長年京都で暮らしていますが、今まで島原界隈には行ったことがありませんでした。今回、近くまで行く用件があり、初めて見学することができました。
島原は、祇園や上七軒などと並ぶ京都の花街の一つでしたが、1976年に京都花街連合会から退会し、以後は普通の住宅街になりましたが、所々にかつての栄華の痕跡を残しています。
このあたりは面影が一番良く残っている所で、島原の東入口である「島原大門(しまばらおおもん」です。元は西門もあったそうですが、今はありません。
正面から見るとこんな感じ。向こう側が島原になります。
島原という地名は、江戸時代の1641年に六条三筋町という所にあった花街をここに移転する時、大変な騒ぎになったので、当時起こった「島原の乱」(1637~38)になぞらえてそのように呼ばれ出した、との説があるようです。
正式町名は(今でも)「西新屋敷町」です。
中に入ると、このようなかつての趣が残る民家が点在しています。
二階にも客間があるので、大屋根が高く、通りに面した窓に開放感があります。
一階の格子戸も造りが丁寧で、その上の欄間も含め、今も大切に維持管理されていることが分かります。
島原の中で、今も現役で唯一「お茶屋」営業されているのが「輪違屋(わちがいや)」さんです。
NHK大河ドラマ「新撰組」で、鈴木砂羽さんが演じた山南敬助(堺雅人)の思い人・明里(あけさと)さんも、輪違屋さんにいたのだそうです。
ここには今も「花扇太夫」ほか四名の現役の太夫さんが在籍しているので「置き屋」と称していて、需要があれば宴席にも出られるということです。
「置き屋」から派遣される太夫さんを迎えて宴席が設けられるのが「揚げ屋」で、それの最大規模だったのが「角屋(すみや)」です。
右側の大きな二階建てが角屋です(国指定重要文化財)。現在は「角屋もてなしの文化美術館」として財団法人が管理しており、期間限定で有料公開されています。
島原から北へほど近い壬生に屯所があった新撰組の隊士たちも、山南敬助だけでなくよく通っていたようで、芹沢鴨も、斬られる前日に角屋での宴会で吞んでいたのだそうです。
次は3月15日から公開期間に入るので、是非一度内部を見学しに行きたいと思っています。