私の合気の記憶は故・塩田剛三氏の映像から始まる。

当時空手の道に行き詰まっていた私は小柄な体格を補完できる技術を模索していた。

後になって知るのだが伝統派空手の世界にもその手の技術は腐るほどあることに気づくのはもっと後のことである。

 

とにもかくにも空手一筋だった私にとって氏の演武は度肝を抜かれるものであった。

そして当時学生であった私は地元の町道場へと足を運び、合気道を体験することになったのだが、そこでは念願の「合気」をかけてくれる者はいなかった。

 

合気道の知識の無い私にとって、稽古している者がみなあのような神技を使えるものだと信じて疑わなかったのだ。だが話を聞くとみなあれを目指して稽古はしているが、体現できるものはごくごくわずかにしかいないということをそこではじめて知ったのである。

 

私は合気なる技術をかけられたことも無いままにただひたすらに稽古に明け暮れた。

その時々で「おや?」と思うような不思議な出来事は何度かあったが、決定的な合気の感覚をつかむことはできなかった。

 

数年の時が流れ、その時はやってきた。

首都圏近郊のある大東流の団体の中にその人はいた。

 

名前と団体を明かすことはできないが、結論から言うと指で投げられたのである。

性格には「指を掴んで投げられた」のである。

 

その他にも右正拳突きに対して「合気投げ」をかけられた。

私はわけもわからないままに宙を舞った。

 

その人に合気をかけていただいたのはたった2度のことである。

だが、それだけでも十分だった。

存在が確認できたこと、そしてどのようにしてそれを達成するのかは秘匿されているということ。

 

この2点を確認することができれば私には十分だったのだ。

「合気は自得するしかない」

投げかけられたこの言葉には二つの意味があった。

1つめは「誰も教えてはくれない」

2つめ「そもそも困難なので教えることができない」

両方共に真実の言葉であった。

もう十数年以上前の出来事である。

 

ここから私の合気自得の稽古が始まった。