父の会社のボイラーが供出させられた先・海南島がいまどうなっているのか。
行ってもボイラーの末路がどうなったか等、わかる筈はないのですが、石碌鉄山開発にかかわるいろいろなことを知ると、一度その地に行ってみたいという思いが強くなりました。
一人旅が好きな人もいますが、私はどちらかというと、仲間と行って夜は宴会というパターンが好きなほうなので、長年の友・T氏を誘っての二人旅になりました。
ちなみに、T氏も日中十五年戦争の研究をしていて、戦時中日本軍の動向などは私よりずっと詳しいです。
さて前回記しましたが、三亜のホテルから早朝出発。タクシーで高速をひた走り、昼過ぎに東方市に着きました。
ここには八所(バッソ)港という石碌の鉄鉱を積み出していた港があります。
ここは元々漁港だったのを、鉄鉱運搬船が接岸できるよう急いで改修したのですが、今も漁港として健在です。
これは漁船の船溜まりですが、無数の漁船がひしめいていますね。
どうも地元の漁船だけでなく、台湾の漁船や港澳(ホンコン・マカオ)漁船も停泊するようで、そのような表示がありました。詳しいことはわかりませんが・・。
漁から帰ってきたお父さんを家族が迎える風景は、どこの漁港でも変わらないようです。
私たちは、漁港を見に行ったわけではなく、できれば父のボイラー供出先である海南原鉄工場跡に立ちたかったのですが、あまりにも変貌が大きそうなのと、中国では地図(特に詳しい地図)の入手が難しく、現在地の特定が困難なのとで、早々にその目的は諦めざるをえませんでした。
ただ、八所港の中に入れてもらえれば、『海南島石碌鉄山開発誌』の付図があり、それと現状が対比できるかもしれないので、八所港のゲートに向かいました。
八所港のゲートです。
門衛所があり、出入りがチェックされています。
ガイドの林さんに、見学できるかどうか交渉してもらったのですが、事前に申請して許可証がなければダメと断られてしまいました。
中国ではこの手の公共施設は対外的な関係もあり、結構神経を使っているのだと思います。他では見学を制限されたりすることはなかったのですが・・。
仕方がないので港内の見学は諦めたのですが、向うに見えている鉄道の高架線は日本時代のものか?
と聞いてもらったところ、「そうだ」との返事がかえってきました。
現在も現役で使われているようです。
ちょっと残念がっていると、林さんが「代わりに見せたいところがあります」と案内してくれたのが、海南鉄路博物館 でした。
ここは元日本軍の司令部跡を改装したようで、日本占領期に使われていた車両等を展示し、日本による支配の歴史を伝えるという趣旨の施設だと思います。
内部にある建物ですが、その壁面の表示には・・・
漢字なので、何となく分かりますね。
本建築は元日本軍指揮(指令)部で、1941年建。
構内には、鉄道ファンなら垂涎?の機関車などが展示されています。
これはD51? 私にはよく分かりません。D51が海南島に送られた記録はあるのですが。
ディーゼル機関車?もあります。 これは新しいものかも。
ちょっと珍しい車両も。
これは日本製ですが、戦後に改装された客車で、蒋介石夫人の宋美齢(元女優)が乗車したので「美齢号」と名付けられたそうです。
ただし、この施設のメインテーマは、日本による海南島支配の歴史を伝えることなので、鉄鉱石輸送車の解説には・・・。
かいつまんでしか分かりませんが、この鉱石輸送車は1939(昭和14)年日本製で、車長11メートル、車高2メートル、積載量13トン。1939年日本軍は海南島侵略を始め、資源を略奪した。本車両はそうした侵略の鉄証(動かぬ証拠)である。
八所港の施設は見ることができませんでしたが、この鉄路博物館を見学できたおかげで、ここまで来た甲斐がありました。
ガイドの林さんに感謝です。