先日高校時代からの古い友人たちと、芥川山城へ行ってきました。

昔高槻で教員をしてた頃は、生徒たちや地域の人たちを案内して何度も登ったことがあるのですが、久しぶりの案内・再訪でした。

 

前日は雨で、お天気が心配だったのですが、当日は傘なしで大丈夫でした。

ただし、三好山山頂の本丸跡からの眺望は「いまいち」でした(-_-;)

 

 

晴れていたら、大阪平野全体がもっとクリーンに見渡せるのですが・・。

左端のほうに二棟ほど高層ビルが見えていますが、あのあたりがJR高槻駅付近になります。

ちなみに、下はwikipedia からお借りした好天時の見晴らし写真です。

 

 

芥川山城は、室町幕府の管領だった細川氏が築いた城ですが、全盛期だった三好長慶が1550年から十年間ぐらい在城し、京都とその周辺(畿内)を支配していたので、織田信長に先立つ(短期間ではあるが)武家政権の本拠地だったところです。

 

中世末の山城跡としての保存状態はいい方で、曲輪群や堀切、土橋などの遺構をみることができます(令和4年、国史跡に指定)。

 

 

これは「土橋」ですね。

両側を鋭く切り落とし(堀切)、攻城してくる敵兵を1~2名ずつしか通れないようにして、前方の防御点から狙い撃ちにするのです。

 

今は「兵どもの夢の跡」で、この日も途中で出会ったのは一組のご夫婦?だけでした。

当初の計画では芥川山城跡から北へ辿り、摂津峡上ノ口に出て芥川の渓谷(摂津峡)沿いに歩いて下ノ口に出る予定だったのですが、前日の雨で足元が良くないので、高齢者のグループとしては自重したほうがいいと判断しました。

 

 

下山ルートは、「大手道」を選びました。急な坂道ですが、途中石垣跡を見ることができます。

 

 

だいぶ崩れて、落ちた石が手間に転がっていますが、国史跡に指定されたので勝手に現状変更はできないのですね。

 

この石垣は防御的な意味よりも、大手道を上がってくる者に対し、城の威容を示す意味合いが強いように思いますが、中世の山城は「戦うための城」で見映えはあまり意識しないので、近世の「見せる城」(城主の権威を示す)への移行期のものとして貴重なもの、と言えるかもしれません。ただし、芥川山城は三好時代の後、高山右近なども短期間入っているので、その時期に造られたものかも。

 

麓の塚脇バス停には、地元の人たちによる芥川山城関連の掲示などがいろいろされていました。

 

 

そのなかに、「三好長慶」をNHK大河ドラマに! というのもありました。

たしかに、一年間の大河ドラマの素材として十分な人物ではないかと思います。出身地の阿波・徳島も盛り上がるのでは?

 

            三好長慶画像 wikipedia より