北九州の歴史をお勉強できる倶楽部を作ろうと思いますので、如何ですか? 今10数名集まっておられますが。。。。 と 昔の公民館、今の市民センターに館長さんにお誘いを受けました。

 

実は北九州は半世紀前に両親と数年間、住んでおりましたが、其れからアメリカへ出て、47年、コロナ騒ぎの直前に永住帰国するまで、日本の事は何も知らずに、北九州を終の棲家とし購入してしまいました。が 殿が【君は本当に元北九州に住んでいたの?】と不思議かるほど、地理も歴史も全く知りません。

 

 

そこに降って湧いたような今回の歴史のクラブのお話です。

興味はありますが、空白の半世紀があり、歴史を語る事も出来ませんし、歴史的な場所へ行く事も膝が悪くて歩くのは苦手、 でも興味はありますので、とりあえず、第一回の会合には出てみようとお返事いたしました。

 

市民センターは女性の方は随分こられているそうですが、男性の方が囲碁や将棋のクラスだけで、少ないそうで、歴史なら興味を持って下さるのではないか?という館長さんのお考えもありました。  女性だけの集まりも楽しいですが、帰国して直ぐにお仲間に入ったクラスでは余りのも古くからの仕来たりやら、慣習でとてもついて行けないで、直ぐに辞めてしまった苦い経験があります。 男性が入って居られた方が、どちらかと言えば私は付き合い易い感じがしておりました。

 

この日はまず、西日本国史文化研究所の 菊池 満氏の講義と新しい会の発足、今後の方針など決めますから、と案内がありましたので、出かけました。 

 

 

 

本当に偶然ですが、現在、私が住んでおります土地は、江戸時代には 【筑前の国】 と 【豊前の国】 が一緒になって出来た区だそうです。 豊前の国は アメリカで出会った時代小説 佐伯泰英氏の 【居眠り磐音】というシリーズで充分に楽しませて頂き、 最後に書籍を処分する時は、親しい友人に60数冊、このシリーズをそっくり差し上げてきたという、懐かしい土地の名前だったのです。 大分県の北の方だろうとは、考えておりましたが、正に自分がその豊前の国に帰国して終の棲家になろうとは。。。。これも何かのご縁だろうと、先生の講義を拝聴しながら考えておりました。

 

 

この日の会合では、今後の事はさて置き、クラブの名前と役員の方々(此れは自薦、他薦でセンターの館長さんがお声を掛けられて)選ばれました。 この日だけは講師の御礼も北九州市の方から出るそうですが、この後は自主運営という事で、会費を払って北九州の歴史を勉強し、 其れについての研究やらお喋りなどをするというクラブのようです。 女性の方も5―6名を含めて、全員で20-25名ほど出席されていました。

 

講師の先生のお話は、以前、一度、はやりこのセンターの文化講座で拝聴しておりまして、とても郷土愛に満ちた方で、小倉のご出身、大学は東京ですが、地元に戻られて、地元の歴史を紐解いて研究されておられる方です。 お話が面白いのと、裏話が飛び切り良いのです。 この地に関する本もお書きになって居ますし、あちこちで講演を頼まれて、写真を沢山お使いになってのお話は、とても面白い一時間の講義でした。

 

 

 

一応、参加者の方々の自己紹介もありましたが、殆どの方がこの地にお住まいで、引退後の方ばかりのご様子でした。

会長、副会長、会計 の3名だけ決まりまして、後の細かい事は今後、 打ち合わせの後、 持ち寄って会費なども決まるよていです。  クラブ名だけ 【三六歴史倶楽部】 =これはセンターの館長さんが、皆さんに了解の上で決定された事で漢字までは決まっておりませんので、念の為= と決まっているだけです。

 

 

 

このセンターの庭には ボランティアで周りの方々は菖蒲の株を

たくさん植えておられます。 今からシーズンで少しづつ咲いて行きます。 伺うのが楽しみで園の中にあるベンチに座って、暫し眺めるのは実に心楽しい時間なのです。

 

今年もそろそろ咲き始めています。 今週、もう一度健康講座に伺う予定ですから、どれだけ蕾から花に変わっているか❓楽しみです。

 

 

 

入り口付近には、蔓バラも咲いています。

伺うのが楽しみで、毎回、カメラに収めてたのしんでおります。

背骨のクラスも月に二回、伺っており、少しづつですが、姿勢も良くなり、背中が曲がってはいないようです。 日々の心がけが大切の様です。

 

 

 
  次回の歴史倶楽部の会合は 6月24日【月曜日】 の
      午後 2時―3時半  
      三六市民センター 二階の会議室です。
  御問い合わせは  
    三六市民センター 電話 093-881-0958
 
 周りの方をお誘いしまして、私も参加する予定にしています。