九州交響楽団のクリスマスのコンサートは行く積りでしたが、雨の為、1時間半前にドタキャンしてしまいご一緒に行く予定の友人にすっかり心配と迷惑をかけました。 ニューイヤーコンサートはどうぞ晴れて欲しいと願っておりました。

 

その日は気温は低かったのですが、ラッキーにも晴れました。

タクシーに電話して、2時で良いからお迎えお願いしますと申しましたら、 【街が混んでいて何があるかわからないです、少し早めに15分前には伺います。】との事。

 

昔の北九州厚生年金ホールで、今は北九州ソレイユホールというモダンな名前ですが、昔の場所です。前もってお電話してみましたら、スロープがあるの出入り口までは大丈夫、其の後はエレベーターもエスカレーターもありますから、どうぞお出掛け下さいとの事。  しかし、実際に行きましたらエレベーターは一台が2階席まで、 エスカレーターも入り口から中二階までしかありませんでした。 階段総ての手すりが着いているわけでもありません。

 

 

素晴らしいコンサートホールです。 

この建物が建つ時(1984年)は、最新式のコンサートホールで北九州のクラシックファンはこぞって寄付をなさったそうです。  2000人収容できる大ホールです。

 

この日のプログラムは【マロの弾き振り】という、愛称(まろ)とよばれる 指揮者兼、ウ“ァイオリニストの篠崎史紀氏は北九州、小倉のご出身で、鈴木慎一氏の薫陶を受け、ご両親共にウ“ァイオリンの先生で中学一年で全日本学生音楽コンクールで一位を獲得された天才的な音楽家です。

16歳でウイーンに留学され、トーマス クリスティアン氏に師事し1982年ウイーンコンツエルトハウスの大ホールにてヨーロッパ デビュー、パリ管弦四重奏団、アマデウス弦楽四重奏団のメンバーに師事されたそうです。レコードで名前だけは昔から存じ上げている室内楽団のエリート集団です。

 

 

ウ”ィオッティー国際音楽コンクール第3位、ボルドーロ音楽コンクール銀賞、などヨーロッパの主要国際音楽コンクールで受賞、1984には米国のワシントン州、タコマ国際音楽祭にて米国デビュー、其の後、オーストリア、フランス、イタリア、スイス、アメリカ、ブルガリアなどの音楽祭に招聘され幅広い活躍をされています。
 
1988年ウイーン市立音楽院を終了して帰国後は、群馬交響楽団、読売日本交響楽団のコンサートマスターを勤め、1997年には NHK交響楽団の第一コンサートマスターに就任され、以来
N響をリードしてこられました。
2001年福岡県文化賞を 2008年には北九州文化大臣に任命されています。 
 
 

この日のプログラムはランナー、ベルガー、ヨハン シュトラウス I世、クライスラー、ヨゼフ シュトラウス、 そしてヨハン シュトラウスII世の作品で、耳慣れた懐かしい旋律ばかりで、嬉しくなります。 其れにもまして曲の間のまろ篠崎氏のお喋りが軽妙で、 時に楽団員を指名して、その曲に関する解説を質問して、若者達が答え、説明してステージに慣れさせ、楽しませてくださいます。

 

とても魅力的な音楽家と申し上げて良いと思います。 バイオリンは勿論、指揮もとても優雅で力強く、見事な腕で曲をまとめ上げられます。  拍手をしたり、聴衆を惹き付ける力をお持ちの素晴らしい指揮者で、十分に楽しい時間が過ごせるひと時でした。

 

 

素晴らしいパイプオルガンまでありまして、今日は出番が在りませんでしたが、次回、是非ともその音を聞きたいものだと思ったのです。

 

この日は、別の区でオペラのアリアだけのコンサートが同じ時間に催されており、デイケアの御仲間が、近くなので、聞きに行くと言われておりました。

 

 

 

 

 

この日、ご一緒した友人はご主人様がクラシックファンで、海外からの音楽家のコンサートも殆ど、聴かれていますし、息子さんが幼い時の篠崎先生のご両親が力を入れておられた音楽教室に通わせておられ、長ーいおつきあいのファンだったのです。

開場は殆ど埋め尽くされて盛況のコンサートで、良い時間を過ごすことが出来ました。

 

 

 

次のステージは北九州は5月の様です。 楽しみにしております。

年末、頭の痛い事があり、不愉快な年明けになっておりましたが、ウインナワルツの軽快な音楽のお陰で、楽しい気分になれました。 今年も、いろいろな事に負けることなく、風のように、世間の風に逆らうことなく、生きて行こうと思っております。