旧碓氷郡松井田町・霧積山女性殺人事件・その4(霧積へ行くみち) | 雑感

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霧積温泉殺人事件_人間の証明

https://www.youtube.com/watch?v=j8uklD3_ywA

(映画『人間の証明』テーマ曲。詩の朗読あり)



※※ パソコンからご覧の場合で、画像によってはクリックしても十分な大きさにまで拡大されず、画像中の文字その他の細かい部分が見えにくいという場合があります(画像中に細かい説明書きを入れている画像ほどその傾向が強いです)。その場合は、お手数ですが、ご使用のブラウザで、画面表示の拡大率を「125%」「150%」「175%」等に設定して、ご覧いただければと思います※※



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「母さん、僕のあの帽子 どうしたでしょうね?

ええ、夏碓氷から霧積へ行くみちで、

谷底へ落したあの麦稈帽子ですよ。

母さん、あれは好きな帽子でしたよ・・・」---(西條八十『ぼくの帽子』より)


社会派推理小説の大御所・森村誠一氏が、大学3年の終わり頃、

信越線横川駅から徒歩で霧積温泉・金湯館---灯りはまだランプと水車による発電のみだった---を目指してそこに一泊し、


翌朝、群馬・長野県境の小道を伝いつつ浅間高原へと抜ける途中、

鼻曲山(1,655m)の少し手前で、宿が用意してくれた弁当を開いたところ、

その包み紙に刷られた冒頭の詩を見つけて感動し、


やがて20数年の時を経て、その詩から構想を膨らませることにより、

氏の代表作とされる長編推理小説『人間の証明』を世に出すに至った・・・


と、金湯館公式ホームページその他にはあるのですが、


霧積温泉殺人事件_森村誠一原作人間の証明


20数年間、意識の奥底にしまわれていたこの詩を、

再び氏の記憶の表層に呼び起こしたものは、

『人間の証明』連載開始の3年前に起きたこの


「霧積山女性殺人事件(1972)」


だったのではないか・・・

などと私的には想像したりもします。


ちなみに、西條八十の詩『ぼくの帽子』の原文というのは、


「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?

ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、

谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。


母さん、あれは好きな帽子でしたよ、

僕はあのときずいぶんくやしかった、

だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。


母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、

紺の脚絆に手甲をした。

そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。

けれど、とうとう駄目だった、

なにしろ深い谷で、それに草が

背たけぐらい伸びていたんですもの。


母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?

そのとき傍らに咲いていた車百合の花は

もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、

秋には、灰色の霧があの丘をこめ、

あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。


母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、

あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、

昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、

その裏に僕が書いた

Y.Sという頭文字を

埋めるように、静かに、寂しく。」


ということなのですが、

一方の映画『人間の証明』(1977)テーマ曲の英詞は、


"Mama, Do you remember the old straw hat you gave to me

I lost the hat long ago flew to the foggy canyon


Yeah Mama, I wonder what happened to that old straw hat

Falling down the mountain side out of my reach like your heart


※Suddenly the wind came up

Stealing my hat from me yeah

Swirling whirling gusts of wind

Blowing it higher away


※※Mama, that old straw hat was the only one I really loved

But we lost it, no one could bring it back like the life you gave me


※Repeat

※※Repeat

Like the life you gave me..."


ということで、

この英詞は西條八十の詩をベースとしつつ、


母親が自分に与えてくれた、自分にとって最愛のものだった「生命(いのち~life)」や「母親の愛情(heart)」を、同じく母親が与えてくれた、自分の最もお気に入りだった「古い麦わら帽子(the old straw hat)」に仮託し、


その古い麦わら帽子が突然の強風によって奪われたことを描くことにより、自分のいのちや母親の愛情もまた、(母親自身の手によって)永久に奪い去られてしまったことを暗示した・・・


という風に読み取ったのですが、

どんなもんでしょうか。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%A2%9D%E5%85%AB%E5%8D%81

(西條八十のウィキペディア)


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いずれにしても、西條八十の詩では、夏碓氷から霧積へ行く道は、

渓谷を伝い、時に強風に帽子をさらわれながらの徒歩での道程であったものの、


1972年に起きた事件の被害女性・Kさんの場合は

碓氷坂本宿の連絡所から霧積へ行く道はマイクロバスだったのであり、


そのルートは、現在の地図でいえば、およそ次のような感じだったかと。


霧積温泉殺人事件_松井田_霧積

(東西南北はご推察ください)


向かって右下、青点のところが霧積温泉連絡所、

左上の赤点のところが金湯館ですが、

2点間の距離はおよそ10.5キロ、


現在の地図では、霧積へと向かう道は、

「群馬県道56号(北軽井沢松井田線)」を延々上っていく形になるのですが、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E7%9C%8C%E9%81%9356%E5%8F%B7%E5%8C%97%E8%BB%BD%E4%BA%95%E6%B2%A2%E6%9D%BE%E4%BA%95%E7%94%B0%E7%B7%9A

(群馬県道56号のウィキペディア)


事件当時は、まだその道は県道指定されていなかったので、

県道56号を辿ったというよりは、

「県道指定される前の林道を辿った」というのが正確と思われ、


その道が、現在ストリートビューで確認できるようにアスファルト敷きであったか、

ということも不明であり、

当然、途中を横切る北陸新幹線も存在してはいませんでした。


途中に霧積ダムがあるわけですが、


霧積温泉殺人事件_霧積ダム

(霧積ダム)


これは、1972年当時はまだ建設中で、

現場には、青森~富山などからの期間作業員約200人が働いており、


事件後は、こういった人たちもアリバイ確認の対象になったとのこと。

(ただし、事件のあった8月13日は、その大半が盆休みで帰省していた)


霧積ダムを過ぎたあたりから、道はいよいよ細くなり、


霧積温泉殺人事件_県道56号


ところどころに待避所の設けられた、こういう感じの細道が、

県道56号の終点(「きりづみ館」前の駐車場)まで、延々と続いているのですが、


このあたりの様子は、動画でも見てみたいところ・・・


ということで、

同じルートを走行した動画がYoutubeにありましたので、

こちらで紹介させていただきます。


https://www.youtube.com/watch?v=UefuWZtC_Lc

【車載動画】 横川駅~霧積温泉駐車場(2014.03.17)

4分50秒~、坂本宿。

5分50秒~、霧積温泉連絡所のある(あった)エリア。

6分50秒~、県道56号の入口。

16分12秒、ここを右の脇道へ少し下ったところが遺体発見現場。

24分53秒、ここは橋になっており、右手に「金洞の滝」あり。

25分19秒、右折の道は一般車両通行禁止(未舗装の悪路で車で15分ほどで金湯館へと通じる)。

26分17秒、きりづみ館(2012年4月から休館、現在は取り壊されたとのこと)の駐車場に到着。

26分26秒、正面の黄色い看板あたりが、金湯館へと通じる登山道「ホイホイ坂」の入口。


霧積温泉殺人事件_遺体発見現場

(上記動画より。右手の脇道を少し下ったところが遺体発見現場)


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坂本宿の連絡所でKさんを乗せたマイクロバスは、

上の動画の26分17秒~、「きりづみ館」前の駐車場に到着(標高942メートル)、


霧積温泉殺人事件_きりづみ館駐車場

(「きりづみ館」は、1971年にオープンした霧積温泉新館だったが、2012年4月から休館、現在は取り壊されている)


Kさんら乗客は、この駐車場でバスを降り、


「ホイホイ坂」


と呼ばれる約1キロの登山道を、徒歩で金湯館を目指したのですが(歩く時間は20~30分ほど)、

そのあたりを少し拡大したのが次の図で、


霧積温泉殺人事件_ホイホイ坂周辺


大雑把で恐縮ながら、画像中、ピンクの点線部分がホイホイ坂なのですが、

そのホイホイ坂の入口は次のようであり、


霧積温泉殺人事件_ホイホイ坂入口

(ホイホイ坂入口)


ここから足を踏み入れ、

少し進むと、渓流にかかった木製の小さな橋があり、


霧積温泉殺人事件_忍の池えん堤前の橋


この方向から見て左手には、「忍の池」とその堰堤(えんてい)があり(後で少し問題になる場所)、


霧積温泉殺人事件_忍の池えん堤

(忍の池えん堤、人口の滝のようになっている)


そこからさらに、急傾斜の登山道を登っていくと

やがて、車の通れる林道(治山工事専用道路、一般車両通行禁止)に突き当たり、


そこを左折してしばらく行くと、やがて眼下に金湯館の赤屋根が見えてくると・・・


金湯館_赤屋根

(金湯館の赤屋根)


こういう感じのようです。


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この「ホイホイ坂」についても、動画で確認してみたい・・・


ということで探してみると、Youtubeにありましたので紹介してみると、


https://www.youtube.com/watch?v=iiDn7CPQipU

(きりづみ館前の駐車場から、ホイホイ坂経由で金湯館まで。2015.12.16)

0分34秒、ホイホイ坂入口。

0分39秒、途中にある橋。

0分41秒、先ほどの橋の上から左手を眺めると、この「忍の池」えん堤がある。

0分46秒、一般車両通行禁止の林道と合流(合流点を左折する)。

0分55秒、左手の眼下に、金湯館の赤い屋根が見えてくる。

1分02秒、金湯館。


霧積温泉_きりづみ館駐車場前の水車

(上記動画より、きりづみ館〈霧積館〉駐車場前の水車)


さらに、金湯館の様子について、少し詳しめに見ることのできる動画が、


https://www.youtube.com/watch?v=TCJC1g3PNVU

0分00秒、横川駅。

0分09秒、荻野屋、峠の釜めし。

0分51秒、霧積ダム、

1分12秒、きりづみ館・水車、

1分33秒、西条八十「帽子」の碑(看板)

2分10秒、ホイホイ坂入口の看板。

2分16秒、林道眼下に見えてくる金湯館の赤屋根。

2分38秒、金湯館。

3分35秒、森村誠一原作『人間の証明』ワンシーン。


金湯館与謝野晶子歌集前

(上記動画より、金湯館、与謝野晶子自選歌集前)


と、こういうことになっており、

さらに、旅行サイトにおける皆さんのクチコミは、


http://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/108887/review.html

(金湯館クチコミ@楽天トラベル)


https://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g1021200-d1163056-Reviews-Kintokan-Annaka_Gunma_Prefecture_Kanto.html

(金湯館クチコミ@トリップアドバイザー)


ということで、ホイホイ坂も含めた宿への道のりのことから、

宿およびその周辺環境、泉質、食事その他、


金湯館に関する情報は、これらのクチコミにかなりの部分網羅されていると思うので、
ぜひ読んでみていただければと。


なにしろ秘湯感満載、

また語弊のある言い方ながら、サスペンスっぽい雰囲気に溢れた、

行ってみたくなる温泉であることに疑いはないようです。


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さて、Kさんのその日の動向に話を戻すとして、


Kさんがきりづみ館前の駐車場でマイクロバスを降り、

ホイホイ坂を経由して、徒歩で金湯館に辿り着いたのが「15時過ぎ」であったと。

(金湯館 → 標高1180メートル)


Kさんは、宿の奥まったほうにある「28号室」に宿泊、

また、到着後すぐには「母親と弟が来れなくなった」旨を宿側へ伝えておらず、


二人分の夕食キャンセルを帳場に申し出たのは、夜になってからだったとのこと。

(宿泊中、Kさんが帳場に姿を見せたのは、この時の一度のみ)


この、「二人分の食事のキャンセルを、到着後すぐには宿側へ伝えなかった」・・・


という事実についても、やはり、山峡の秘湯への女一人旅ということで、

何か連想させるもの---現地での誰かとの待ち合わせ等々---がなくはないのですが、


しかし、調べてみると2016年現在、

金湯館の夕食は「18時(部屋食)」とのことなので、


Kさんの当時もこれと変わらなかったとすれば(クチコミには「40年前と様子が変わってない」とある)、

「15時過ぎに宿に到着して、二人分の夕食キャンセルを申し出たのが17時~18時前」

だと想像され(その間、2時間かそこら)、


到着後に着替える~温泉に入るなど、バタバタしていれば、

二人分の夕食キャンセルをすぐに宿側へ伝えることを忘れてしまい、うっかり遅くなってしまった・・・


ということは、普通に起こりうると思われ、

また、「3名の予約が、1名になってしまった」ことを言い出すタイミングを計りかねていた、


あるいはまた、(これはないとは思いますが)横川駅でマイクロバスが自分の思う時間に来なかったことで
、宿側に対して、少し意地悪な感情が働いていた・・・


等々の可能性も考えられ、

いずれにしても、二人分の夕食キャンセルの申告が不自然なまでに遅かった、というほどでもなく、


また、Kさんのこの行動の背景に、何かことさらに怪しむべき事情を連想する必要もないのかな、

という気がしますがどうでしょうか。


ともあれ、夕食後のKさんは、入浴以外はほとんど部屋を離れず、


一人で静かに過ごしていたようだ、


とのことでした。