いつもありがとうございます。ラブ

幸せつなぎデザイナーゆみりんです照れ

父が急逝し、頭が真っ白になりました。

肺気腫を患い、10年、悪化し、酸素ボンベ生活になって7年。毎年帰省のたびに、これが最期かもしれないと思いながら、「ありがとう」を言って関東に戻っていました。


母の2024年の誕生日

コロナ禍は帰省禁止され、会えなかったのは

ご近所の目が気になるから。

父にとっては、私たち家族と会う楽しみを奪われましたが、父の身体が大事でしたから仕方ないと思いました。

遠隔でエネルギーを送る私には、そんなに

不安は感じませんでした。

量子力学的にも、不安は不安を呼ぶだけと思っていたから、エネルギーを受け取る元気があるから

大丈夫と思っていました。照れ

本人が生きる気力がないと、気を受け取れなくなる

という感覚があるのです。

でも、父からは常に「死ねない」という強い想いが

届いていました。

母を1人置いて行けない。

父の母への愛は大きいなと思っていました。ラブ

母は若い頃の、苦労を思い返しては

父の愛が受け取れなかったのかなと感じます。

多分、これからゆっくりと受け取って行くのだと思います。スタースター

「今まで、ありがとう。

母さんの人生を笑いヨガと山登りで

元気に楽しんでください」

父はいつも応援していましたから。

私「父さん、母さんは自由すぎない?」

父「早くに結婚したから遊んでいないから、

今を謳歌しているんだよ」

そんな父は口下手で、母にその想いは

届いていなかったようです。

気持ちを届けるのを諦めなければ、必ず届くと信じています。おねがい

大好きなお家で父が急に息を引き取ることができたのは、

眠るように虹の橋に行けたのは

父が強運な人だったんだなと思います。

今年の3月末に祖母の法事で帰省したのが

会うの最期だった。

私たちも、息子たちも父と一緒に

息子のハッピーバースデーを

みんなで歌えたことが

忘れられない思い出になりました。ラブラブラブラブ

父さん、本当にありがとうございました。


優しい、人なことを1番に考えるひとでした


26年前の私。父に感謝の言葉をたくさん言えた日

心を整えるために、「あわうた」を歌いました。

やっぱり、あわうたはなんか、

わからない魔法があるなぁと感じます。ラブ

家族葬で、遠方からきてくれた叔母夫婦に感謝です。

賑やかに見送るのが、やっぱり、幸せだなと感じるんですよね🌈🌈


サングラス🕶️やメガネが大好きでしたラブラブラブラブ


子どもの頃の写真。棺に入れました。かっこよくて、面白い父でしたおねがい



大好きなもの バナナ、タバコをお供えする

その後の予定はいったん保留にしました。

1週間、山口でやれることをしました。


手続きがほぼ終わり、大きなイベントをやるかどうかは。

実はもう決まっていました。


父の顔をみたら、


「未来の自分を信じて進みなさい」というメッセージでした。今までも、応援していたけど、もっとチカラを貸せるから、行動しなさい。


大切な人に囲まれて、やれること、やる!

それが今の私。それが未来に繋がっていく

と教えられたのです。


無口な人でしたが、最後にあったときは

数字をただ言っていて、冗談で宝くじのあたり?とか言ってみたり。


不思議な会話。

その旅の続きはまた。


やっと投稿できました。

あなたも未来を信じて。

不安なときには大切な人に相談するのを

おススメします。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


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