1月9日、晴れ☀ 葬儀が終わった。長かった。死亡確認されたのが1月2日の夜だったから、すでに修禅寺の方では予定が組まれていたこともあり、葬儀までだいぶ時間がかかった。今までで最も、そわそわした年始だったかもしれない。

あと、おもちよりも、おすし食べた年始っていう😅
 
やっとこさ落ち着いたので記事を書こうと思い立った次第。
 
 
 
母の父、よい顔してるわぁ😁
 
1月2日を振り返ってみる。
 
自分は日中、富士の方まで遊びに行っていた。
まぁ別に、どうってことはない面子だったけれど、年始でテンションが上がっていたせいか、はたまた今月、自分で手掛けた作品(詳しくは今までの記事を参照してね)が発表を控えているからか、いつもなら面倒くせーつって断るような誘いだったのだが、気付いたら車を飛ばしてた🚗💨
 
その日は裾野に嫁いだ姉さんが修善寺の山ん中(母の実家)に来るって知ってた。まぁ、夜までに帰ればいーか💃つって暗くなったころ、富士の方では雨が降っていたのを覚えている。
 
帰ったのが18時ごろだったかなぁ。過ぎてたかも。食卓に合流して、姉さんに新年のあいさつしたと思う。そのころには、おじいさんもいた。
 
で、19時ごろ、おじいさんがお風呂に向かった。なぜだかそのとき、遠回りをして(姉さんの近くを通って)離れの家を目指し、外に出ていったのを覚えている。さすが、おじいさんのお気に入りの姉さん。
そのときのおじいさん、幸せそうに笑ってたわ😆
 
おじいさんは普段、足腰がよろしくない状況ではあるけれど、自分でお風呂を焚いて、入って、出て着替えて、っていう一連の流れを1人でこなせる、実はスゴーイ人😁
 
「お風呂に行ってくる」
たしかそのような言葉が、我々に対して残した最後の言葉だった。
 
それから、みんなでテレビ見てた。その日はトーク番組の、いわゆる特番を放送していて、いつもはテレビ見ない人間の自分も、その日に限って夢中になってた。興味深い内容だったので。
 
気付いたら21時。姉さんは明日仕事らしいから、もう帰るって。じゃあ見送るよ🙋つって、寒いなか外に出て、姉さんが車のエンジンかけたら、なんかワケわかんない音がボンネット下あたりから鳴り始めた。キュラキュラキュラキュラって、どうしたの❔
 
とりあえず変な音が収まって、さっさと帰ってった🚗💨 おきをつけてー。
 
そんで、戻ってテレビの続き見てたっけ。しばらくして、母家側のお風呂に入って、22時ごろ、自分がお借りしている和室でごろごろしていたら、おばあさん(母の母)が叫びながら母家にすっ飛んできた。な、何が起きたのだろうか。
 
たまたま帰ってきていた母のお兄さんと、母の名前を呼んでいたのが聞こえた。
これは、ただごとではない。その異様な雰囲気から、もしやおじいさんの身に何かが❔ っていう懸念が頭の中に浮かび上がった。
 
あわてて離れ側の家に走ってった。そのときの服装は、お風呂上がりだったから、かなり薄着。でも、寒さとか、そんなこと気にしている余裕が無かった。
離れのお風呂場に飛び込んだ。すでに母がいた。おばあさんが、うろたえている。
浴槽におじいさんの姿があった。仰向けの状態で、まるで眠っているように動かない。
母のお兄さんがすっ飛んできた。すでに救急に電話をしていたと思う。携帯の電話をつないだまま、「とにかく浴槽から引っ張り出して」とのことで、自分がフォローに入った。
 
眠っているかのような、おじいさんの立派な体の脇を抱えて、母のお兄さんと協力して浴槽から引っ張り上げた。その時点で、意識が無いってことはすぐに理解できた。とりあえずお風呂場の前の床に移動、体を仰向けの状態にさせた。母のお兄さんが救急に電話をしながら、心臓マッサージの体勢に。自分は、あわててその携帯を持ち、フォローしてたと思う。
とにかく、「胸骨圧迫を継続してください」とのこと。母のお兄さんは、内心はあきらめていたかもしれないけれど、その指示に従って、圧迫を続けた。
間もなく、消防隊が到着するらしい。で、自分は場所を知らせるために、道路側に走った。
 
サイレンの音が聞こえた。そもそも家が少ない修善寺北又の山ん中。けたたましく鳴り響くサイレン、闇に点滅する赤い光。消防車が走ってくる。その状況がすぐに理解できた。
 
消防車が視界に現れた。手を挙げる。目前で消防車が停車して、隊員の方が降りてきた。とにかく誘導した。離れの家に走った。
頭の中がこんがらがっている。別の隊員を誘導するよう言われて、道路側に戻った。消防車は少し先に進んで、救急車が入れるように配慮して遠ざかった様子。隊員の方々が走ってくる。その前に、騒ぎを聞きつけた近所の方が先に到着しちゃった。頭の中がごちゃごちゃ状態の自分は、暗さもあってか、その人が消防隊の関係者かと思ったけれど違ったわ。近所の女性だった。
 
消防車から駆けつけた隊員の方々を離れの家まで誘導したあと、しばらくポカーン😪ってなって、とりあえず姉さんに電話した。1回目のコールでつながらず、数分後に2回目のコールで出てくれた。
あとから聞いた話だけれど、そのとき姉さんは、車から変な音が鳴ってたから、それを心配して電話かけたのかと思った、らしい。それどころじゃねーわ。大変なことが起きました。
いきさつを語った。姉さんはひどく取り乱した様子。残念ながらドッキリとかじゃないわ。
 
「おじいさんがお風呂で意識を失った。見つけたときには意識と脈が無かった。もうダメかもしれない…」⬅そんなこと言っていたような気がする。
 
救急車が到着した。戸田❔ の方から駆けつけたとか。そのころ、すでに近所の方々が集まってきていた。夜、22時20分を過ぎていただろうか。救急隊員を離れの家に誘導して、もはやこれ以上、自分に出来ることは何も無かった。
救急車におじいさんの立派な体が運び込まれて、おばあさんが一緒に乗車。母のお兄さんがすぐに軽トラで追っかけた。
 
11時26分。死亡が確認されたらしい。
ご遺体が帰ってくる。その知らせを聞いてすぐに、自分がお借りしていた和室から、急いで荷物を片っ端から大移動。駆けつけた近所の方々に手伝っていただき、掃除も済ませ、受け入れの準備を行った。
おじいさんが帰ってきたころ、25時を過ぎていただろうか。地味な色の寝巻きを着ていた。穏やかな表情だった。
 
26時、明日に備えて就寝することに。
ここまでで、1月2日の目まぐるしい夜がようやく終わった。
 
幸い、というかなんと言うか、3日はまだ休日だったので、6時ごろ起きて、離れの家に移動してあった自分の荷物を、どうにかしなければいけない。なんか物置き部屋みたいな狭い部屋には、なにやらごちゃごちゃと荷物が積み重なっている。まずはそれを整理して、どうにか自分の荷物をその部屋に押し込んだ。
勤め先の社長に電話して、いきさつを伝えた。お通夜と葬儀の日程もすでに決まったので、仕事に関して、都合が悪くなったことも伝えた。
 
親戚の方々が次から次へと駆けつけた。母のお兄さんの娘さん2人も、あわてて駆けつけたみたい。
その日のうちに、納棺、旅立ちの支度が整えられた。
 
1月8日、お通夜。まさか、自分の手掛けた作品(詳しくは今までの記事を参照してね)を修禅寺で流していただけるとは、夢にも思っていなかった。母のお兄さんに、提案していただいた次第。寝耳に水っつーか、寝耳にジンジャーエールみたいな。
発表前の作品なので、念のためにプロデューサーに確認したところ、「問題ないので、ぜひ流してあげてください」とかなんとかおっしゃっていた。本当に、ありがとうございます。
 
 
 
これ、お通夜のとき、会場の入り口に飾られていた故人と親戚たちの写真。母のお兄さんの娘さんが作ってくれたみたい。すばらしい出来❗ 感動しちゃった😢
ちなみに、自分も微妙に写っているけれど(左上と右上の写真内)、もはやどーでもいいや😜
 
1月9日、朝から修禅寺で告別式、からの伊豆聖苑にて火葬。
で、棺が火葬する機械に入れられる前、泣き出した母を見てたら、無事にもらい泣き😢なんか、年とってから涙もろくなっちゃった(今年28って、まじで😱⁉)。
 
 
 
北又の方々に参列していただいた葬列。今では時代遅れだとか、古くさいとか思われるかもしれないけれど、こういう昔ながらの風習を行えるのって、実はすごいことだと思う。だって、そもそも人が集まらないと出来ない&天気が悪ければ出来ない。
ちなみに自分は、なんかちっこい灯籠❔ みたいなのを持って歩いたとさ。
 
おじいさんが、天でほほえんでいてくれたのかな❔ とっても、あったかーい🙌
 
ところで、お墓までの急な坂、やばーい😵
 
そして、冒頭の写真には、家に帰ってきたおじいさんの素敵な笑顔が😉
 
やっぱり、生前のおじいさんの、人のよさがにじみ出ているというか、そうであったからこそ、旅立ちの時刻11時26分(いいふろ)っていう奇跡が起きたのだろうし、こうやって色々な方々に見送ってもらえたわけ。
 
近年では「孤独死」が増えている。身寄りの無い高齢者が、ある日突然、寿命が尽きて、さみしく旅立っていく。もちろん、お見送りなんか無い。というか、何も無い。むしろ、面倒に思われて、周囲には何の感情も無いまま淡々と作業的に処理されてしまう。それはもはや葬儀ではない。ただの「処理」。
 
おじいさんには、自分も含めて8人の孫と、母のお兄さんの娘さんの息子さんの「ひ孫」が1人。どう考えても立派な一族❗
そして親類、近所の方々に集まっていただき、冥福の祈念&新たな旅立ちの祝福を受ける。そんな幸せな人、この世っつーかあっちの世界に何人いるのだろう❔
 
ともかく、あっという間だったのかなぁ。無事に葬儀を終えられて、ほっとした。というのが、正直な感想ですかね。
 
いつ、どこで、何が起きるかわからない。つーわけで、日頃からご家族、親交のある方々を、大切に想って生きていこう。