このブログを作ってから長い間、放置してまして、その間にラインブログでやってた別ブログ(いつの間にかこっちの方がメインになりました)をアメブロに引っ越ししました。
これです。これこれ。
「きんかの待機中ブログ」です。
それ時以来の放置なんですけど、再利用方法のひとつとしてメインブログの過去投稿の再掲載
(そのままの時もありますし、少し手を加えて掲載するかもしれません)
なにぶん実験的な事ですが、今回はなんとか長続きするようにできたらなぁ…って思います。
よろしくお下買いします。
若宮通りと神田町通りの交差点風景。ZENITH(ゼニス)という屋号のダンススタジオ。その向こうには「ぜにや」という乾物屋さん。屋号に「ゼニ」と「ぜに」という同じ発音を共有している。知り合い同士かしゃん。
前回同様、ほかの人のブログの借用です。
本来ならば、支配階級である武士や武家、公家は贅沢ができたかもしれません。でも、下記のような事情によりやりませんでした。というか控えられていました。
もしもやってたら、どの方向に支出が向かうのでしょう。
支配階級が行う壮大なる建築物
海外遠征への費用
思いつくまでを書いたらそんなところでしょうか。
木造建築主体ということもあるのでしょうか。西洋に比べて、日本の建築物はそれほど大がかりなものは少ないように感じます。例外的にお城とかありますが、江戸時代においてはお殿様の一存で建てることはできません。修理もダメです。幕府による監視対象だからです。
その他の大規模工事といえば、宝暦の治水みたいな有力諸藩の出費を即させるものくらいじゃないでしょうか。
海外遠征に関しては、鎖国政策故に日本は外征をしませんでした。もしもやってれば、太平洋海域の島々や南シナ海沿岸地域、豪州や米国西海岸まで到達してたかもしれません。
教育学博士の若狭和朋氏は高校時代、日本史の教師が江戸時代、武士が農民や町民から搾取したと教えられたそうです。
先生 「搾取により百姓は米は満足に食べれなかった・・・」
若狭氏「誰が食べたのですか?」
先生 「支配階級の武士や大名だ」
若狭氏「何パーセントぐらいいたのですか・・・武士たちは」
先生 「6%くらいかな・・・」
若狭氏「? 武士や大名の胃袋は大丈夫でしたか」
先生 「なにを?」
若狭氏「米は食べ物だから、酒や酢になる分を引いても、結局は食べるしかないでしょう」
先生 「理屈を言うな・・・」
私も子供のころ武士や大名など支配階級によって農民は苦しめられたというようなことを教えられました。ネットなどみていますと、「武士は農民を生かさず殺さず」というような話が載っていたのを見たことがあります。これは西洋の貴族の話で、武士も同じだと教えられたのでしょう。おそらくこの「ウソ」は戦後に作られたものだと思います。
歴史学者の磯田道史氏が加賀百万石の会計係という大藩のエリートの猪山家の36年間の家計簿を分析すると猪山家当主の直之の一年間のお小遣いがわずか、19匁、現在の価値に換算すると7万2千円であり、草履取りの家来の小遣いのほうが多かったそうです。
武士の家の使用人である下男下女のほうがかえって豊かな商業や農家だったりしています。正月には武家の女性たちが下男下女を逆にもてなしたりしています。
この武士の姿は外国人も指摘して、財力も権力もひけらかすことのない日本の武士が農民や町人に敬意を払われていることに驚きを覚えています。
ユダヤ人で知日派のラビ・M・トケイヤー氏も著書で江戸時代の日本は支配者であった武士階級は町人と違って、質実剛健で、質素な生活を営んでおり、町人が贅沢をしていた、として中国大陸と対照的だったと述べています。
ちなみに江戸時代は「士農工商」という身分制度があったといわれていますが、これは支那の古い書物の呼び方で「武士」「町人」「百姓」の3つが正解のようです。職業による身分の区別であっても血統ではなく、きびしいものではありませんでした。
武士から百姓になるものもいれば、百姓から武士になるものもいました。また、漁業や林業も百姓であり、百姓=農民ではない。町の鍛冶屋は町人ですが、村の鍛冶屋は百姓。(自由社「日本人の歴史教科書」より)百姓とはそもそもはたくさんの姓という意味であり天皇から姓を与えられた公民の総称です。
なんだか随分ウソ教えれれてきましたね。戦後の教育がある種のイデオロギーにまみれているということでしょう。


