去年の今日(5月25日)投稿した記事をリブログします。

 これを読むと、この頃すでにコロナ禍が相当期間続いていて、京都にも緊急事態宣言が出されて解除された後で、「少しずつ日常が戻ってきている」と記しています。

 この観測がいかに楽観的なものだったか、あれから一年の日時が証明しています。

 いままた緊急事態宣言下にあるのですが、同じようなことを繰り返しながら時間だけが経つなかで、事態はより深刻になってきたような気がします。

 ワクチン接種も遅々として進まず、高齢者は「先着順」に予約を取らされているため右往左往して疲れています。いま65歳以上の高齢者は、「団塊世代」という文字通りの「塊(かたまり)」世代が中心で、寿命が延びたためまだあまり減っていません。

 私もそうですが、小さい時からずっと競争させられ、人を出し抜かないと生き延びていけない人生を歩んできました。考えてみると、今まで既に亡くなった友は、そういった競争原理が元来似合わない人か、競争に疲れて倒れた人かどちらかだったような気がします。

 今回も、ワクチンを予約するには「人よりも多く電話をかけ続ける」「予約時間がきたら間髪を入れずネットの予約ページにアクセスする」といった競争を強いられています。それができない者は生き残れないというプレッシャーがあるのです。

 行政は、こんなに高齢者を競争させなくてもいい方途(それは工夫すればいくらでもある?)を考えるべきだと思うのですが、無策というか「これでいい」と思っているのですね。「それが当たり前」だと。

 今回のコロナ禍は、色々な意味で日本社会の後進性を明るみに出しました。私たちの世代は「日本は先進国」だと思って生きてきたのが、この歳になってこんなに遅れた社会だったのかと気づかされ、愕然としているのです。そしてこの擬似先進国を構成してきた自分たちの責任も痛感させられます。

 今の若い人たちには、この失敗を糧にして、もっと人々がゆったり生きていける世の中を作ってほしいと願っています。