学部の大学院試験に落ちたのが、去年の9月頭。『院試に落ちた、就活を始めた』院試に落ちました!!このブログで書くのはたぶん初めてですが、8月のお盆明けに院試を受けておりました。内部進学です。まじか!! ってよりも、やっちまった。逃げの…リンクameblo.jp


紆余曲折を経て、現在籍を置いている大学の教育学部の修士課程に進学することに決定しました。

私が受験したのは、昨年秋に行われた募集で定員に満たなかったため行われた2次募集で、3月頭に口頭試問があり合格を頂きました。


9月に不合格となってから、就活というものを少し齧ってみました。というのも、どこかに自分が「ほんとうに」やりたい仕事があるのではないかという希望が心のどこかで捨てきれなかったというのがあります。でも、会社説明会では仕事の簡単な説明ばかり、、、仕事の大変さを「やりがい」「生きがい」という耳触りのいい言葉を被せて、なんとか誤魔化し会社をいいように見せようと躍起になるところばかりを見せられ、自分が会社の歯車の一つとして、お金と引き換えに自分を捨てて使い捨てに近い働きをすることを想像しただけで、会社で働くことがとたんにお先真っ暗に感じてきてしまいました。


そこで、やっぱり教員をやろうかな、、という気持ちが強くなったのが、このブログを書いた時だった。


無理やり就職するか、講師や非常勤講師として学校で働くか、はたまた一年留年して就職浪人をするか、などの選択を"部活をやり切りたい"を言い訳に後回しにしている時に、ちょうど大学院2次募集の話を4年後期の教職の授業で聞きました。

既に12月頭のこと。


部活を卒部してゆっくり考える時間が増え、大学院進学も選択肢の一つとして考え出した。しかし、心のどこかで教員をやろうかなって気持ちはあったが、まだ踏ん切りを付けられなかった。

ずっと教育学部の大学院進学=卒業後教員になるというレールを感じてしまったから。


私は、4年生の後期に教職の必修(教育実習の振り返りなどをする)と、もう一つ授業を取っていた。(←4年後期に残っているのはかなり怠惰)

授業科目自体は、教育の課程やシステムを学ぶもの。担当してくれたのは定年間際の先生で、これまで授業を受けてきた様々な大学の先生の中でも特出して教育哲学を持っている先生だった。その先生は世の中の欺瞞や不条理を見抜く鋭い眼力があり、不当な扱いを受ける社会的弱者、それを生み出す社会構造、それに対抗する智恵、それを踏まえた教師のあり方から自分の生活にまで通ずる生き方まで、授業内に語ってくれた。

最後の授業では、「教職の現場で傷つかないために」という授業タイトルで、労働法、権利、強者の言いなりにならないための方法などが取り扱われていた。その授業の最後に、「働くことの哲学」と題して、以下のようなことを教えてくれた。


仕事は「自分がやりたい」からするのではなく、「他人からやってほしい」と求められてするものである。「ほんとうに」やりたい仕事は、すぐに見つかるものではない。「一定期間やってみて」仕事の中身がある程度わかって、そのとき「これでよかった(のかもしれない)」と悟るものである。つまり、しごとの意味は、仕事を続けた後になってわかる、事後的に成立するものだ。一方で、逃げる、他方では簡単に辞めないという矛盾をはらむ。自分で変えられるものは変えていく勇気を、変えられないものは受け入れる落ち着きを、そしてこの二つのものを見分ける賢さを。沢山の諦めや限界を経て、残ったものを選び、「私がここに立つ」覚悟を決めてこそ乗り越えていくことができる。そしていつもうまくいかなくても、ちょっとのささやかな幸せの積み重ねを大切に。


これを受けて、教員は、この先5年10年の長期スパンで考えた時「これでよかった(のかもしれない)」と思え、ささやかな幸せを積み重ねていける仕事なのではないかと思った。そのような仕事に巡り合うことはそうそうないと思うと、「一定期間」やってみようという覚悟が決まり、自分の中で大学院受験というのを気付いたら決めていた。


また、この授業ではざまざまな場面で「自己責任論」というワードが出てきた。勝ち負けという狭い価値、努力主義や能力主義、強者にとって都合のいいなどに絡めて。

個人的にですが、その中の一つ、労働者の権利を扱った授業資料に以下の記述がありました、 


自己責任のイデオロギーの囚われて、成果を出さない自分に疚しさを感じる必要はないのであり、また、いわれなき格差を是認する必要もない。



競技ダンス部に所属して通っていたスタジオでは、建前としては"みんな平等にみる"、"勝つより応援される選手に"と綺麗事を先生は口で言うものの、結局は厳しい実力主義、あからさまに見向きもされないし、冷たい態度を取られたし、練習しても結果がついてこない自分に嫌気もさしました。

卒部後に「そんな不平等すらも乗り越える強さがなかった自分のせいなのではないか」「ダンスへの情熱が他の人と比べて低いから、それ相応の対応しかされないのではないか」と結果を自身の努力や才能不足に帰結させようとしたり、時にパートナーの所為にしようとしてきました。


ですが、この文から自分たちは悪くないし、

出来ることやったと頑張りを認め胸を張れるようにと励ましを貰いました。

このような個人的な経験を再解釈することを手助けしてくれた授業でした。




また、教育の大学院に行こうと思った理由として、他には

・もともと学校におけるLGBTQの実態、支援について研究を積み重ねたかった(4月からは教育心理学の研究室配属)

・新宿二丁目でクラブカルチャーを知って、もっと味わい尽くしたい(関東圏にいたい)

と言った理由もあります。


私は、それがあるだけで他と人と比べて大きく有利に事を進められるレベルの、ずば抜けた体力、気力、知力などを、決して持ち合わせていない。

凡人ですが、凡人なりに、「こうあるべき」という執着を手放して、頑張ろうと思っています。


引っ越しも済んで落ち着いてからのご報告となり、遅れてしまいすみませんでした。(ユニットバスから、ついに風呂トイレ別、ウォシュレットを手に入れました)   




話は、親に引っ越し手伝ってもらったときの話になりますが、母親が物を運ぶたびに、一々ケチつけてくる煩わしさとやかましさに、限界を感じ、引っ越し最後の旧居から新居へ自転車で乗って移動した矢先、新居にいる両親に、「自分で全部やるからもう帰って💢」と八つ当たりして追い出しました。

前日オールでクラブに遊びに行って、ちゃんと準備してなかった私にも非はあるんですけど、慌ただしくなると急に指示出しモードになる母親に前からムカついていたので、少しスッキリしました。

母親とは、小さい頃仲良く、ママを独り占めにしたいから兄弟いらないと言い続け、今日一人っ子の私。頭では、会えるうちに会っておく、伝えられるうちに感謝を伝えておくと分かっています。ですが、母親の歩み寄りがない、人の笑顔を奪う詰め寄り方、正直嫌いです。だから、しばらく帰省もしたくないです。会いたくないです。連絡をしてこないでほしいです。


もちろん、たくさん感謝はしてるけど、歳を重ねるごとにどんどん溝が深まっていくようにずっと感じています。


なるべく早く経済的に自立して、親に依存しない生活を送りたいです。




私のこのブログの名前ですが、ずっと大学4年生ゲイでした。学年が変わるこのタイミングで、名前をエロティカにしまーす。(マドンナの好きなアルバム)


どうぞ修士1年になるエロティカを、どうぞお手柔らかに、よろしくお願いいたします。