シニアコンドに移ってきて 最初にお声を掛けて頂いて仲良くなったY美さんとは 同じ階と言うこともあって、何かとお世話になったり なられたり親戚づきあいをさせて頂いています。
 
 歳も、環境も、生い立ちも全く違った道を歩いてきた方と思っていましたら 彼女の口から思いがけない人のお名前を昨日 聞くことになりました。
合屋末千代ドクターです。 彼女は(福岡なら合屋先生という外科医を父がよく知っていて、お名前聞いてました。) と突然おっしゃるのです。
 
福岡育ちの方なら お名前くらいはご存知だと思いますが 有名な外科医です。
この方 何かと我が家と関係があり、まず 母の兄が 昔の福高で同級生だったそうです。お互いの家を行き来する仲だったそうで、その関係で 母も先生を兄のように頼りにしていました。私も 幼い時はお転婆で、コンピューターなど無い時代の遊びは駆けっこに、缶蹴り、男の子に混じって駆け回っていて よく怪我をしてしていました。一度などは そのままにしておいたので 丹毒になりかけて 大変でした。
その旅に合屋外科には お世話になりましたし、通っていた草ヶ江小学校の校医さんでもありました。
 
その内に 母の一番下の叔父が外科医になって 鉄道病院に勤めていた頃は 合屋外科で 大きな手術があると そのお手伝いに福岡に出てきていました。 必ず夜は我が家に泊まりに来ていたので 翌朝 知ることになるのです。
 
宮崎に移ってからは 一時親交は途絶えましたが、その後 小学校時代からの親友T子さんの弟さんが 先生のお嬢様と結婚されたのです。 その時も 何と人間の絆の輪を感じました。
 
又 従兄弟のように親しくしていた 親戚の男の子が医者になって 近年、合屋先生のご子息が病院長をされている大きな北九州の病院で勉強させて頂いたそうです。
今は透析専門医をしています。ここでも 繋がりがあり、妹は北九州のその総合病院で 手術を受けた事もあります。母がまだ 生きていた頃だったので(合屋先生の息子さんが立派な医者になられて)喜んでいました。
 
母の兄も亡くなり、合屋先生も 中年で亡くなられ、96歳まで生きてくれた母も旅発ちました。 もう 関係が無いと思っていましたのに、シニアコンドに移って 最後のご近所さんから 先生のお名前を伺うとは、驚きと言うより、人間の絆の不思議さを感じました。 
 
Y美さんの お父上は鹿児島の方で京都大学のご出身、会社の代表をされて豊かな一生を送られた方だったそうですから、合屋先生とは同じ九州出身でどこかでご一緒になられ交流があったのでしょう。
 
この世で親しい関係にある人とは、又あの世でも出会えて 友人になったり親戚になったり 夫婦になったりするそうです。 
周りの大切な人々と あの世でも又 逢えるのは確かなようです。 母も今頃は叔父と先生と 一緒にのんびりと お喋りでもしているのでしょうか? 
 
私も この世でのお付き合い 大切に生きてゆこうと思いました。