お友達は私の唯一の財産です。 47年間、米国に元気で事故もなく住んでいたと、今更感じていますが、その間、ずっと友情を育んでくださった日本にお住いの貴重な友人達も数名居られますが、私の人生で一緒に過ごし、苦労や喜び、生きる楽しみを味わったのはアメリカに住むお友達でした。 

私は幸いにも日本人の伴侶を見つけましたが、周りは殆どアメリカ人なので、友人達の家族の国籍はインターナショナルです。言葉だけでなく日々の生活、習慣など違う中で頑張って生きておられる方々ばかりです。

 

上の写真は20年以上、日系引退者ホームでご一緒に、ボランティア活動をさせて頂いたK子さんのご家族です。彼女も80歳の誕生日を先日迎えられて、カードを送っていましたら、80歳記念に行かれた家族旅行の写真が送られてきましたので、彼女の許可を頂いて、ご披露させて頂きましょう。彼女と4人のお子様とその伴侶の方々、ロスアンジェルス近郷から、ご一緒にサンフランシスコに旅行をなさったそうです。米国に初めて降り立ったのが此のサンフランシスコだったそうです。

 

彼女とご主人様は日本人ですが、お子様方の伴侶はイタリア人、メキシコ人、ヨーロッパ人、もうお一人は何国だったかしら? 日本ではありません。そしてホリデイ―になると伴侶のご家族迄ご一緒にパーティーになりますから、日本語が全く通じない方々の方が多いようです。それでも彼女は家族は皆、ウエルカムで親しくおつきあいされているのです。

 

K子さんご夫婦も子供達の選択に反対はなさらず、協力だけはおしまずに 付き合っておられる様子で、凄い事、偉い物ですね。

【ALCATRAZの収容所が見たい】というK子さんの希望を、皆さんで叶えてくださったそうです。皆様ご存じのように此処は米国で一番脱走のし難い収容所で、有名なマフィアのアルカポネが収容されていたところです。

 

渡米時には既にお二人のお子様をお連れになったと聞いていました。LAの郊外で日本食のレストランを永年、経営されてK子さんも勿論お手伝いされていたそうです。お子様4人は、それぞれにキャリアを積まれて独立、4人共にご自分で選んだ方と結婚されて、お孫さん達も皆、専門職、パイロットの大學やスポーツで有名な方も居られており、その成長を楽しみにご夫婦で、引退生活をのんびりと送っておられます。 子供も孫も居ない私は羨ましい限りです。

昔は、私も彼女のお孫さんベイビーシッターのお手伝いに付き合って、可愛い頃のお孫さんを覚えております。 勿論、英語だけですが、少しは日本語も喋って下さいました。彼らの成長は、私の事のように嬉しく感じました。 とてもハッピーはインターナショナルなご家族です。

 

此方の手紙はアメリカ人と結婚して二人で幸せな家庭を築いていた友人が昨年、病気で亡くなりまして、 子供や孫も居なくて、お一人になられたご主人様のRichardさまからの御手紙です。

暫くはさぞ気落ちしておられるでしょうから、私の下手な英語の手紙など不要と感じておりましたが、そろそろ一年経ちますので、如何しておられるかと、日本食のレサピーブックでマーケットに於いて或る簡単な物にお手紙を添えて送って置きましたら、今日、お礼のメールが届きました。

 

彼らと知り合った時はお二人ともに日本から進出してきている日本の銀行にお勤めで彼はオフィサーで、彼女は米国人と結婚されたお姉様を頼って渡米され、東海岸からロスアンジェルスに一人で移って来られて、ダウンタウンに或る日本の銀行にお勤めになったばかりだったようです。 私と知り合ったのは、日本語のブック倶楽部でした。月に一度、小東京に集まって婦人公論など読み日頃は英語で仕事をしていますが、日本人だけで集い、日本語で思い切りお喋りなどしていました。其の中で歳が同じような二人でしたので、親しくなりました。

 

お二人は同じ職場で親しくなられたようです。数年後、彼女が悩んでいる時期がありました。彼が目の病気でいずれ盲目になる可能性があるというのです。 でも彼女は彼の人柄に魅かれたので、何処までもサポートしたい、と打ち明けてくれました。

 

彼女とは休暇を、一緒に取りポートランド迄出かけた事もありますし、私が忙しくなって暫くは一緒に遊べない時期もありました。やがて、お二人ともに引退されて、バケーションビレッジという引退者専用の広大な敷地のコミュニティーに移られました。何時結婚という形を取られたのかは知りませんでしたが、いつも二人はご一緒でした。 其処はゴルフ場やテニスコート、プールは勿論、劇場やあらゆる施設があり、引退者に優しく、優雅な生活が出来ます、敷地中には専用バスが走っており、グリーンの綺麗な、高齢者がとても快適に過ごせる施設でした。我々も引退後、此処にも見学に行き、一つの選択肢に考えていたほどです。

 

彼の眼は遂に見えなくなりましたが、それでも米国はサポートのプログラムが発達しており、盲人用のコンピターもあるようです。 其の中で小説を発表されたり、外出時にはボランティアの助けを拝借して動いておられました。勿論、彼女が元気な内は一緒に出掛けて来たりしていたのですが、我々が永住帰国後、昨年暮れに彼女の方が病気で旅立たれてしまいました。

 

今回、彼から彼女の持っていた白黒の写真を私に送ろうか? という御話しがあったのです。彼女やそのご家族の写真だそうです。 私は83歳です。後、何年生きて居るか判りませんので、早速返事を書きました。最近のPCはスペルチェック機能が入っており、適当なスペルを打てば、直ぐに訂正のアドバイスをしてくれます。 彼女の大切な物を預かっても何年、生きられるか判らないので、少しだけ送って下さい。他はきっと貴方が持っておられた方が彼女が喜ぶと思いませんか? と書いて送りました。

 

米国人のご主人さまと結婚されておられる日本人の友人達は、大抵、高齢になりますとお子様の近くにお住まいになる方が多いようです。 でも彼女は彼とご一緒に米国に骨を埋める予定だったようなのです。

残されたリチャード様は、数あるコミュニティーのクラスの中で日本語のクラスに参加されて、今、習っておられるそうです。 嬉しいですね。其の内に彼と日本語でメールがやり取りもできるようになるかもしれません。

 

以下の写真は来月初めに永住帰国でアメリカから帰国される予定の友人からハワイのビーチから見た夕陽を送ってきました。

息子さんがお二人ですが、お一人は米国在住で、お一人は日本でご家族をお持ちです。 永年、 米国にお住まいでお二人ともに働いておられました。西海岸にお住まいでしたが、数年前にハワイのホノルルに移られていました。彼女はやはり日本が良いと、マンションを売りだされて、売れなくても暫くは其のままでも構わないとおっしゃってましたが、幸いにも家具も含めて欲しいという方が見つかり、既にエスクローに入り順調のようです。

子供の人生は邪魔したくない、が 高齢者になると、故郷も恋しくなるという心境ではないでしょうか?

お二人のご帰国は間もなくです。


 

我々は幸いというか? 不幸というか子供も孫も居ません。このまま年老いて、朽ち果てて行くのかなーと思い始めた頃に殿から

【帰りたい?】と聞かれ【ウン!】と即答して、直ぐに永住帰国が決まりました。 双方の両親が健在の内に永住帰国しておりましたら、もう少しは親孝行も出来たし、喜んでくれたでしょう、其れだけは申し訳ないと思います。

 

身体だけは日本に帰ってきましたが、二人とも其の殆どの青春と仕事、人生の半分以上を過ごした米国の習慣や考え方、マナーなど何時までも消えない物があり、決してインターナショナルな家族ではありません。中途半端な日本人になってしまいましたが、元気で暮らしております。

 

今年も残すところ後3カ月になりました。今年もお正月のご馳走が、其の本物が食べられるようです。

美味しい、良いお正月が迎えられそうな気がしております。