ゴールデンウイークの真っ最中、民族の大移動で日本中の道も交通機関も大混雑のようです。

 

ロスアンジェルスで仲良くしていた御友達が、息子さん夫婦に  孫さんお二人のご一家連れで春に訪日8日間と伺い、それは楽しい訪日になるだろうけど、英語の話せないお孫さんやお嫁さんとご一緒なら、彼女は大変だろうと、思っておりました。やっと米国にお帰りになって、その日本滞在の様子が知らせてきました。

 

彼女は米国の銀行の日本駐在員の幹部社員と職場結婚され、この半世紀の間に、太平洋の往復は数知れず、慣れておられるのですが、今回の様に日本が特に東京が混雑していたのは、初めてだったとその驚きの様子を知らせて来て下さいました。 

その話に笑ったり、気の毒がったり、私も日米間の往復は、慣れている積りでしたが、その変化に吃驚しましたので、その一部を彼女の了解を得まして、ご紹介しましょう。

 

まず米国から羽田空港に着いて、お迎えの妹さんがお待ちのロビーに出るまでに何と【1時間半】掛ったそうです。お客様、其の 8割が日本人以外の外国人で、K国やC国の方も見られたそうですが、今回は欧米人が特に目立って多く、東京の町にも観光客が溢れかえって居ましたよ、とのことでした。  

 
浅草の浅草寺へ行くのにも、仲見世のお店など見る余裕も全くなく押し合いへし合いの中、転ばないように人の波の中を歩くのが精一杯だったそうで、お買い物の店にも立ち寄れなく、幼いお孫ちゃん達も しっかり歩いてくれたそうです

 

 

 

息子さん一家は楽しみにされておられたスカイツリーに行かれたものの、遂には入れなかったとか? 前を歩いている人の背中を見て人に流されているだけの見学だったそうです。

 

 

原宿ではお孫様が(キティーランド)を楽しみにしておられたそうですが、 原宿の駅を降りた途端に構内で交通整理をされており、何度も止まり10分以上、駅の外に出られない始末だったとか、やっと原宿の駅の外に出られたものの、今度は息も出来ない程の人の波で全く歩けない状態だったとか?

 

見物どころか、前を向いて,見ているのは人の背中、(外国人は特に、知らない人とくっ付くのを嫌がりますから、押し合いへし合いと言ってもぴったりとは身体は合わせないのですが)ばかりだったそうです。

 

 

可哀そうに5歳のお孫ちゃん、初めての東京の思い出は【他人の背中とひざ下の足ばかりだった。!!】ようです。

 

其れでもお婆ちゃまが昔、住んでいた東京の街を 積極的に楽しまれた様子で、可哀そうやら、とても愛しい感じが致しました。

 

 

 

 

今日の写真は、皆、ネットから頂きました。 彼女は生粋の東京っ子ですが、 これが私なら大変ですよ。 生まれたのは駒込ですが、神奈川に暫く疎開をしていましたし、小学校に上がる時はもう福岡市に移って居ましたから、都内の地理は頭に入ってないし、東京は全く判らずに、JRにも電車、バスにも乗れません。

 

 

お気の毒だったのは、初日に、お子供さまは居るし、大人数だからと、回転寿司に行かれたそうですが、その夜からお嫁ちゃんの胃が可笑しくなり、半日後には息子さんも胃の具合が悪くなられ、どうやら日本なら大丈夫だろうと、召し上がった【しめ鯖】か、ちびちゃんたちの為に注文した【から揚げ】が悪かったのでは? との事。其の2種類を食べなかった子供達も、彼女も無事だったそうです。

 

幸い、大事には至らなかったようですが、8日間の予定の二日は無駄にされたようでお気の毒でした。 新鮮な魚で有名は北九州の友人でさえ、いつも行く店の回転寿司で矢張りお魚に当たって、大変な事があったと聞きましたので、流行っている店でも、気を着けなければいけないのですね。 

 

 

それでも異文化の経験に、お若い方がたは眼を輝かせて楽しませておられたそうです。 一日は彼女がお孫さんの面倒を看られて、御若いご夫婦二人で都内を楽しまれたそうです。

 

又、日本のコンビニやスーパーにて買える日本食の美味しさと種類の豊富さには、流石の彼女も吃驚されたそうです。 きっと東京都内は、もっと日本食だけでなく、種類も多く置いてあると思われます。

 

 

きっと彼女の事ですから、大型スーツケース一杯に、食料品のお買い物をなさってお帰りになった事だと思います。

 

為替レートが、一ドル=150円を超えて、円の価値が下がってきています。という事は米国で日本の物を買おうとしますと、滅茶高くなります。 ロスでラーメンの値段が上がり、二人で食べに行くと100ドル近くになると聞いています。

 

1972年 私が渡米した時は1ドル360円でした。直ぐに為替変動制に変わりましてどんどん円の価値が上がり、それでも何とか生きておりましたが、一ドル=79円までなってしまった時は、訪日しようにも、少ない貯金の価値が日本では無くなって、此れは両親が危篤と言ってもとても帰国できない、一生アメリカ暮らしかな? と思った時代もありました。

 

其れでも税金が高いので、計理士さんに相談したら、米国では借金をしなければ税金で採られてしまう、【お宅は借金が足りないのです】と言われ、若い人が借金して家を買う意味が分かり、家を買いました。

 

 

友人一家は何とか、8日間の訪日旅行を終え、沢山の御土産と日本食がアメリカ生まれの息子さまやお孫ちゃん達も大好きなのでたっぷりと買い込んで、さて羽田まで都内からタクシーを予約しようとなさったそうですが、【その時間は ご予約お受けできません。】と断られたのが、何と4社も掛けて4社共に同じお返事のタクシー会社! 日本のタクシー事情、大変です。

(バスやタクシーが運転出来る第二種の運転免許試験が外国語でも受けられるようになる方向で、日本のお役所が動いておられると新聞に載っておりました。米国では近年、日本語で運転免許の試験が受けられるようになっております)

 

仕方なく、羽田までのリムジンバスが出ている駅まで、大きな荷物をゴロゴロとたどり着くと、其処もまた、リムジンに乗る為の長い列が出来ていたそうです。

日本人は列を作るのをあまり得意ではありませんが、米国人には列を作るのは、当たり前のことで、むしろ我々日本人の方がイライラするようです。

 

 

 

米国に出た頃、世界の観光客は【やれフランスのパリだ、イタリアのローマ、そして米国のマンハッタンやビバリーヒルズには観光客が押し寄せて、地元住民が迷惑している】というニュースを聞いて、 日本の東京や京都には ニュースになるほどの観光客は

訪れては頂けない。日本は世界の人にとって、魅力のない、相変わらず【貧しい敗戦国】と見られているのかと、寂しい気持ちがしていました。 

 

日本のホテルの米国事務所で働き始めて 【処でそちらの東京のホテルには 部屋にベッドがあるのでしょうね?】と 電話で尋ねられた事さえありました。世界の人に知られていない日本、貧しい円の国、エチケットやマナーも世界には遅れていて、まだまだ一流の世界には入ってない時代から半世紀経ちました。

 

 

建物もデザインも世界に負けない物が日本にも建つようになりました。 日本食の美味しさ、健康上の素晴らしさも 温泉の効能も世界の人に認められる様になりました。 軍事産業は無理ですがその他の自然科学や医学の発達も世界に追いつく研究が日本人によって行われており宇宙開発にも協力できる人材も育って来ています。 日本の良さが世界の人に判って頂き、沢山の人びとが日本を訪れて、中には居着いて住んでおられる方も増えてきているようです。米系の一流のホテルチェーンも、日本の各地に進出してくるようになりました。

 

日本には良いが一杯あります、勿論、未だ古い習慣や悪い処も沢山見受けられますが、 もっと世界の人々が訪日され他の国の良い処を取り入れて、日本人の目が世界に向けて、良い処は大いに学んで、若い方が活躍できる社会が出来ると良いのではないか? 

 

少なくともアメリカ生まれの私の友人のお孫さん達は、日本食が大好きで、切手になったポケモンなども喜んで下さるそうですから 又、おおきくなったら きっと再訪日して下さるのではないか?と思うのです。 

 

 

 
我が家の近くの工科大学には、随分、外国からの留学生が来ておられます。未開の国に物やお金を供与すれば、途中のお役人が賄賂として取ってしまい、実際の住民には行き渡らない国も多いと聞いています。若者の教育に援助して、将来の国の発展に寄与できる日本ファンをひとりでも多く作るのに、協力してゆきたいものだと感じました。