なんだかここ数日、ハッキリしない体調。
多分満月のせいなのでしょうが、晩御飯も食べれない始末。
今夜はみんな外食だったので、スタッフを送り出したら夕方から私は寝てました。
なんか分からんけど、めちゃくちゃけだるい感じ。
たぶん、ここ最近ひとりの時間が足りてなかった。
ここぞとばかりに一人時間を満喫。
特に何をするわけでもなく、ひとりしかいないゲストハウスで横になる。
3時間も横になったら爆睡したわけでもないけどちょっと復活‼︎
ここ壱岐での生活はとても楽しいです‼️
たくさんの人との出会いや交流は、とても刺激的。
その反面、島でのコミュニティも増えて常に誰かといる事が多くなったのも事実。
ひとりに集中できるのは移動時間がメインになっている現状。
楽しい事はとことんやってしまうので、結果やり切って疲れて、本来の目的を思い出す。の繰り返し。
私は壱岐にゆっくりしに来たはず。
ぼーっとする時間がもっと欲しい。
誰かのために来ているのではなく、自分のために来ている。
壱岐に来て遊び半分で始めた数秘占い。
最初は楽しくやってましたが、忙しくなり過ぎて今はちょっとお休み。
もはや壱岐に来た事を島民の人に知られるのも怖くなって今回SNS系はしばらくアップできませんでした。
かなりの自過剰っぷりですが、静かに過ごす時間も欲しい。
全部自分で蒔いた種で、自分で負のスパイラルにいました。
ひとり旅を繰り返して気づいた事というか、思い出したこと。
私は徳島の実家にいるのが嫌。
家にいると両親からの干渉がすごい。
職場を遠くにしてるのも家の時間を減らすため。
壱岐と徳島で二重生活し出したのも家時間を減らすため。
家時間というか、両親との時間。
小さい時から親の言うことを聞く事が当たり前だと思ってきた私。
周りの友達とはどぉやら違うと気づいたのが高校生になってから。
両親に心配や迷惑もかけてはいけないと思っていた。
子供らしくする事はダメな事だと思い、必死で大人ぶった。
もはや大人にならないと生き残れないくらいの自分自身への脅迫観念。
自分の意見を通すのは子供のする事だと思い込み、いつの間にか何でも人に合わせるようになった。
ダダを捏ねる子や自己中な子は死ぬほど嫌いだったけど、実は私がそうしたかった事への反応だったとここ数年で気づく。
何でもできて当たり前、できないやつはダメなやつ。
自分なりに心配も迷惑もかけないようにかなりの優等生で生きてきたのに、両親から褒められた記憶は全くない。
小さい頃、病気がちな弟2人の看病に追われてる母を見て、自分が体調が悪い時はホントに無理になるまで必死で隠してた。そして怒られる。
親の前で泣いた事も記憶の中では数えれるくらい。
だいたいの事は家に帰るまでに泣いてから家に入る。
高校時代汽車通だった私は、駅から家までの徒歩10分も貴重な1人時間も夜遅いからという理由で母に迎えに来られ、1人時間を没収された。
どうしても泣きたい時は、お風呂か布団の中。
進路や就職、退職も親の顔色が第一優先だった。
親の顔色ばかり見てる自分がいつの間にか嫌になる。
でもやめられない。
そして過保護に育てられ、その過保護っぷりは今も変わらず。
弟達は不自由を感じてとっとと出て行きましたが、私にはそうする勇気もなく選んだ二重生活。
私の母は、母としては完璧かもしれませんが、その完璧さを周りに求めます。
でも私は同じようにはできません。
そんな母にうんざりしてました。
小さい時に母と一緒に台所に立った記憶。
当然私は戦力外。
『もういい、どいて』
幼い私には突き刺さりました。
何もできなかった自分に罪悪感を覚え母の手伝いは二度としない、できないと決めました。
私の父は、融通のきかない頑固者。
私の意見や行動を大体否定します。
昔は門限も厳しく、仲の良い友達と同じように遊べないのがかなりのストレスでした。
小さい時にやりたいと言った習い事は却下され、進路は否定され、前の職場も私自身が気に入って行っていた時から否定されてました。
大親友でさえ、友達辞めてしまえと言われた事は何度もあります。
私の大好きなモノや、大好きな人も否定されるかと思うと何の話もしたくない、できない。
もちろん私が旅に出る事も理解不能です。
まぁまぁ嫌いな父ですが、機嫌取りのために旅先では絶対お土産を買って帰る。
そんな自分にもイラっとします。
結局、二重生活は両親から逃げるため。
でも逃げるだけでは何の解決にもならないと気づきながら、今はこれで精一杯。
私がこの世で一番怖い物は両親です。
二重生活を始めて分かった事は、近しい人ほど距離感が大事。
好きな事ばっかりにフォーカスし出すと、今までの自分は我慢の塊だった。まだまだ日々の生活の中で小さい我慢を続けてしまってる。
我慢し続けてきた癖はなかなか抜けない。