その他の未解決行方不明事件・その6-1(千葉市若葉区、佐久間奈々さんの場合) | 雑感

雑感

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※※ パソコンからご覧の場合で、画像によってはクリックしても十分な大きさにまで拡大されず、画像中の文字その他の細かい部分が見えにくいという場合があります(画像中に細かい説明書きを入れている画像ほどその傾向が強いです)。その場合は、お手数ですが、ご使用のブラウザで、画面表示の拡大率を「125%」「150%」「175%」等に設定して、ご覧いただければと思います※※



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http://www.bengo4.com/other/1144/1282/n_3577/

(弁護士ドットコムより、今回の寝屋川~高槻の事件に関連し、16~18歳未満の夜間外出について規定する条例の話)


「お前ら、こんな夜遅くに何やってる? 俺はこのあたりで補導員をやっている者だが、16歳未満の者が親の同伴なしに夜11時以降出歩くのは違法だ。本来なら警察沙汰だが、今日のところは話を聞くだけで勘弁してやる。そこの君、代表でついてきなさい。」


深夜の商店街を徘徊する平田奈津美さんと星野凌斗君に

そう声を掛けてくれる親切な補導員が寝屋川に1人でもいてくれたら、

今回の悲劇は防げたかもしれない・・・


と、そんな風に感じる人がいるかもしれないが、


「現実はそう甘くない」


と痛感させられる事件が24年前、千葉市若葉区多部田町で起きていた。


千葉市若葉区多部田町未解決事件ポスター01


「佐久間奈々さん(誘拐)行方不明事件」だ。


事件の詳細を知らなくても、


「怖い」


と評判(?)のこのポスターなら見たことがある、

そういう方も多いのではないかと思う。


オレンジ色の背景に、少女の写真と、

鉛筆描きされた男の全身像。


黒目がちな少女の瞳と赤い唇には、

心なしか笑みが浮かんでいるようにも見える。


隣にはポケットに両手を突っ込み、

肩を怒らせて立つ男。


白黒の粗いタッチで描かれたそれは、そこだけ生命(いのち)が感じられず、

見ようによっては、少女を色のない世界へと導く悪霊のようにも思われた。


しかしそれも先入観からくる偏見かもしれない、と思うのは、


例えばこういうのはどうだろう?


千葉市若葉区多部田町容疑者画像01


農家のオヤジが作業の合間にちょっと給油に立ち寄った、という風情だろうか。


これだと、ちょっと話しかけてみたい雰囲気がなくもない。


「XXさんお久しぶりです、お元気でしたか?」


笑顔で話しかければ「待ってました」とばかり、

オヤジはガソリン価格の上昇を憤り、天候不順を嘆いてみせるのかもしれない。


「野菜も値上がりして大変で・・・」


そう水を向ければオヤジはもったいぶるような、

しかしまんざらでもない様子でポケットに両手を突っ込み、


「お前の食べるぶんくらいならうちの畑にいくらでもある!」

「好きな時に取りに来い!」


とでも言うのだろうか。


ふんぞり返るその姿は手配のポスターそのものだった。

しかしそこには、一見して人を恐怖させる雰囲気は皆無なのだった。


人は状況次第で案外どのようにでも見える(見せかけられる)、

ということなのかもしれない。


その夜、男は状況を巧みに利用し、擬態したという。


以下、事件を追っていきたい。


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「行方不明」とはいっても、

この事件の場合は「誘拐」に端を発するそれと見られている。


事件発生日時は

1991年10月27日の午前1時ごろ(深夜)、

場所は千葉市若葉区多部田町の路上。


誘拐され行方不明になっているのは、

佐久間奈々さん(当時13)、

若葉区大宮台に住み、千葉市立大宮中学に通う1年生だった。


今回の寝屋川の2人と同年齢となる。


現場(連れ去り現場)の大まかな位置を確認してみる。


千葉市若葉区多部田町現場位置01


赤ピンの先がそれだが、もう少し拡大してみると、


千葉市若葉区大宮台_小倉台01


向かって右下のほうに「大宮台」と書かれた(赤枠に囲まれた)区域がある。


その大宮台から上(北)に向かって青い線がのびているが、

その青線上にある赤点()の位置が、多部田町の連れ去り現場となる。


奈々さんは当時、大宮台にある築約5年の2階建てのアパートで、

母親・祖母と共に3人で暮らしていた。

(母子家庭、一人っ子)。


身長152センチ、体重42キロ。

左目じりにホクロあり、

髪は自然に茶色がかっており、年齢より多少大人びて見えた。


近所でも評判の美少女だったという。


雑誌に掲載されたレポート(by 伊吹隼人氏)によると、

奈々さんは色白で目はパッチリしており、まつ毛は長く、


「千葉県警による手配ポスターよりずっと可愛い」(ご近所談)

「アイドルになれると言っていたこともあるくらい」(同上)

「無口な子で、芯はしっかりしている感じ」(隣家の主婦談)

「自分から先に立ってキャアキャア騒ぐ感じではない」(同上)

「小学生の頃、家の前でよく一輪車の練習をしていた。本当に可愛らしい子だった」(同上)


とのことだった。


かなり前にテレビでも、

手配ポスターのそれとは違う奈々さんの写真が紹介されたらしい。


私はその写真を未見だが、

見た人によるとずいぶん可愛かったとのこと。


皮肉なことにそのひときわ目立つ容姿ゆえに、

行きずりの男に目をつけられる結果になってしまったのかもしれない。


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事件の前日、1991年10月26日(土曜日)は、

奈々さんが通っていた中学では中間試験の終了日に当たっていた。


その日は部活も休みだった。

試験終了とも相まって開放的な気分になっていたのだろう。

奈々さんと友達3人は(合計4人)、お泊り会をしようということになった。


その内容は友達の家で飲み食いしながら朝までおしゃべりをするという、

他愛のないものではあった。


場所は奈々さんの家(アパート)と決まった。

そこが選ばれたのは、あるいは母親不在の気楽さもあったのかもしれない。


奈々さんの母親は夜間、千葉市内のスナックに勤めに出ていた。
勤めの日は夕方から家を空け、その日の夜も不在だった。


女子らは奈々さんの家に集まった。


気になる男子の話でもしながら休む間もなくしゃべり続けたのだろうか、

午前零時頃になり、腹が減ってきた。


「夜食を買いに行こう」


誰かの提案でそう決まった。

奈々さんは深夜の外出を嫌がったという情報もあるが、確かなことはわからない。


大宮台には当時、コンビニは1軒しかなかった。

そのコンビニはその社名の通り、夜の11時には閉まっていた。


やむなく4人は、約4.3キロ離れた小倉台のコンビニまで自転車で出かけることにした。


家を出たのは「午前零時過ぎ」とされている。


気温およそ16度、湿度88%、薄曇りの湿っぽい夜だった。


千葉市若葉区大宮台_小倉台01

(先ほどと同じ画像になるが、黄点〈〉が小倉台のコンビニ"ミニストップ小倉台店"があった場所。同店は数年前に閉店。青い線で示した道が、奈々さんらが当時辿ったルート。奈々さんのアパートは大宮台の中にあるが、場所はあえて示していない。)


小倉台までの道は、道幅はあるものの、暗く寂しい道であったという。


24年後の現在、その道をストリートビューで辿ってみれば、

長閑(のどか)だった往時の面影をいまだ随所に残しているように思われる。


その道を深夜、女子たちは北上した。


往路は何事もなく到着したが、

復路、国道126号線の坂月町交差点を渡り、

そこから260メートルほど行ったあたりの路上でアクシデントが起きた。


奈々さんの自転車が道に落ちた木の枝につまづき、転倒したのだ。


千葉市若葉区多部田町衛星画像01

(女子らは復路、青線のルートを南〈下〉に向かって進んでいた。緑点〈〉が坂月町交差点。赤点〈〉が木につまづいて転倒した地点。の間の距離は約260メートル。)


「台風の影響で道に落ちていた木(倒れていた木)につまづいて、転倒した」


と、多くの情報にはある。

しかし台風というのが、その年の台風何号なのかはわからない。


事件当日から遡って直近の台風は、

10月12日~10月13日あたりに関東に接近していた台風21号なので、

それのことかという気もするが、よくわからない。


いずれにしても、どれかの台風によって倒れた木がそのまま放置されていたか、

あるいはどれかの台風によって弱っていた枝が、事件の前日あたりに負荷に耐え兼ね、

折れて路上に落下していたのかもしれない。


とにかく、その路上の木につまづき、転倒した。

後続の自転車も、次々とよろけるなどして停止した。


転倒時の状況は詳しくは伝わっていない。

あるいはレジ袋に入っていた弁当やジュースなどの一部、

または全部が、路上に散乱してしまったかと思われる。


前出の伊吹氏のレポートによると

「(転倒して)騒いでいると」

とある。


箸が転んでも可笑しい年頃、というくらいだから、

中間試験終了後の解放感に包まれた夜、

不意に転んで路上に弁当をぶちまけることさえなんとなく可笑しく、

女子らはキャーキャー騒いでいたのかもしれない。


その時だった。


後方から歩いてきた1人の男が奈々さんらを追い越し、

数メートル行ったところで止まった。


男はおもむろに振り返ると声をかけてきた。


「お前ら、何やってんだ?」


怪訝さと叱責を帯びた声だった。


女子らの騒ぎは一斉に止んだ。


見ると40~50年配の、背の低い、ずんぐりとした男だった。


黒いズボンに横しまの長そでシャツ、黒のニット帽といういでたちで、

街路灯の薄明りのもと、こちらを見据える切れ長の細い目が鈍く光っていた。


夜目にも赤ら顔と知れた。

酒が入っていたかどうかはわからない。


男はポケットに両手を入れ、肩を怒らせながらゆっくりと近づいてきた。


時刻は午前1時、

周囲にはわずかに工場や民家が点在するだけの、

暗くうら淋しい田舎道でのことだった。


若葉区多部田町容疑者03

(「お前ら、何やってんだ」・・・男はそういいながら近づいてきた)


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この時のことは概ね次のように伝えられている。

ネットに流布する以下の文章を見たことがある方も多いのではないだろうか。


「そこに後ろから歩いてきた男が4人を追い越し、 振り返った。男は巧みに補導員を装い、『こんなところで何をしているんだ。16歳未満の者が保護者同伴なしに夜11時を過ぎて出歩くのは犯罪だ。普通なら警察に連絡するが、話を聞くだけで許してやる。お前が代表でついてこい』と言い佐久間奈々さんを指名した。残った3人には『お前たちは帰れ』と言い残し、佐久間さんを近くの細い道のほうに連れて行った。 」


そういうことだったらしい。


実際には、男は上のセリフを機械的に棒読みしたわけではないだろうし、

これがやり取りの全てだったとも思えない。

他の脅しすかしも巧みに織り交ぜたものと思われる。


いずれにしても、


「お前ら中学生か?」

「はい」

「何年だ? 1年か?」

「はい」

「そうか、俺はこのあたりで補導員やってるモンだけどな」

「!」

「千葉には青少年健全育成条例ってのがあってだな。お前らは知らんだろうが・・・」


おそらくはそんなやり取りから始まり、

その時間に外出していた女子らの行為の「犯罪」性を説き、

警察への連絡の必要性を男はちらつかせたのだった。


悪びれるそぶりはなく、語気は一貫して強かった。


7~8か月前までランドセルを背負っていた4人だった。

釈然としないものを感じつつも、

その場でそれを言い出せる者はなかったかと想像する。


夜中の1時に出歩いていたという、

何かしらの後ろめたさもおそらくあった。


いわば痛いところを男に突かれ、さらに加えて

「犯罪」「警察」

などという空恐ろしいような言葉で畳みかけられれば、

非行~補導歴の豊か(?)な女子ならともかく、

普通の13歳女子としては黙って下を向く以外の選択肢はなかったかもしれない。


「本当なら警察署まで行って正式に調書を取る必要があるんだが」


男は4人を睨み回しながら言った。


「お前らは不良ってわけでもなさそうだから、今回だけは警察行きは勘弁してやってもいい」


硬軟織り交ぜた巧みな心理操作だった。

天性の役者かもしれなかった。


「逮捕なんてされたら親にどう説明するんだ?」

「学校でも問題にされるぞ?」

「お前らだって補導歴がついたら困るだろうが?」


そんなセリフも飛び出したかどうか。

女子らはただ恐れ入ってうつむくしかなかったかと思える。


そのとき誰かが顔を上げれば、

男が4人の中でもひときわ目立つ美少女に対して、

嗜虐性の入り混じった粘りつくような視線を送っていたことに気付いたかもしれない。


「警察行きは勘弁してやる」


その言葉に一瞬胸を撫で下ろした少女らに向かって、男は続けた。


「警察行きは勘弁してやるが、とりあえず詳しい事情だけは聴いておく必要があるから・・・」


そう言うとやおら奈々さんの方に顔を向け、


「そこのお前! 代表でついてこい!」


そう言い放ったのだった。


奈々さんの反応がどういうものであったのか、それは伝わってはいない。


大きく見開かれた目には、ありありと困惑の色が浮かんだことと思う。


男にしてみればそれは、

その日初めて示された小さな抵抗の意と映ったかもしれない。


とすれば男は直ちにその抵抗の芽を摘み、

一気に形勢を決めにかかったかと思われる。


「いいから早くこい! 話だけ聞いたら帰してやる!」


一段と強い口調に鋭い手振りを交えつつ、

後に続けと言わんばかりに、

現場脇の暗い小道に自ら足を踏み出したのだった。


どうすべきかを直ちに決めかね、

奈々さんは友人らを見回したかもしれない。


しかし何かができる空気ではなかった。


何よりその時点で、女子らにその後の顛末を知る由もなかった。


「とりあえず行くしかない」


そんな空気が漂っていたかと思われる。


やむなく奈々さんは男の後に続き、小道へと足を踏み出した。


自転車はそこに置いたままだった。


「お前たちは早く帰れ!」


呆然と見送る3人に対して、男はそう命令した。


「あの・・・、自転車は・・・」


と、3人のうちの誰かが言ったらしい。


その場に置きっぱなしにされた奈々さんの自転車をどうするのか、

という意味だったと思われる。


この期に及んでなお追いすがるかのような質問に対して、

男はおそらく苛立ちを隠しもせずに答えた。


「あとでトラックで運んでやる!」


これが奈々さんと女子らを断ち切る、最後の一言となった。


2人はそのまま暗い小道へと消えていったという。


千葉市若葉区多部田町衛星画像01

(ピンクの部分が件の小道。男はここに奈々さんを連れ込んだ。)


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ここで、男が奈々さんを連れ込んだ小道およびその周辺とはどういうものかを、

ストリートビューで確認してみる。


まず坂月町交差点の方向からその小道の入り口付近を臨んでみると、


千葉市若葉区多部田町現場位置02


画像手前が北(小倉台方面)、奥側が南(大宮台方面)。

女子らは向かって左側の道を、奥側(南)に向けて自転車を走らせていた。


男はの箇所、黄色い看板の横あたりで女子らに声をかけた。

小道の入り口も同じ個所にある。

近くに寄ってみると、


千葉市若葉区多部田町_小道8


黄色い看板の横には木々が鬱蒼と茂っている(2011年5月撮影)。

「台風の影響で枝が折れて路上に散乱・・・」とは、このあたりの木々のことだろうか。


小道に少し入ってみる。

以前に一度掲載したことがある画像だが(季節が一変)、


千葉市若葉区多部田町_小道1


男はここに奈々さんを連れ込んだ。

手前の木は明らかに24年前から生えており、事件を目撃したものと思われる。

少し進んでみると、


千葉市若葉区多部田町_小道2


連れ去り現場横にある自動車整備工場の裏手に出る。

天気のせいもあってか寂寥感が凄い。

24年前の午前1時の様子は「推して知るべし」かと。

さらに進むと、


千葉市若葉区多部田町_小道3


画像奥のほうまで小道が続いているのが確認できる。

それを行くと、


千葉市若葉区多部田町_小道4


奥のほうに白いガードレールが見えてきた。

このまま進むとあのガードレールの道と合流するらしい。

さらに進む。


千葉市若葉区多部田町_小道5


合流地点が見えてきた。

そこまで行ってみる。


千葉市若葉区多部田町_小道6


合流地点に到着し、ふと右側を見たのがこの画像。

奥のほうに信号機(赤信号)が見えている。


ちなみに小道の入り口からこの合流地点までは、約270メートル。

ゆっくり歩けば4~5分程度の距離だろうか。


奥に見える信号機の場所まで行ってみる。


千葉市若葉区多部田町_小道7


信号機の場所に到着し、右手を臨んだ画像。

(この画像の左斜め上に見えている赤信号が、1つ前の画像に見えている奥側の信号機となる)


ここから画像奥に向かい真っ直ぐに約250メートル進めば、

もとの小道の入り口(連れ去り現場)へと戻る。(一周)


小道の部分のストリートビューの画像は、

2011年5月~2012年3月撮影のそれによる。


その時点では、連れ去り現場や小道の様子は、

ほぼ24年前の事件発生当時そのままだった。


2015年8月現在では、連れ去り現場あたりに茂っていた雑木は伐採され、

そこに中古の自動車ショップができている。


なので今現在の連れ去り現場の様子は、

事件発生当時のそれとは、やや異なっている。


しかし今回ブログに掲載した画像は、

24年前の雰囲気を色濃く残していたころのそれなので、

これらの画像をご覧になり、事件当時の雰囲気を感じ取ってみてほしい。


千葉市若葉区多部田町現場方面

(連れ去り現場から東へ約180メートルの地点から現場方面を望む。中央にある建物は連れ去り現場横にある自動車整備工場のそれ。この画像は2011年5月撮影)


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その後は次のような流れだったという。


「お前たちは帰れ」


そう命じられた3人の女子たちはやむなく、

そこから約1.5キロ離れた奈々さんのアパートまで戻った。


鍵を持ってなかったので、外で奈々さんを待ったという。


アパートの前には駐車場があり道路がある、

道路といっても閑静な住宅街における狭い路地に過ぎない。


3人はその駐車場のスペースか、アパート前の路上でチャリを停め、

奈々さんの帰りを待ったものと思われる。


奈々さんは当時、母親と祖母の3人暮らしだったとのことなので、

アパートの室内には祖母がいたのではないか(つまり中から鍵を開けてもらえる)と思うのだが、

正確なことはわからない。


仮に室内に祖母がいたとしても、

夜中の1時過ぎにチャイムを鳴らすのがためらわれ、

とりあえず外で奈々さんを待とうということになったのかもしれない。


ともあれ3人は外で待ち続けた。


30分が経ち、1時間が経った。


奈々さんは戻ってこない。


約1時間半が経過した。


さすがに心配になってきたのか、


「誘拐されたのかも」


と話し合っているところに偶然、

同じ中学の男子生徒2名が通りかかった。


男子らにこれまでの経緯を話してみると、

「おかしい」ということになった。


そこでそれぞれの親に連絡をした。


連絡を受けた親たちは、手分けして奈々さんを探した。


連れ去り現場の周辺、

そこからアパートへのルート上などを見て回ったものと思われる。

(気象庁のデータによれば、この頃から現場一帯では少し雨が降り始めていたものと想像される)


しかし奈々さんは見つからず、

午前4時20分、警察(千葉東署)に届け出た。


その後、警察がどこをどう探したのか、

警察犬を使ったのかどうか、使ったとすればそれがどういう動きを示したのか等、

捜索についての詳しい情報は、少なくともネットには出ていないように思う。


いずれにしても、奈々さんを見つけることはできなかった。


それらしい目撃情報がないわけではなかった。


まず、小道に連れ込まれた直後ともいえる午前1時20~30分頃、

そこから約260メートル北上した地点にある交差点(坂月町交差点)で、

通りがかった車の運転手が、奈々さんと男とみられる2人連れを目撃していた。


またかなり時間は飛ぶが、午前4時過ぎにも、

隣接の住宅地である千城台の方を歩いている2人連れを目撃した、との情報もあった。


「連れ去り現場」

「坂月町交差点」

「千城台」

それぞれの位置関係は以下となる(再掲)。


千葉市若葉区大宮台_小倉台01

(向かって右上のほうに千城台、が連れ去り現場、が坂月町交差点、は小倉台のコンビニ"ミニストップ小倉台店〈現在閉店〉"。)


その後の目撃情報はまったく途絶えた。


身長155センチの黒ニット帽で40~50年配の男と13歳の少女が2人きりで歩いていれば、

たとえ深夜の田舎道とはいえ----いや寧ろ深夜の田舎道だからこそ----

道行くドライバーなどの印象には残るのではないか、と思うのだが・・・


これといった目撃情報に乏しい、という事実も、

この事件を考える上では参考になるかもしれない。


その後24年を経て、

奈々さんの行方は未だ知れないままとなっている。


(次の記事へ続く)