母の人格を形成してる大部分が、正義感だったと思う。 とにかく曲がった事が嫌い、理不尽なことばかりだった世間をいつも嘆いていた。晩年になるとテレビのニュースで政治家の不正が取り沙汰されるのを見て、コメンテーターよろしく怒っていたそうだ。


エピソードは数多くあったと思うが、ゆるいのと感動のと真反対のようなふたつの出来事を思い出す。


私はイジメられる事が結構あり、それはほとんど登下校の時にガキ大将の男子達に通せんぼされたり、かばんを取られ隠されたり、と今思えば他愛もないことのように思えるが、当時の私は引っ込み思案で、思ってることも口に出せずに、すぐ泣いてしまうような子供だった。 ある時毎度同じく上級生のガキ大将らに捕まってしまい、上履きだったか、土手から放られてしまい勇気を振り絞って抵抗したら、男の子達はからかい始めた。 今では死語のようないじめの常套句だったのだが、文句を忘れてしまった。だが、最後のフレーズははっきり覚えている。

🎵···おまえの母さんデベソ🎵

それで締められるはやし歌だ。


土手から拾った上履きを抱えて泣きながら家に帰ると、仕事で居ないはずの母が居てなんで泣いてるのか問い詰められ、先程の顛末を話す。

自分の子供がいじめられていた事を、初めて知った母は烈火のごとく怒ると思いきや、「母さんはデベソと違うと明日言うてやり、ひとのへそをいつ見たんやと」今なら え!そこ!?と突っ込むところだが、小学生の私はうん、と頷いた。 それから、こんこんと言い聞かされた。いじめられて泣いて帰るな。悔しかったらやり返してみろ。

やられたらやり返してもいいんや。

何年か前に、倍返しや!と言うフレーズを使ったドラマがヒットしたが、まさしくその言い回しが母を思い出させた。 結局、やり返しも出来ない私だったが泣いて帰るなと言う言いつけだけは守った。少しは強くなれていたかもしれない。 それにしても、母さんデベソとは、なんであんな歌が流行ったんだろう?セクハラではないのか?

まぁ、半世紀前の話だ。