『Liteer 2014春号』に載せた「実存主義の新たな形式」は、内容もちょっとは加えるけど、とりあえず「個人と幸福」というタイトルに改変したい。


 そしてそのうえで、今日ちょっと、手を止めていた『複数の性の原理』 がどうなりそうかについて考えが深まったので、それを併せると一つの本のようなものの構想が浮かび上がってきた。


 僕は何といっても本を出したいのだ。まずは。


だからしっかり取り組んだものを、たとえば馬鹿正直に出版社を回ってみるのもいいのかもしれない。分からないけど。まずはよく思考してよく書かなければ。


それは、ひとまずこんな感じ。


『現代の生の探究(仮)』


第一部 個人の生について


第一章 個人と幸福 ← これが「実存主義の新たな形式」


第二章 存在論の方へ


第二部 場所の哲学


第三章 複数の生 ← これが『複数の生の原理』


第四章 居―場所について


第五章 ()



こんな感じかなぁ。とりあえずなんかつながった。第二章と第四章の位置づけが見えた気がする。そして、それぞれについて書かなければならない。




だいたい、私は、家族に養ってもらいながら、アルバイトをして、作家活動をしている。

さっきも親と口論になった。


できれば、あと2年はおいてほしい。 これが完成し、出版社に回って交渉を取りつけるまでの猶予が欲しい。


よし、頑張ろう。



図書館では、バシュラールやアーレントを借りてきた。

なぜかカンギレムの『科学哲学』もついてきたが。

   本当は大塚英志の『捨て児の民俗学』も借りたかったけど。



最近は、やはり哲学、そしてヘンリー・ミラー。  親との口論さえなければ、調子はよかったのだ。


 ドゥルーズ、フーコー、ホッブズ、そして九鬼修造。 僕は彼らをとても敬愛している。


そして、バシュラールも勉強していくうちに、このリストに加わるかもしれない。科学哲学と詩学をやる人なんて興味深すぎる。 ミシェル・セールもバシュラールの多大な影響にあったらしいし(清水高志『ミシェル・セール』)。


 だいたい、ホッブズは偉大な社会哲学者だ。彼が無かったら、国家の起源についての考察は、もっと遅れていたのかもしれない。

 2年ほど前に、ホッブズの数論とか、二〇〇〇〇円の本が出たから、あれもいつかは読まなくてはいけないんだろうな。


 政治を考える時、いつもいつもホッブズが頭をかすめる。これはおそらくずっとである。



そんなこんな。今はデリダの政治論を読み解いています。次号リツイートの原稿用。暴力論です。

アデュー。