旧碓氷郡松井田町・霧積山女性殺人事件・その3(連絡所まで) | 雑感

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---------- 1月23日アップロード分↓ ----------



霧積温泉殺人事件伊勢崎横川

(被害女性は、伊勢崎から両毛線~信越本線などを乗り継ぎ、横川駅へと辿り着いた)


さて1972年8月12日(土)の朝9時過ぎ、伊勢崎市昭和町の実家を出て伊勢崎駅まで父親に車で送ってもらった被害女性(以下、Kさん)は、


「伊勢崎駅」 → 「前橋駅」 → 「高崎駅」


と乗車し、乗り換えのために降りた高崎駅では、自身の旅行帳に同駅のスタンプを押したらしく(この旅行帳は遺留品として発見された)、


霧積温泉殺人事件スタンプ

(Kさんが押したのがこのスタンプかどうかは定かではないが、現在、「高崎駅」「スタンプ」「1972」などで検索をかけると、この画像が出てくる)


当時は、JRの前身であった「国鉄」と広告代理店「電通」がタイアップして、大々的に国内旅行のキャンペーンを張っていたらしく、


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%B3


霧積温泉殺人事件スタンプノート

(1972~1973年の”ディスカバー・ジャパン”キャンペーンの旅行帳。Kさんが持っていたスタンプノートが、これと同じものであったかは定かではない)


現在でも、「ディスカバー」「ジャパン」「スタンプ」「ノート」などで検索をかけると、そのたぐいのスタンプ~ノートの画像がわらわら出てくることや、また上記ウィキペディアの記述などからしても、


「日本全国、あちこちに鉄道旅行をしよう」

「各駅のスタンプを集めよう」


ということが煽られていたらしいことが見て取れるのですが、同行予定者が次々と都合で行けなくなる中、大山奥の秘湯に---その大部分は鉄道で---女一人旅を敢行したというKさんも、あるいは、そういった社会的気分の中にあったのかもしれない・・・


などと想像したりします。


ともあれ、高崎駅で急行「信州1号」に乗り換えたKさんが、信越本線をさらに西進し、


霧積温泉殺人事件急行信州1号

(169系 急行「信州」1号。169系は1968年、国鉄最大の急勾配であった碓氷峠〈うすいとうげ〉対応車両として登場したとのこと。動く169系の姿は、次のYoutube動画で。)

https://www.youtube.com/watch?v=2yeZgOywFug


横川駅に辿り着いたのは、昼の12時前だったといいます。


霧積温泉殺人事件横川駅

(画像は2007年ごろのJR横川駅。2011年には駅舎をリニューアルしたそうです)



---------- 2月5日追記分↓ ----------



さて横川駅にたどり着いたKさんは

霧積温泉(金湯館)からのマイクロバスの迎えを待ったものの、


金湯館送迎用マイクロバス

(金湯館送迎用のマイクロバス~ワンボックス)


それがなかなか来なかったので、

たまたま通りかかった国鉄職員の車に同乗させてもらい、

横川駅から約3キロ離れた、


「霧積温泉連絡所」


にたどり着いた、

とのことでした(時刻は、昼の12時40分ごろ)。


横川駅と霧積温泉連絡所(以下、連絡所)があった場所の位置関係は、


霧積温泉殺人事件連絡所

(2016年2月現在、グーグルの地図より)


こういった感じですが、
(左上の県道56号、赤矢印の先に、目指す霧積温泉・金湯館あり)


同一エリアを空撮した1975年(事件から3年後)の画像を見てみると、


霧積温泉殺人事件1975年空撮画像

(1975年空撮画像。左上、赤矢印を行った先に霧積温泉・金湯館)


このようであり、

どうやら事件当時(1972)と現在とで、道路事情にさしたる変化はないものと想像され、

とすれば、Kさんを乗せた車は、現在と同じルート---国道18号経由---で連絡所を目指したのかなと思われます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%9318%E5%8F%B7
(国道18号線のウィキ)


Kさんが「たまたま通りかかった国鉄職員の車」に乗せてもらったのが横川駅からだったのか、

それとも、徒歩で連絡所を目指している途中で乗せてもらったのか(ヒッチハイク?)、


そのあたりは伝わっておらず、

また、そもそもKさんと旅館との間で、


「何時何分に、(横川駅に)マイクロバスで迎えに行きます」


という個別の約束が実際にあったのか、

それとも、マイクロバスは単に定時運行をしていただけで、

Kさんがその定時のバスの到着を待ち切れずに、独自行動をとったに過ぎないのか、


そのあたりも伝わってはいないのですが、

とにかくKさんは、「横川駅からの霧積温泉旅行者」の大半がするようにはマイクロバスを利用せず、

独自手段で連絡所にたどり着いたのでした。


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ここで、先ほどから出てくる「霧積温泉連絡所」について触れてみると、

これは当時、霧積温泉の宿(金湯館)への電話予約などを受け付けていた出張所のようなもので、


なぜそういった出張所が必要だったかというと、

金湯館には1981年(昭和56年)まで電気も電話も通じておらず、

それゆえに、宿への直接の電話予約ができなかったらしく、


宿への予約やマイクロバスの手配は、宿への「手紙」で行うか、

あるいは、ふもとの坂本宿にある「霧積温泉連絡所」への電話を通じて行っていたから、とのことでした。

(金湯館の発電は、1955年からはディーゼルエンジンを利用しての自家発電、それ以前は、ランプ~水車による発電だったとのこと。)


連絡所があった松井田町の「坂本宿(さかもとしゅく)」は、江戸幕府が整備した中山道の宿場町で、

最盛期には、本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠(はたご)40軒が並ぶなどの賑わいを見せ、

(以下、上から坂本宿、本陣、脇本陣についてのウィキ)


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E5%AE%BF

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E9%99%A3

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%87%E6%9C%AC%E9%99%A3


ググれば、俳句だとか新選組だとか戊辰戦争だとかの興味深い話も出てくるのですが、


霧積温泉殺人事件坂本宿

(中山道、坂本宿を北へ望む。向かって左端「坂本宿」の道標あり)


歴史あるその街道において、連絡所が位置していたのは、


霧積温泉殺人事件坂本宿連絡所


こういったエリアであって、

Kさんが立ち寄ったのも、画像中の建物ということになるのですが、

その建物には現在も人が住んでおられるので、ここでの特定は遠慮しようかなと。

(どの建物がそれなのか、ググれば簡単にわかるので、興味ある方は調べてみてください。)


霧積温泉連絡所


ところで先ほどから


「連絡所があった」

「位置していた」


とかの過去形で語ってはいるのですが、

ネット情報によると、現在でも当該建物で金湯館への予約の取次は行っている(連絡所としての機能を完全に止めてしまったわけではない)、とのことなのですが・・・


このあたりは、事件とは無関係なのでスルーということで、

話を進めたいと思います。


----------


さて、連絡所に辿り着いたKさんはそこのおばさんに、


「ここから霧積温泉まで、(歩いて)どれくらいかかりますか?」


という無茶な質問をしたらしく、これに対しておばさんが、


「3~4時間はかかります。ましてハイヒールでは無理です」


と答えたところ---連絡所から霧積温泉・金湯館までは約10.5キロの道のり、大半が上りの林道---

Kさんは近くの雑貨屋で「白の運動靴」を購入したとのこと。


この時のKさんが「あくまで歩いていく」という強い姿勢を示していたのか、

それとも、歩いていくことにそれほどこだわりを持っていたわけではなく、

マイクロバスを待つ姿勢を見せていたが、連絡所のおばさんから、例えば、


「(たとえバスに乗っても)金湯館直前の1キロは、バスを降りての登山になる」

「どのみち、ハイヒールではきつい」


とかの指摘を受け、それに応じて運動靴を買ってきたのか、

そのあたりは詳しくは伝わっていないのですが、

ただ、当時の上毛新聞(本社:群馬県前橋市)の記事---8月18日付---によると、


「(Kさんは連絡所のおばさんから)説得されてマイクロを待つことにして、あがって1時間以上も話し込んだ。」


とのことなので、この記事からすれば、Kさんは当初、


「あくまで金湯館まで歩いていく」


という構えを見せていたのではないか、と思うのですが、

しかし、さすがに8月の暑いさなか、約10キロの坂道を歩くことは現実的ではないと考えたのか、

結局はおばさんの説得を受け入れ、


「(連絡所に)あがって1時間以上話し込んだ」


というKさんでしたが(桐島卓氏のレポートによれば「30分ほど話し込んだ」)、

その「話し込んだ」内容としては、


おばさん: 「どこからきたの?」

Kさん  : 「伊勢崎です」

Kさん  : 「おばさんは、わたしの学校時代の担任の先生に似ている」


等の他愛のない内容が伝わっているのですが、

この時のKさんの行動で、後(のち)の人々から不審がられているのは、


1. 8月初めに連絡所に電話で予約をしているのに、そのことには一言も触れず、名前もいわなかった

2. Kさんの家族の話では、Kさんは霧積温泉にはこれまで2回行ったことがあるのに、初めての客のように装った


ということで、

この旅の結末が結末だっただけに、

1~2のKさんの行動も、なにか秘密めいたものに映るかもしれないのですが、


しかし、事件全体の経緯を俯瞰(ふかん)してみると、

このKさんという人は、あまり積極的に人と親しく交わろうとはしないタイプというか、

余計なことはペラペラしゃべらないタイプだったのかな、と思われるので、


連絡所のおばさんに対して、あれこれのことを積極的には話さなかったという1~2の行動も、

仮にKさんがそういった気質の持ち主であれば、そう不自然ではないのかな、という気がします。


また単に、

「なんだ3回目か、慣れた客だな」

と気楽に扱われたくないが故に黙っていた、という可能性もあり、


あるいは、さらに妄想を膨らませれば、

Kさんにとって、この時の旅行は当初からあまり愉快なものではなく、


両親から最も可愛がられ期待もされたであろう、

長男であり末っ子でもある弟(小金井市在住の銀行員、当時23)が、都合で同行できなくなり、

その直後に母親にも用事ができて、


「ごめんね、母さんも行けないわ」


となってしまい、

残された家族の旅行メンバーとしては「真ん中の子」である自分だけとなってしまい、

Kさん的には、


「ああ、やっぱりこうなるのね」


と、あらためて「真ん中の子」の孤独を噛み締めつつ、

しっかり者の自分が、ドタキャンした二人のいわば尻拭いをするような気分で一人、

この度の旅行には出てきたのであり、


こちらから誘っていた2軒隣の奥さん(当時39)を置き去りにして出てきた・・・

という事実からも、そのあたりの気分を窺い知ることができるかもしれず、


「でも、どうせなら楽しまなきゃ」


と、自分に言い聞かせつつ、高崎駅でスタンプなど押しながら横川駅に着いてみたら、

今度は、旅館のマイクロバスが遅れたと。


このあたりからKさん的には、

あたかも自分の邪魔をするかのように展開する

物事の成り行きへの負けん気に火がついたかもしれず、


「お世話いただかなくても結構。一人でできるから」


という、「上の子」や「真ん中の子」にありがちな、

よく言えば自立的、悪く言えば意固地で甘え下手な気質が頭をもたげてしまったかもしれず、


その気分の表れとして、

まずはマイクロバスの到着を待たずに

独自手段でさっさと3キロ先の連絡所までたどり着いたと、


当然、バスが自分の思う時間に来なかったことに対して何らかの感情があったので、

連絡所のおばさんに対しては、


「ここから温泉まで、歩いたらどれくらいかかりますか?」


という、あてつけめいた、

見ようによっては喧嘩腰な質問をしてみせたのであり、


「無謀です。ハイヒールならなおさら無理」


ということを指摘されるや、近くの雑貨屋へ運動靴を買いに走り、

この行動によっておそらくは

「マイクロバスの世話にはならない」という意気を示して見せたのであり、


結局その時は、おばさんの説得を受け入れる形にはなったものの、

(翌日の帰路では、マイクロバスを断って実際に徒歩で下山)


Kさんがもし、上のような心理状態にあったとすれば、

連絡所のおばさんに対して名乗りもせず、

8月初めにこの連絡所に電話を入れ、予約を取っていた事実に触れもせず、

しかも、霧積温泉3度目にもかかわらず、


「まるで初めての客のように振る舞っていた」


というのは要するに、

旅館側の人間に対してあまり多くの情報を与えず、

隙(すき)を見せないよう、お互いあまり馴れ馴れしくしないようにしていたのかなとも思われ、

それほど不可解な行動でもないのかな、


という気もしますが・・・


ともあれ14時を過ぎてようやくマイクロバスが到着し、

Kさんもこれに乗り込み、


霧積温泉・金湯館を目指したのでした。