4年前の6月に投稿した記事です。

この頃、「京都の境界」について連載していて、その一つである「粟田口」の最終回(その5)記事です。

粟田口は、旧東海道(三条通)の京都市中への出入り口で、境界としての「京都の坂」の要件を(めっちゃ!)備えていると思います。

リブログする記事では、昔(明治初まで)あった刑場について記していますが、近世の刑場は、六条河原・御土居西三条にもあり、いずれも京都とその外部との境界に位置していました。特に粟田口刑場は、京都に出入りする人たちにわざわざ見せる(見せしめ)という意味付けもあったように思います。

現代の感覚から言えば、罪を犯し処罰される人にも人権があり、特に死刑は秘匿された状況で執行されますが、昔は「おさん茂平」のように馬上で引き回し、処刑も公開されていたのです。

「不義密通」がそのような大罪というのは、今では考えられないですね。

 

あと、粟田口には、かつて京都から旅立つ人や帰着した人が一休みしたり、彼らを歓送迎する宴会もできる茶屋が三軒あり、「境界」守護の寺社(日向大神宮、安養寺)もあり・・で、文字通り京都の境界(坂=出入り口)の要件を備えていました。

 

いま、粟田口という地名はあまりポピュラーではなく、「蹴上」という地名の方が流布していますね。琵琶湖疏水の水が京都の上水にされる「蹴上浄水場」。かつて疏水を航行してきた船が急勾配を下れないため設えられた「蹴上インクライン(跡)」。地下鉄「蹴上」駅。日本初の本格的水力発電所「蹴上発電所(今も現役)」などなど。

この「蹴上」地名の由来は、「平泉に出立する源義経に、ここで平氏の武士たちの乗馬が蹴上げた泥がかかったから」というのは眉唾で、粟田口刑場に送られる囚人が行くのを嫌がり歩かないので役人が彼らを蹴上げた、というほうがまだ「まし」ですね。

「蹴上」というのは「一段高い所」という普通名詞の意味もあるようなので、そのあたりがルーツというのが穏当なのではないかと思います。