


どういうことかというと、
現場一帯には、鼻曲山(1655)であるとか剣の峰(1430)であるとかの、

登山者に人気の山々があるのであり、


それらの山々と、Kさんが出立した金湯館との位置関係は、


霧積温泉_鼻曲山_剣の峰


上のようになっており、(以下、この画像をもとに)

Kさんは金湯館を出て、地図上のピンク点線のルートを下っていくわけですが、


ご覧のとおり、その途中に、鼻曲山や剣の峰へと通じる登山道(赤線のルート)の入口があり、

歩く気満々だったKさんが、その登山口に足を踏み入れ、

約30分北上すれば、やがて分岐に突き当たり(の箇所)、


そこを左へ行けば鼻曲山の山頂へ、

右へ行けば剣の峰山頂へと通じるわけで、

この分岐をどちら側へ曲がったかは不明ながら、


仮に、右側(剣の峰の方向)へ曲がったとすれば、

そこから20~30分ほども行ったところでガレ場~鎖場があるらしく、


もしその地点で、ミニスカ姿のKさんが、


「ダメだこりゃ」


とばかり、もと来た登山口(赤線ピンク点線との交差点)へ引き返したとすれば、

それだけでも、往復約2時間を消費するのであり、


これに加えて、仮にKさんが、かつて作家の森村誠一氏が学生時代にそうしたように、

登山道のどこかで、金湯館が用意してくれた弁当を広げて食べた・・・


などしていれば、最終的にピンク点線の道に復帰するまでに

2時間45分程度は消費したとみてよいと思われ、


もちろん、分岐を右折したのではなく左折して---つまり鼻曲山方面へ曲がって---

山頂まで行かずに途中で引き返してきた、ということも考えられるのですが、


いずれにしても、ピンク点線の道から登山道(赤線のルート)に分け入り、

山頂へ行くのは諦め、途中で引き返してきた・・・


と考えれば、謎とされていた空白の2時間いくらかの時間についても、

そう無理なく埋まるのではないか、


などと思うのですが、どうでしょうか。