346曲目👇
大谷翔平は運が良い…。
大谷翔平の以前に
大谷翔平が存在しなかったから
二刀流として圧倒的に大活躍をした
野球の常識を塗り替えるほど
目立てば目立つほど
世界中の野球関係者が
『大谷翔平の身体の作り方』
『大谷翔平のトレーニング方法』
『大谷翔平のルーティン』
『大谷翔平の品行方正な立ち振る舞いや考え方』
全てにおいて科学的なメスを入れて
研究しつくしてくる
大谷翔平を再現しようと
頭のいい人達がいろいろと理由を探る
10年20年後には
大谷翔平が活躍した理由は
スポーツ医学の進歩と共に解明され
そのポテンシャルや運動能力がスタンダードになる
10年後に
大谷翔平が
今までと全く同じ努力しかしなかったとしたら
今と同じ活躍や注目はされていない
野球関係のスポーツ医学の
スタンダードを書き換える
それぐらいの偉大な存在が
大谷翔平だとも言える
世の中は日々進化する
同じ努力では同じ結果は得られない
日々更新される最新の情報や技術を
常にチェックして
自分をアップデートできる人だけが
活躍して生き残る
そんな世界の変化に
ついていけずに疲れて
諦めてしまってる僕がいたりする
とりあえず、やれる範囲で
やれる事をやろう。
そんな気楽な人生もありと言えばあり。
歌の世界で言えば
『Ado』って存在も
常識を塗り替える大きな変化だと思う
まず、
『アーティストは顔を出さなければいけない』
って常識を取っ払った上で成功を収めた功績は大きい
Ado以後のアーティストは
顔を出さない事で性別や年齢といった
要素を自由にコントロールできる
顔を出さない事で生歌披露の場を無くし
録音音源で自由な声質の変化を微調整できる
Adoさんは実際に歌唱力がある
若い女性だと仮定した上で
そうじゃ無い
多少歌唱力の無い人や
才能があるのに
年齢や性別を理由にチャンスを逃した人でも
顔を出さないがOKになれば
影のシルエットさえコントロールできれば
今後、再チャレンジができる余地が発生する。
チャンスの幅が広がる。
身体やシルエットは知識さえあれば
食事やトレーニング方法で
なんとでも変えれる。
Adoのスタイルが容認された事で
『なんでもありっちゃあり』
が許されるベースとなる背景ができた
歌が上手い素人がYouTubeにごろごろいて
実際の歌唱力だけで勝負する個人やバンドが
戦っていくのが厳しい世界ができた
『歌い手の闇』と言われるほど
素人でもプロの歌唱みたいに仕上げられる技術が
確立している現在で、
元々プロみたいな歌唱力のある人が
闇の力を駆使したら?
人間の歌唱力の上限が跳ね上がる。
そんなクオリティーで無いと
成功できない時代が
すでにやってきてるのかな?
Adoさんは実力。真実。
あと、いろいろと
音楽業界の常識も都合の良い感じに
ぶちこわしつつある。
常識的に莫大な費用をかけて制作されていた
PV (プロモーションビデオ)を
一個人の動画クリエーターへの依頼で済まし、
それを『あり』と認識される状況を作る事で
多大な出費を抑える事ができる
『バンドや個人での作曲』の縛りを無くす事で
いろいろな作曲者の曲からその時その時にあった曲を
たくさんの候補の中から自由に選定できる
1人の大天才の作曲した曲群は、
100人の天才の人の曲達に
勝ち続けていく事はできるのかな?
視聴率も稼げて
多額の広告宣伝費が動く状況を作って
企業がバックについてしまえば…。
ジャニーズのように強い影響力が発生して…。
プロモーション方法や
コラボレーションの組み方
『世の中』『経済』『ビジネス』ってモノを知ってる
『音』『音楽』『人間の感覚』ってモノを
科学的にも感覚的にも理解している
音楽の勝ちパターンの
ニュースタンダードとなるべき
革新的な変化の存在
歌い手、ボカロPの世界が
アイドルやバンド中心だった
既存の歌業界に叩きつけてる挑戦状
いっちょかみの天才の大成功例(これは妄想)
それが『Ado』って
プロジェクトだと思う
今の世の中
『曲』そのものだけで評価に大差をつけるのは難しい
どれだけ世間を動かすか?
どれだけ大きな金額に影響を与えるか?
それを曲や歌を使って狙ってできる天才が
アーティストと呼ばれる存在だと思う
そう思ってる個人やバンド👇
(そのマネージメントを行う企業の実力を含めて)
YOASOBI(Ayase)
King Gnu
Official髭男dism
Mrs.Green Apple
SEKAI NO OWARI
緑黄色社会
米津玄師
この人達は
『次は何を仕掛けてくるのかな?』
って過剰な期待をして見てしまう
アニメの主題歌?
映画、ドラマ、CMのタイアップ?
TikTokを意識したダンスのある曲?
アーティスト同士のコラボ?
そんなありきたりのプロモーションじゃ無い
ゾクゾクするような
斬新なプロモーションを
そんな攻め方があったのか!って
驚きを感じるような
新しいバズらせ方を
期待してしまうのは
過剰な期待だろうか?