私の哲学の基本の1人は、ホッブズの政治哲学である。


 今回、リツイートに暴力論を出すにあたって、デリダを直接的には扱うけど、結局これはホッブズの延長戦でもあるし、もっといえば僕が政治哲学を考える時は、いつもホッブズが念頭にある。


 やはり、大学2年の時に、ホッブズ『リヴァアイアサン』の第二部を精読した講義が大きい。

それから、僕が発表をやった時、教授から第一部の「人間について」を読むように言われ、それを買って読んだ後もずっと考え続けた。



 まぁ、ホッブズ関連でいえば、田中浩先生の研究ははやく参照したい所だ。

図書館で、『甦るリヴァイアサン』というのを予約した。近年の若手によるホッブズ研究では傑作らしい。


 そして、レオ・シュトラウス。彼がちらほらしている。 シュトラウスの一連の著作も、次にリクエスト出そうかな。



それ以外としては、いま、レヴィナスの『全体性と無限』の第一部を読み終えたので、とりあえずシュミットの『政治的ロマン主義』を読んでいる。



 僕は思う事があるんだけれども、第二次安部内閣の一連の挙動については、シュミット政治哲学から見たときかなり面白いことが浮かび上がるんじゃないかという気がしている。

 既読文献である『独裁』も読み直して、『独裁』『政治神学』『議会主義のなんちゃら』あたりと、仲村昌樹先生の『カール・シュミット入門』あたりをベースに、安部政権の動向を研究してみたい。



これはぽっと思ったこと。



シュミットは難しいがとても斬新な視点で、面白い。


あと、アーレントの著作も借りているので、しかしこれらはひとえにデリダの政治哲学の勉強から派生したことである。


おしまい