観音様とのお約束、高津天心ブログ

観音様とのお約束、高津天心ブログ

な~んの縁か、江戸川の地で観音様から光を当てていただけるようになりました。
少しでも神様のお役に立てるように、自分が日々感じた事を文章にしてみようと
思いました。
高津理絵さんから公認された御心カウンセラーです。

隅田川の流れる
周辺のエリアって

今でこそ固められている感が
しますが、ほんの数百年は
水の力もあってか今よりも
ゆるい土地だったのでしょうね。
🤔🤔

江戸の街の発展と共に
そういったゆるい感っていうのは
少しずつなくなっていったのでしょうが
現代に比べたらそのゆるさって
いい意味でも、そうでなくても
影響を及ぼして
難しい事もあったでしょう。

その中で人々は知恵を出して
そのゆるさと共存していたのでしょうね。
🙄😁


私この先の今戸神社には
何回か参拝しているのですが
蔵前駅から
そこまで行く途中のこのエリアでの
下車は初めて。

バスを降りた時から感じる
ちょっと陰鬱な波動
水が近い場所でありがちな圧を
感じながら
目的の神社へ向かいます。

今戸のバスストップから歩いて
5分くらいの交差点に見える

紙洗橋
と書かれたプレートから妙に強い
波動を感じました。

紙を洗うって
変わった地名だな〜って思いに
後ろ髪ひかれながらも
🤔
まずは今回のメイン神社を
探しました。


ビルとビルとの間に
赤い鳥居がビビットに映えてその
存在感を強く押し出している・・

私を呼んでくださった狐さんの
お力の強さでしょうか?
🙄😅

ここは
台東区浅草5丁目に
鎮座する

✴️袖摺稲荷神社✴️
-

一見
住宅地のただの小さな稲荷社なんですが
鳥居に括られたしめ縄が
この稲荷社がただの稲荷社
ではないことを
私に教えてくれます。


2階建ての建物の2階部分に
御神体が祀られています。

階段を上って
いくのですが、足がつく度に
板木が揺れるというのかきしむ音がして
大丈夫かな?って不安になりつつ
上がって行きます。
😰😅


階段に付けられた

袖摺稲荷大明神

の幟


上の階までの、ま〜ある意味参道

となる階段を彩りながら

お稲荷さん

ワールドへ誘ってくれます。



ちゃんと人の手が入っているのが
分かるキレイな神社。

長方形の扁額が
どことなく箱詰めされた品の良い
贈答品のように見える。
🙄🤔😁


神拝詞
を唱えて御祭神に
手を合わせます。


ここは素戔嗚尊
も合祀しているっていうのが
私的には面白い組み合わせだなって
います。

ま〜稲倉魂命もスサノオ系の
神様なので
相性は悪くないのでしょうね。

拝殿内をみると
ここが細長い建物であることが
分かります。


狭い土地に迎えられた
御祭神の分け御霊に
神狐さん

私がこのお稲荷さんに
興味をそそられたのは
この狐さん。
キリッとした目がカッコいい‼

ネットサーフィンしていた
私をここまで引き寄せるお力

私と相性が良いのでしょうか?
🙄😁


ちょっと嬉しかったのが
この狐さん
なんと
ち◯◯ん
がついていたんです‼
😳😅😳

ちょっとそうだとは
分かりにくく破損しかかって
ますが😥
ち◯◯んついた石像って
私の長年の神社巡りの中で
稲荷神社では
結構レアです。
😳😁


これだけで
超〜アガる私
😁😁

思わず手を合わせ
男としての健康を願います。
😅😁


こちらにもついて
いたのでしょうかね〜
🤔🙄


ここは
そですり稲荷

袖すり合うも他生の縁
と申します。
ここに来たことで袖すり合って
私に良縁が舞い込んでくるよう
お力をお貸しくださいと
手を合わせました。
😁😁

ま〜それとは別に
きっと今生での御縁を大切に
しなさいと言われているのでしょうね〜
🙄🤔

神社の由緒書きには
霊験あらたかな神籬(ヒムロギ)の


お力目当てに沢山の参拝者が
そですり通ったことから袖寿里稲荷と
呼ばれ、その後
今の社号になったとのこと。


私が気になったのが
このポスト。

郵便物を入れに来る配達さんも
ここまで上がってくるの結構緊張
するのかな?
ポストが付いている稲荷社も
けっこうレアかも。
🙄😅


一階部分は
神楽殿とかになっているのでしょうかね?
🤔🤔


この太い板木の安定性が微妙で
ガタガタするから階段登るのが
ちょっと怖いってわけです。
😰😱


そんなことを
思っている私を頭上の狐さんが見下ろして
いました。


本来は
階段前にお賽銭箱とかが置かれて
下から上の社殿に手を合わせるという
のが本来の参拝の仕方だったり
するのかなって思いました。


この稲荷社の由緒を読むと
源頼朝公が伊豆に蟄居させられていた時
米殻が乏しくならないように稲荷神の
彫刻を彫ってそれを祀る社を建てたことが
始まり。それはその後北条早雲に
渡ることになり小田原城へ移された。
すると城内で色んな幸多き不思議な事が
起きたので
開運稲荷と呼ばれるまでになったそう。

その後、秀吉の関東攻めで小田原城が
落城となった時、小西という
稲荷を信仰していた男の夢に稲荷神が
現れ、隅田川の辺りに我を持っていけ
と告げたので、男はお告げに従って
この辺りにやって来て
仮殿を建て稲荷神像を祀ったら、
なんと
その地中から十一面観音像が
でてきたっていうんです‼
😳🤔😳

その後
その霊験あらたかさが
徳川幕府にも知られることとなり
四代家綱公から許しが降りて
ここに
落ち着くことになったんだとか。

ま〜稲荷社の由緒に
よくありがちなストーリー。

掘ったらお地蔵さんが出てきたり
川から光った観音像流れてきたり
🤔🤔

ま〜神仏とのコンビネーションって
ありありですね。

この話が本当なら
男の夢にでてきたのは
狐さんでしょうね。

江戸時代って言うと
私が神社に着く前に引かれた

紙洗橋
という地名

これまた調べてみると

江戸時代
この辺りは古紙を使った再生紙
浅草紙を作っていたそう。
吉原遊郭がすぐ先にあり、吉原で
消費された大量のいろんな紙を
ここで煮てほぐして
それを冷やして水に晒す。
その水に浸すことを

冷やかす
といったそうです。

今と違って昔は全て手作業ですから
冷やかした後再生紙として生まれ変わるのに
丸1日かかったそうです。

すると職人さんは作業ができる
ようになるまでの待ち時間
やることが無いので
吉原見物にいったそうです。


でも
吉原で遊ぶほど
羽振りがよいわけではないので
よーはウインドウショッピングのみ。
それで遊郭から煙たがられた事が
冷やかすという言葉を今に残す事に
なったそうです。
🤔🤔🤔😅

紙洗橋ってことは
川が流れていたってことですね。
今では川を見る事はないですが
昔吉原に遊びに行く客は舟に乗って
吉原に入ったんだとか。

紙すきの職人さんは
舟で優雅に入るなんてできないので
泥沼を歩いて入ってきたんだとか。
だから足元をみれば
遊郭の人も客と冷やかしとの区別が
簡単についたんだとか。

去年の大河ドラマ
べらぼうは
江戸時代後期の吉原。冷やかしさんが
生まれたのは
大河ドラマよりも更に古い時代。


男と女が
袖摺合って花が咲いた吉原遊郭

吉原に遊びにいく客は
このお稲荷さんに手を合わせていたり
したのでしょうかね〜?
🤔😳😅


そんなことを思うと
ただ社号の袖摺りという言葉に
惹かれたものの
そう浮足立ってもいられないですね。


水に左右されてきたエリアに
遊郭という一見華やかでありながら
何万という女性が借金のかたに取られて
身を売っていたという情念のパワーが
融合してきた土地


鳥居の赤
幟の赤
魔除けの色
難を避ける色

となってきたのかな?
🤔🤔 

小田原城からこの地に
移せと告げたお力は
この近くに遊郭が作られるという
ことを
知っていたのでしょうかね〜?
🤔🤔

って
思いを巡らすと
ま〜なんとも不思議な
お稲荷さん。

にしても
小田原城では
開運稲荷と呼ばれるほど
力を尽くされた狐さんが
いらっしゃるわけですから

この参拝をきっかけに
さらなる開運ができるように
狐さんからの御利益で
前向きに顔晴っていこうと思い
ました。
😁😁😁


観音様とのお約束です。