銀座には歴史あるお店が多くマダム達の口コミで広がっているようで・・・
平日銀ブラを楽しんでいるマダム達の美味の世界を少し覗いてみました。

今、意外に熱くなっているのがすき焼きSUKIYAKI


銀座の老舗「吉澤」店のすき焼き
(吉澤さんにお写真を拝借)



(吉澤さんにお写真を拝借)



お肉は仲居様が焼いてくれるので焼き方が分からなくても安心ニコニコ

すき焼きの語源は、
もともと江戸時代に農夫達が仕事中に腹が減ると
農具の鋤〔すき〕の金属部分を鉄板の代わりにして魚や豆腐を焼いて
食べたことから「鋤焼すきやき」と呼ばれるようになったようです。
他にも薄く切った肉を意味する「剥身〔すきみ〕」から「剥き焼き」と
なったとする説もあり「すき焼き」は本来~関西地方での呼び名で
関東地方では「牛鍋」と呼ばれていたようです。現在では一般的に
「すき焼き」として親しまれていますね

ランチも盛り沢山で美味しいうわさが・・・


(吉澤さんにお写真をお借りいたしました。)

でもちょっと
深く知りたい^^ところがあり
覗いてみると不思議なのは
すき焼きは江戸時代末期頃に誕生した食べ物で
飛鳥時代(7世紀後半)の頃から明治に入るまで、
日本では肉食が公的に禁じられていたようで
お米や畑作文化の日本では多くの人々が
牛や馬は大切な労働力であったため食べると
バチがあたると信じられていたようです。

しかし貧しい民衆の間では
こっそりとイノシシやシカなど野獣の肉を食していたようですね。
そんな風潮の中、こっそり牛肉も食されるようになり、
幕末には京都の三条河原に「すき焼き屋」が初めて誕生しました。
明治に入り、明治天皇が牛肉を食べた事がきっかけで
一般庶民にも牛肉を食す事が解禁され、関西地方では「すき焼き」
関東地方では「牛鍋」が庶民の間で大流行したようです。

その後、1923年に起きた関東大震災がきっかけで
関東地方の牛鍋屋は大被害を受け次々に姿を消し・・・
姿を消した牛鍋屋に代わって関西のすき焼き屋が関東へ進出し始め、
関西の「すき焼き」が関東地方でも広がり
次第に関西の「すき焼き」と関東の「牛鍋」が融合し、
割りしたを使う「関東風すき焼き」が完成したようです。

参考資料&文献;日本文化いろは辞典から~・世界に旅(日本編)