「不思議」「不可解」「神隠し」
そして言葉があれで恐縮だが
「不気味」
とくれば決まってその名が挙がるのがこの
「松岡伸矢君行方不明事件」
なのかなと思う。
26年前、四国の山あいの集落で、4歳の男児が忽然として姿を消した。
親が目を離した20~40秒の間の出来事だったという。
ネットの、特に未解決事件に関心を持つ人々の間ではいまだに事あるごとに話題にされ、その種の事件の代表格のような扱いとなっている。
語り尽くされた感のある事件につき、妄想は控え、伝えられている事実をあるがままに紹介し、こちらをご覧の数少ない人々にも事件の記憶を留めていただく、ということを主眼に記事をまとめてみたい。
まず次の動画(検証番組)を見れば、失踪少し前の伸矢君の顔かたちやその様子、事件の概要については把握できると思う。
https://www.youtube.com/watch?v=bnWtA7jTnLY
事件から11年後、2000年に放送された番組だ。
ご両親が顔出しで出演しておられる。
開始15秒あたりから、失踪現場となった家と称し、田舎の家が登場する。
その時の画面には
「イメージ映像」
とあったり
「徳島県美馬郡貞光町」
とあったりして、映像中のこの家が
1. 「貞光町とは全く無関係の別の場所にある家」
2. 「貞光町ではあるが、失踪現場となった家ではない」
3. 「貞光町でもあり、失踪現場となった家でもある」
そのいずれなのかが、曖昧になっているように思う。
(貞光町は、2015年現在、「つるぎ町貞光」となっている)
どれが正解なのか。
地元貞光の人々にとっては自明のことなのだろうが、よそ者にとっては、このあたりからして悩みどころなのだった。
調べてみると、この映像中の家の撮影は、100%間違いなく貞光町の某所で行われている。
とすると2か3が正解ということになるが、わざわざ失踪現場の貞光町で、しかもご両親顔出しの上で撮影をしながら「全く無関係の家をロケに用いる」ということは、可能性としては低いかなと思うので、私としては3すなわち
「まさにこの映像中の家こそが、伸矢君失踪の現場となった家だ」
という風に推測している。
むろん絶対ということではなく、映像を見た人がそれぞれに調査し、判断してみてほしい。
仮に映像中のこの家が失踪現場そのものだとすれば、例えば
「家の前の階段の勾配のぐあい」
「その階段を小さな子供たちが上っていく様子」
「階段を上っている人々の順番(2歳児を抱いた父親の正伸氏が最後尾、その前に伸矢君、先頭の2人が女子)」
等々は、事件を考える上で参考になるかもしれない。
少なくとも動画中の階段は、最初の3段程度のみ段差がきつく、残りはそうでもないように見える。
段差のきつい最初の3段は、見たところ1段の高さ(いわゆる蹴上げ)が27センチ程度と思えるがどうだろう。
仮にそれを前提とすれば、この階段の1段の高さ(蹴上げ27センチ)は、伸矢君の身長比24.54%ということだった。
(伸矢君は当時身長「110センチ程度」)
1段の高さが身長比24.54%の階段というのは、このブログをご覧の方々にとって、それぞれ何センチになるのだろう?
高さを割り出したら、その高さの椅子でも箱でもいいので用意して、それに足をかけて登り、上から眺め、その高さの階段が少なくとも3段は続いている階段を降りていくことを想像してみれば、また何か事件当時の風景がイメージできるかもしれない。
残念なのは、この動画の「階段を上るシーン」について、伸矢君役の男の子が
「階段の途中から上っている」
という点だった。
つまり段差の最もきつい最初の3段をどんな様子で上るかが撮られていない。
そのシーンがあれば、さらによかったと思う。
話が脱線したが、事件の現場について。
「徳島とか貞光だとか言われても地理的にいまいちピンと来ない」
という人もいるのではないかと思う。
何か見当違いな位置や現場の風景をイメージしながら、この事件を考えている方もおられるかもしれない。
そのあたりの確認だが、まず大雑把な位置としては
●が貞光の失踪現場の位置。
●が小松島市であり、ここで松岡君の祖母の葬儀が執り行われた。
※※ パソコンからご覧の場合で、画像によってはクリックしても十分な大きさにまで拡大されず、画像中の文字その他の細かい部分が見えにくいという場合があります(画像中に細かい説明書きを入れている画像ほどその傾向が強いです)。その場合は、お手数ですが、ご使用のブラウザで、画面表示の拡大率を「125%」「150%」「175%」等に設定して、ご覧いただければと思います。※※
貞光と大阪などとの位置関係を見ていただければと。
少し拡大したものを載せると、
伸矢君の祖母の葬儀が行われた小松島市は青い四角で囲っている。
そこから貞光の現場へは、徳島市を経由し、幹線道路を通って、ほぼちょうど60km(当時は高速道路は通ってなかったとのこと)。
ちなみに小松島市の下のほうに青い四角で囲っている「美波町(旧・日和佐町)」は、当時北朝鮮の船が来航する港の一つだったらしい(現在はどうか知らない)。
この美波町の海岸で、30代後半と思われる男性が伸矢君によく似た男の子を抱いて海を見ていた、という目撃証言がある。
その目撃証言の男児が伸矢君であったかどうかは、無論わからない。
貞光の真上からの衛星画像を見てみると、
赤い線で囲まれた辺りが失踪現場。
ここかな、という場所を特定はしたのだが、あまりピンポイントでやるのもよくないかと感じ、枠で囲って面で表示した。
「この辺り」という程度に把握していただければと。
ちなみに画像中の青線は「JR貞光駅」と「つるぎ町役場」を結んだもの。
その距離はおよそ530m。
もう少し拡大すると、
失踪現場は赤枠内部の某所。
山の斜面の曲がりくねる村道わきに家々が点在するという、よくある日本の田舎の風景。
赤枠の中には事件後(1989年3月7日以降)に開通した道も写っている。
青線は例によって「JR貞光駅」と「つるぎ町役場」を結んだ線(約530m)。
標高はおよそ200m。
イメージとしては下のような感じ。
赤枠あたりが失踪現場。
ストリートビューで向かい側の斜面から現場付近の集落を望んでみる。
以上の動画~画像による説明の補足として、事件概要についてよくまとめられた文章がネットに広く流布しているので、それを引用させていただく。
(この引用文のネタ元は近藤昭二氏の著書『消えた子供たちを捜して!』だろうか。恥ずかしながらこの本については未見なので----いずれ読んでみたいとは思っているのだが---ネタ元について確かなことは言えないが・・・、ともあれ文章お借りいたします。)
---------- 以下、引用 ----------
松岡伸矢くんの一家は茨城県牛久市に住んでいた。
家族構成は父・正伸さんと妻・圭子さん、子供が長女、伸矢くん(4歳)、次男(2歳)の5人暮らしだった。
正伸さんはソフトウェア技術者として国産の電算機関関連会社に勤めていたが、牛久で家を買い、1989年はじめには外資系のコンピュータ会社に転職した。
それまでは深夜残業・休日出勤ばかりで子供達と遊ぶ時間がままならなかったからだ。
1989年3月5日、圭子さんの実母が急死し(A)、
翌6日に一家は徳島県小松島市で営まれた葬儀に参列した(B)。
そのあと一家は車で1時間ほど離れた貞光町(現つるぎ町貞光)の圭子さんの親戚宅を訪れ(C)、この日はここに泊まった。
小松島市から貞光の親戚宅を訪れる際、家族は親類の運転する2台の車に分乗した。
1台目に両親と弟、2台目に伸矢君と姉が乗った。
車のなかで弟が突然「伸矢」と叫んだことが両親にはその後を暗示していたようにみえてならないという。
翌7日の午前8時頃、正伸さんは3人のきょうだいと(圭子さんの)いとこの子供を連れて近所に散歩に出かけた。
このあたりは標高200mほどの山間部の林道の終点近くにあり、公道から山の斜面に私道が延びて、その斜面に親戚宅は建てられていた。
まわりに家はない(D)。
正伸さんは朝食前だったので10分ほどで散歩を切り上げている。
子供達ははしゃぎながら、正伸さんについてきていた。
家の玄関までの10メートルほどの石段を登った玄関先まで伸矢くんがついてきていたことを正伸さんは記憶している(E)。
伸矢くんはこの時、もっと散歩したそうだったため(F)、
正伸さんは抱いていた次男を家の中にいた圭子さんに手渡し、玄関先に戻ってみると、伸矢くんの姿はなかった。
この間、40秒ほどである(20秒という情報あり)。
伸矢くんの姿がみえないことに気づいた正伸さんは、すぐに周辺を捜したが、伸矢くんを見つけることができなかった。
それから、家族・親類が近所を捜し回り、地元の消防団もこれに加わったが見つけることができず、午前10時(昼過ぎとの情報あり)に警察(貞光署)に通報した。
当初は山で迷子になっているのではないかと思われ、この日のうちに山間部で大捜索が行われた。
貞光署からは全署員30名の半数が駆けつけ、県警機動隊、消防署員、地元消防団員に一般市民を加えた100人近くの人を動員、翌8日には200人を動員(G)、
その後3ヶ月捜索を続けたが(のべ1400人という情報あり)、ついに伸矢くんを見つけることはできなかった。
ちなみに伸矢くんは4歳とは思えないくらい、しっかりしていた。
自宅の住所も電話番号も年齢も家族の名前もみんな言えた(H)。
・現場は町道の終点付近で外部からの出入りはほとんどない。
・失踪時、100m離れた畑で農作業をしていた人は車を見かけなかった(I)。
・松岡さん一家が親戚宅に到着したことや、伸矢くんがいたことは外部に知られていない(J)。
・周辺に交通事故の痕跡はない。
貞光署ではそれでも以上の理由から「事件にまきこまれたケースは考えにくい」と徹底した周辺捜索を行った。
伸矢くんが失踪し、捜索が行われると同時に、親戚宅の電話にテープレコーダーをとりつけた。
正伸さん一家が牛久市に帰る前日の16日(特定失踪者調査会HPによると"15日頃夜")、一本の奇妙な電話がかかってきた(親戚宅へ)。
正伸さんが電話を取ると、「奥さんはいますか」という、語尾のあがる徳島弁独特のアクセントの女性の声がした。
圭子さんが電話を替わると、その女性は「ナカハラマリコの母親」だと名乗り、「成蹊幼稚園の月組の父兄です。幼稚園で見舞金を集めたのですが、どちらに送れば良いのでしょうか。もう帰ってくるんですか?」と尋ねた(K)。
成蹊幼稚園とは、伸矢くんの姉が通っていた幼稚園だった(L)。
圭子さんは「明日帰る」という旨を伝えたが、
その後「ナカハラマリコの母親」から連絡はなかった(M)。
見舞金についてこちらから尋ねることもできず、しばらく黙っていたが、数日たって幼稚園に問い合わせてみたところ、見舞金を集めたという事実はなく、ナカハラマリコという名前の子供もいないことが判明した。
後から考えると、正伸さんから電話を替わる時に
「誰かわからないけど、徳島弁だよ」
と言っており、茨城県にいて松岡さんの親戚宅の電話番号を知っているのも不自然である。
また徳島県にいて伸矢くんの(姉の)幼稚園の名前まで知っているのはおかしかった。
松岡さん一家の事情に内通している者の電話だと言えるが、これが手がかりとなることはなかった。
その後、正伸さんは会社勤めを辞め、自営業に切り替えた。
捜索の時間を少しでも持てるようにするためである。
50回を超えるテレビ出演で情報提供を求め、自宅の電話番号も公表した。
目撃証言は多くよせられ、信憑性の高いものもあった。
それらは全国津々浦々で目撃されていた。
(以下、その例)
1990年4月
徳島の主婦 「市内で伸矢くんを見た。まず間違いない」
この連絡は正伸さんの家に直接入り、すぐにその人物と会って、その後、徳島県警本部に証言に出ていた子供の人物特定を依頼した。
しかし、そのあと本部から連絡はなく、正伸さんが電話を入れると、担当の警部は「私の父が亡くなり、ばたばたしていましたので・・・」と言った。
その後、手がかりなし。
1990年
「山形米沢市にあるデパートの前で、テレビで見た伸矢くんとそっくりの男の子をみた」
この証言を聞き、正伸さんは米沢市に向かい、デパート周辺でビラ配りをしたところ、「この子なら上杉公園で見た」という情報を得ることができた。
この証言の主婦によると、公園内の売店にいたということだが、その先はわからなかった。
1991年
「四国霊場88ヶ所の第21番目の「太竜寺」で白装束に身を包んだ5~6歳の少年を連れた親子連れを目撃した。子供に付き添っていた男女は普通の身なりで、子供の両親にしては年が離れすぎていた」
圭子さんがこの証言を聞いて、87、8番目の寺でその3人の姿を待ちつづけたが、とうとう現れなかった。
??年
北海道の倶知安町に住む老人
「伸矢くんと名乗る子供を内地(本州)からもらってきたという人を知っている」
これも決め手にはならなかった。
1997年
OL 「横浜の地下鉄で見た」
この証言によれば、帰宅途中のOLが、電車の横に坐った少年が「鳥肌のたつほど、正伸さんに似ていた」と言い、少年については「苦労しているようで、身なりも良くなく、手首に巻いてある包帯から傷が見えたので気になった」という。心配になったOLは少年に声をかけ「おじさんにいじめられる」という話を聞いている。
OLは「困ったことがあったら、お姉さんに電話して」と電話番号を渡し、その後1度だけ電話があったが、手がかりにはならなかった。
1998年
中国地方にあるレンタルビデオ店店員
「手首に傷のある男の子で、現在の伸矢くんの想像写真にそっくりの少年が、『タイタニック』のポスターを買っていった。少年は店の出入り口付近で、まるで監視しているかのように立っているヤクザ風の男に『タイタニック』のポストカードを見せ、”これでいいの?”といった感じで確認した後、レジに来た」
応対した店員はすぐに店長に報告、店長は表通りに2人の姿を捜しに走って行ったが、すでにその姿はなく、警察に通報したという。
その後の手がかりはなし。
2000年
圭子さんの親友の知り合い
「伸矢くん失踪の翌月、徳島県の日和佐の海岸で伸矢くんらしき男の子を見た。30代後半の男が子供を抱いているのだが、親子にしては不自然な感じを受けた。親なら子供に何かしら話しかけたりするものだが、まったく言葉をかけたりしなかった。男の子の顔も伸矢くんによく似ていた」
目撃者は徳島育ちで、伸矢くんが行方不明になっていたことを当時から知っていたので、男の子の顔を覗き込んで確認しようとすると、男は子供を隠すように姿勢を変え、その場から白い乗用車に乗って立ち去ったと言う。
---------- 引用終わり ----------
最後の2000年に提供された海辺での目撃情報は、特定失踪者問題調査会のHPに松岡伸矢君のケースとして掲載されているものと同じだと思う。つまり、
「伸矢君が失踪した直後の1989年4月の終わりか5月の終わりに、徳島県海部郡日和佐町(現・美波町)の弁天浜の岸壁で伸矢君によく似た子供を抱いて海を見ていた不審な男性を目撃した」
というもの。
これは同時に、最初に紹介したYoutubeの動画
https://www.youtube.com/watch?v=bnWtA7jTnLY
これの4分48秒あたりから出てくる海辺での目撃証言と同一のものだろう。
目撃場所はグーグルマップで
"33.735002, 134.556180"
で検索をかけてほしい。
Youtubeの動画と全く同じ風景が出てくる。
それにしても特定失踪者問題調査会のHPはこの場所を
「弁天浜」
としているが、これは私の勘違いなのだろうか、正確には
「恵比須浜」
ではないかと思うのだが・・・。
それとも「恵比須浜」の「弁天波止場」とかだろうか?
(Youtubeの動画では、母親の圭子さんのノートには「弁天はとば」とメモられているようだが・・・)
またこの海辺での目撃者は
「圭子さんの親友の知り合い」
とのことだが、そういう人物がなぜそう都合よく貞光の失踪現場から直線で55キロ、直線でなければ徳島市経由でほぼ100キロも離れた日和佐町(現・美波町)の弁天浜(恵比須浜)の岸壁あたりを歩いていたのか、と思わないでもないが、動画中にチラ見えする圭子さんのノートによれば、どうやらこの目撃者はその付近に夫と釣りをしに来ていたらしい。
先にも少し触れたが、日和佐は当時、北朝鮮の船が来航する港の一つだったという(特定失踪者問題調査会のHPより)。
ともあれ、上の引用文(文字拡大部分)を読んでみて感じるのは、伸矢君の失踪については一見、情報は多々出ているようでいて、しかし肝心なところは全くといっていいほど出ていない、ということだった。
「公開は無理だよなあ」と思いつつ、私的にもう少し詳し目に情報が出ていればと思う個所にアンダーラインとアルファベットをふってみた。
いちおうそれぞれの箇所について、補足のような感想のようなものを書いてみた。
A:
伝えられるところでは圭子さんの母親は再婚であって、再婚先で亡くなったらしい。
圭子さんは2012年9月の時点で58歳、1989年3月の事件当時はおそらく35歳くらいであったから、その母親といえば何歳くらいの方だったのだろうか。
(ちなみに夫の正伸氏は圭子さんより二つ三つ年下)。
急死されたとのことだが、病死であったとか事故死であったとかの死因については明らかにされていないように思う。
亡くなる30分前には茨城に住む娘(つまり圭子さん)と電話で話をしていた、というまことしやかな噂もあるが、事実かどうか私は知らない。
亡くなった母親がその尊属からどういった遺産を承継し、どういった仕事をし、どこにどの程度の不動産や預貯金を所有し(つまりこれがこの方の遺産になるわけだが)、それらを誰がどういった形で管理・運用をし、どういった担保がつけられていたのか、また再婚先ではどういった家族構成やどういった方々とのどういった人間関係を有していたのか等々については、当然ながら知らされてはいない。
B:
葬儀がやたら早いと感じる向きがあるようだ。
この点、1989年3月は、
5日(日曜日・仏滅←急死された日)
6日(月曜日・大安←葬儀の日)
7日(火曜日・赤口)
8日(水曜日・友引)
9日(木曜日・先負)
10日(金曜日・仏滅)
となっている。
田舎のことでもあり、8日(友引)の葬儀を避けるのは絶対だと思う。
葬儀は6日か7日に執り行うのが自然だとは思うが。
5日の何時ごろに亡くなられたのだろうか。
このあたりもクリアになっていれば参考にはなったと思うのだが、情報は出ていない。
C:
「圭子さんの親戚宅」とあるが、具体的にどういった間柄なのか。
例えば「圭子さんの母親の兄弟姉妹の家」であるとか、あるいはそこまで近くはなく「遠い親戚」であるとか、またこの親戚の方々のお仕事、家族構成、親戚の方々が松岡家や集落の他の家々との間に有する人間関係がどういったものであったのか。
親戚の方の家やその周辺の見取り図、例えばここに古井戸があるとか、床下の構造はこうであるとか、ここらに溝(排水溝)があるとか、裏山へのルートはこうであるとか、この谷は転げ落ちたら大変だとか、そういった情報については全く出されていない。
D:
まわりに家はない、とのことであるが、これは私が間違っているかもしれないのだが、
「まわりに家はある」
ように思うのだが・・・。
都会のように隣家が数センチ先に密着してひしめき合っている、ということはないが、貞光の現場でも密着はしてないが何メートルか離れたところに家は数軒あるように思うし、子供の足でちょっと歩けば上にも下にも家はあるように思う。
少なくとも、この事件についておそらくは多くの方がイメージしておられるような
「何もない山中の一軒家」
というのと、実態は違うように思う。
具体的にグーグルマップで場所を示せばいいのだが、もったいぶるわけではないが、ご両親も今では当時の(親戚宅)住所を公開してはおられないし、そのあたりの意を汲んで、ピンポイントで場所を示すことは差し控えたいと思う。(私の勘違いかもしれないし。)
E:
伸矢君が階段上まで来ていたということは、父親の正伸氏だけではなく、いとこの女子も確認していたという情報がある。
なんでもそのいとこの女子は後に放送された検証番組で顔出しでそのことを証言したらしい(残念ながら私はその番組未見)。
私は素朴にその情報と、いとこの女子による証言を信じておりますが。
F:
伸矢君はもっと散歩したそうだった、とあるが、具体的に伸矢君は
「もっと散歩したい!」「もう1回XXを見に行きたい!」
みたいなことを言ったのかどうか。
また散歩したそうな様子の伸矢君に対して、父親は
「散歩に付き合ってやるからそこで待ってろ。弟を母さんに預けてくるから」
みたいなことを言ったのかどうか。
あるいはそういう言葉を一切かけずに2歳の弟を抱いたまま無言で玄関に入ったのか、このあたりのやり取りがわかれば、伸矢君のその後の行動を推測するヒントにはなると思うのだが、そのあたりはまったく知らされてはいない。
G:
数多くの人員を捜索に投入したとのこと。
捜索は終始半径2キロの範囲で行われたとの情報があるが、それを「広い」とみるか「狭い」とみるかは現地の衛星画像などを拡大縮小しながら各自で判断いただくとして、あのあたりで道を外れ、山に迷い込んでしまった場合、半径2キロの範囲に限定して探すにしても、100人~200人の捜索では正直きついのではないか、と感じる。
警察犬を投入したのかどうか。
この点については「投入した」という話が特定失踪者問題調査会のHPに出ていたが、
「その警察犬がどういった動きをしたのか」
という最も重要な点については、情報は出ていない。
捜索にあたったのがあの徳島県阿南市で起きた海上自衛官変死事件(1999年)を自殺扱いにして片づけた徳島県警である、という点も頭の隅には置いておくべきだろうか。
H:
その他、電車が好きで、親が覚えてないような乗り継ぎの方法を言えたりしたとのこと。
まさかとは思うが、失踪前日、小松島市の葬儀会場から車で貞光の親戚宅を目指した伸矢君は、その途中、貞光の中須賀あたりを走行中に徳島線の線路を横切り、見慣れぬ街の鉄道に触れたことでエキサイトし、失踪当日の朝、山のふもとのほうからけたたましく響いてくる踏切の音がついに伸矢君の乗り鉄魂に火を付けてしまい、
「すぐ近くみたいだから、歩いていけるだろう」
などと思って一人で電車を見に行った、ということはないだろうなと思う。
母親の圭子さんによると伸矢君は電車の他に、野球、パズル、芋掘りなどが好きだったらしい。
I:
つまり少なくとも約100メートル離れた場所には確実に人が一人いたことになる。
四国で3月の畑仕事は普通だから、そこにいたこと自体に不自然さはないと思うが。
また、「車を見かけなかった」というが、車の往来を気にしながら農作業をする人というのも普通あまりいないと思うので、この証言を絶対の前提とする必要はないのではないかと思う。また、
「集落全員顔見知り」「子供の頃からみな知っている」
みたいな狭い世界では、たとえ車を見かけても
「車なんて見なかった」
とトボけて面倒事への関与を避けようとするのは、都会よりはありがちな傾向だった。
この意味でも(この証言者が偽証しているとは言わないが)鵜呑みにする必要はないと思う。
集落には他にどういった人々がいたのか、また、松岡さんの親戚が集落の他の人々とどういった人間関係を有していたのか、そのあたりの情報は当然ながら出ていない。
J:
「我々が来たことは外部に知られていない」・・・
そう信じているのは松岡さん一家だけであって、集落の他の人々には独自の情報網を通じてまたたく間に知れ渡っている、というのが田舎の現実だったりする。
K:
この部分については、電話をかけてきたその女が自ら
「成蹊幼稚園の月組の父兄だ」
と名乗ったのではなく、伸矢君の母親(圭子さん)にいわば誘導される形で・・・つまり
相手の女: 「あーもしもし、奥さんですか? 幼稚園で見舞金を集めたのですが・・・」
圭子さん: 「成蹊幼稚園ですか?」
相手の女: 「はい」
圭子さん: 「月組ですか?」
相手の女: 「はい」
と、こういう風な会話だったという(後の検証番組をソースにしたらしい)話がある。
これが事実だとすると、相手の女が
「成蹊幼稚園の月組の父兄だ」
と名乗ったことの重大性は、かなり薄れるのではないかという気がするが。
また、
「警察はこの時の電話の会話をテープに録音していて、誰かがその録音テープの貸し出しを警察に請求したところ、警察は渋りに渋り、ようやく貸し出しに応じた時には、(電話をかけてきた)不審な女の声の部分をごっそり削除して貸し出してきた」
という情報も出ているのだが、これが事実であるのかどうか、私は知らない。
L:
伸矢君の姉について、「当時7歳」としている記事もあるが、1989年3月7日に成蹊幼稚園の月組の年長組に在籍していたと仮定すれば当時5~6歳ではないかと思われ(2年保育の場合)、1989年4月から小学1年になる予定だったのでは、と想像する。
伸矢君は3月7日の失踪時に4歳で、その1ヶ月後の4月には幼稚園年少組に入る予定だったのではないだろうか(2年保育の場合)。
失踪当時、伸矢君は3人きょうだいだった(姉、伸矢君、弟)。
現在、伸矢君には妹がいるという。
M:
連絡はそれきり途絶えた。
真相を知る何者かが見舞金の話を持ち出して、松岡さん一家が徳島からいつ引き払うのかを探ろうとしたのか、それとも地元民によるただのいたずら電話だったのか。
よくわからない。
しかし仮に前者だったとすれば、やっていることがあまりに稚拙という気はする。
犯人ならまさかこんな稚拙な、イタ電めいた足のつくようなことはしないだろう、とも思えるが、逆に単なる稚拙な犯人だった可能性もあると思う。
その他、「四国霊場88ヶ所」であるとか、「レンタルビデオ店」であるとか、「横浜の地下鉄」であるとかの、各地からもたらされた伸矢君の目撃情報についての検討はここでは省きたいが、ただ一点、特定失踪者問題調査会のHPにも掲載されている、2000年に寄せられた海辺での目撃証言(日和佐の弁天浜"恵比須浜?"の岸壁での話)について、
「特定失踪者」
といえば、昭和30年と古い時代のことだが、旧貞光町では伸矢君の他にも謎の失踪を遂げた人がいるらしかった。(以下、特定失踪者問題調査会HPより)
氏名 戸島金芳 (としま かねよし)
生年月日 昭和10年(1935年)12月25日
性別 男性
当時の年齢 19歳
身長 172~3センチ
失踪年月日 昭和30年(1955年)1月14日
公開 第12次公開
当時の職業 農家手伝い
農閑期には山口県に出稼ぎに行っていた。
失踪場所 徳島県貞光駅
失踪状況 東京に住んでいた弟に会いに行くと言って、暗くなって徳島県美馬町の自宅から出かけた。母親が小遣いを持たせたが、翌日に家に全額送られてきた。 残された写真の裏には書き置きのようなものがあった 失踪の何ヶ月か前から、夜中に部屋から朝鮮語のラジオの放送が聞こえていた。悩んでいた様子があった。
ということらしいが、これが確かに北朝鮮による拉致であるのか、それとも19歳が何かに悩んだ末の東京への出奔であるのか、そのあたりは不明だった。
貞光では過去にこういうこともあった、ということで、一足飛びに伸矢君の失踪と結びつけるのではなく、参考程度に受け止めてほしい。
(失踪現場に比較的近いところにある山道)
伸矢君がいなくなった日の夜、現地には雪が降ったという。
誘拐か、それとも山の奥深いところに迷い込んでしまったのか。
ブログをご覧いただいた方々にも、この事件のことを記憶にとどめ、そして考えてみてほしい。







