ずっと昔の事でした。 丁度 今頃、秋の真っ最中の事です。
日本語の男性から私に電話が掛かってきました。それが 毛利輪番とのお付き合いの始まりでした。
 
(お寺で紅白歌合戦を毎年やっています。その審査員をやって頂けませんか?)と言うのがお電話の趣旨でした。 私の電話番号は エッセイを書いている雑誌社からお聞きになったとか? とても落ち着いた お人柄が偲ばれるような話し方でした。
その方が 西本願寺の輪番だったとは 後で知ったのです。まさか そんなにお偉い方がご自分で そのような依頼の電話をお掛けになるとは 思いも寄りませんでしたから。勿論 その場で (私でよろしければ) とOKのお返事をしました。
 
お正月明けの 日曜日 それはお寺の 別館で盛大に行われました。
他の審査員の方と共に 4名で 長時間でしたが カラオケなどで 歌自慢の方の日本語の歌を楽しませて頂きました。
審査方法が 面白く 普通なら ゼロ まあまあの出来なら 1 とても良いなら 2
という 3種類の数字、此れなら 集計に時間が掛からないから と言うお話でしたこれも 輪番のアイデアでしょうか?
 
審査員は 一生に一度しか出来ないそうで、出演の歌手の方とは別の楽屋で 来年などのお願いは一切出来ない仕組みになっているとか?
審査員の楽屋には お寺の会員の手により お正月料理が沢山準備されていて
休憩の度に それを戴いて 美味しい 楽しい 一日でした。
 
その時は お寺で一番偉い方 という認識しかなかったのですが、 沖縄の母(大城文子さん)から 先生と母の永年のおつきあいを聞き、そのご縁もあって その後 いろんな場所でお目にかかる機会を得ました。
友人の竹内氏が お店をオープンされた時は 商売繁盛のお清めの式に来ておられましたし、 輪番がお寺を引退されるときは ボナベンチャーホテルで盛大なパーティーがあり、私も出席しました。 奥様も輝いて居られました。
 
その後 どうしていらっしゃるかと 気にしていましたら 何と20数年ボランティアに伺っている 日系敬老ホームに揃ってお入りになりました。
まだ ご自分で運転もなさるし お元気でしたが 奥様が(台所をするのが辛くなったので、入りました)と おっしゃって 私がお当番の土曜日には 喫茶室にお出かけくださって手作りのお団子や、餅菓子のデザートと共にお茶を召し上がって お話させて頂いた。 時に 卵焼きをお持ちすると 喜んで貰って下さった。
 
最近 奥様のお身体の調子が悪そうで、心配していたが忙しさにかまけてお尋ねもせずに居たところ、ラフ新報に突然 奥様の訃報が載った 10月6日、享年82歳だったとか。まあ 輪番がさぞお力落としの事だろうと、早速 敬老に行く予定があるので お尋ねしようと思っていた所だった。
 
翌日、何と 輪番が急死 で奥様の葬儀が延期されたと新聞に載り ビックリ 僅か奥様より遅れる事 一週間 13日に なくなられたと言う。
とても仲の良い ご夫婦だった。 西本願寺のお寺の為に心から尽くされていた一生だったようだ。伴侶の死という 人災最大の出来事に耐えられなかったのかも知れない。奥様が先に行かれ その後を追うように なくなられた毛利輪番は、伴侶を失った悲しみの時間がなかっただけ幸せな一生だったのかも知れないと思う。  
これからもずっとご一緒に魂は生きてゆくのでは 無いだろうか       合掌